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マスジド大塚金曜日礼拝ホトバ 要約 (2011年1月7日)

――信仰が強い者が行う事とは――

あらゆる称賛は、万有の主アッラーのもの。預言者ムハムマドに祝福と平安がありますように。

信者たちよ、本日のホトバは、信仰が強い者が行う事についてである。
「アブー・マーリク・アシュアリーによると、アッラーのみ使いはこういわれた。『清浄であることは信仰
の半ばを満たすことです。アルハムド・リッラー(アッラーに称讃あれ)! と唱えることは(善悪の)秤
を善行側に傾けます。スブハーナッラー(アッラーの栄光を称え奉る)! や、アルハムド・リッラー! と
唱えて、アッラーを崇拝することは、天と地の間を満たすことです。礼拝は灯明です。施しは信仰の証しで
す。そして忍耐はアッラーへの服従を示す光です。更にまた、クルアーンはあなたの善行を立証するもの、
もしくは、あなたの悪行に対する反証となるものです。人は全て、朝毎出掛け、自分を売り歩く商人の如き
存在で、その行為のいかんによって、来世に救われる者、破滅される者が生ずるのです。』」 このハディー
スは、イスラームの最も大切な根本原理の一つについて語られている。そこにはとても大切な事柄や、我々
の宗教の根本的な点が含まれているのである。

ここで意味する「清浄」とは、全てのムスリムによって執られるべき最も大切な行為、アッラーに並べて他
のものを崇拝しない事と思われている。この「清浄であることは信仰の半ばを満たす」と言う言葉について
イスラーム学者による見解の相違がある。学者によっては、自身が清浄である事の報酬は、信仰が強いこと
で報酬の半分を得ている様なものであるとし、また或る学者は、ここでの信仰が強いと言う言葉の意味は礼
拝の事であるとしている。
アッラーはその事に関して、クルアーン・雌牛章において次のように述べておられる。
「…だが、アッラーはお前たちの信仰を決して虚しくはなされない。…」(2 章 143 節)
清浄とは、信仰行為が正しく忠実に行われる状態であり、それは、信仰の一部分を意味し、必ずしも丁度半
分であると言うことではない。また、
「アルハムド・リッラー(アッラーに称讃あれ)! と唱えることは(善
悪の)秤りを善行側に傾けます。」と、預言者さま(祝福と平安を)が述べておられる事の意味は、アッラ
ーを讃えることによる大きな報酬の故に、信仰行為を行う者の良い行い側の秤に架けられるということであ
る。その事はクルアーンの章句とスンナからみて確かなことであり、しもべの行いは、軽いか重たいかに関
わらず審判の日には秤に架けられるということである。

次ぎに、
「スブハーナッラー(アッラーの栄光を称え奉る)! や、アルハムド・リッラー(アッラーに称讃
あれ)! と唱えて、アッラーを崇拝することは、天と地の間を満たすことです。」と預言者さま(祝福と
平安を)が述べられたことについては、それらの言葉を唱えることの徳のことであり、アッラーに如何なる
点でも不足や欠陥が存在するとすることを否定し、我々が完全にその御方を頼りにし、生きる上で必要とし
「礼拝は灯明です。」と預言者さま(祝福と平安を)と述べられたことの意
ている事を意味するものである。
味は、礼拝が人を悪事から妨げ、悪に執着する欲望を禁じ、それが道先に明かりを灯しているかの様に正し
い方向へ人を導くものであるからである。また、礼拝に関わる徳とは、審判の日にそれをしてきた者の灯明
となり、
ないし審判の日にそれをしてきた者の顔にはっきりとした輝きとなって現れることにある。
その上、
現世にあっては、礼拝する者の顔は美しさと輝きを得るのである。一方、礼拝をしない者についてはその逆
であり、その事についてはアッラーが良く御存知であられる。次ぎに、
「施しは信仰の証しです。」と預言者
さま(祝福と平安を)が述べられた意味について、或る学者は、安全と加護は施しを通じて得ようとなされ、
それはあたかも安全と加護が正しいことの証明を得ようとする様なものであると言う。審判の日に財産をど
の様に使ったかとしもべが問われ、
「私は施しに使いました。
」と言う答えが、質問に対する答えとして証明
となるであろうと言うことである。また他の学者は、施しは差し出す者の信仰の強さを示す証であり、一方
偽善者は施しの見返りを信じないので施しはしないのである。施しをする者は誰でも、そこに信仰の強さを
表明しているのであり、その事はアッラーが一番御存知であられる。

「忍耐はアッラーへの服従を示す光です。」と預言者さま(祝福と平安を)が述べられた事について、忍耐
がシャリーア(イスラーム法)によって愛され推奨されていることに関連があり、アッラーへの服従が忍耐
であり、アッラーへの不従順を回避するのが忍耐であるということである。またそれには、人が現世で出会
わざるを得ない種々の困難に伴う忍耐を含んでいるのである。そうした全ての関わり合において、忍耐が好
ましいことであり、常に正しい道を指し示し、正しい物事へと導く光の様なものであると言う事である。次
ぎに、
「クルアーンはあなたの善行を立証するもの、もしくは、あなたの悪行に対する反証となるものです。」
と預言者さま(祝福と平安を)が述べられた事については、人がそれを読誦するなら、読誦者はそのことで
大きな報酬を得ると言うことで、
一方そうしないなら、
それなりの執り成しがあると言うことが明かである。
また、
「人は全て、朝毎出掛け、自分を売り歩く商人の如き存在で、その行為のいかんによって、来世に救わ
れる者、破滅される者が生ずるのです。」と、預言者さま(祝福と平安を)は述べておられ、誰でも人は自
分の為に努力するが、或る者はアッラーに従う事でアッラーに自分を売り込み、それで懲罰から魂を遠ざけ
ると言うことである。
アッラーは、クルアーン・悔悟章において次のように述べておられる。
「誠、アッラーは、信者たちからその生命と財産とを収得なされ、彼らへ(代償として与えるもの)は楽園
である。…」(9 章 111 節)
自分の魂を悪魔に売り、欲望を悪魔に任せる者は誰であっても、悪魔はその者の魂を破滅に導いてしまう。

アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。
アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。

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