銭 秘 術 忍

湖西田藤

流賀甲
世田十第


試みたる事数十回に及んで居る。短時間内に要領能︿恋術の大要を訟

るものである。白疋迄帝都をはじめ全閣に一旦って、忍術の講演と賞演を

作成されたものである。私は忍術傍統者の唯一人として現代に存在す

本書は私の鰻験から割り出し て、最も簡にし て要を得る方針の下に

仕事であって、前途精や遠いのである。

営多い事 てあら'フ。之を新代式に縞み直して出版する 事 は私の一生の

之を集大成したら相嘗浩滑なものと左り、其の複雑と冗漫とは叉相

められたものばかりでも三十種依り五十加はある。

.を以て師から弟子へと惇へられたので ある。それ でも 著 者 の 手 元 に 集

古来忍術は秘密の術と言はれ、主︿文厳も至っ て少 な く 、 多 く は 口 侍

いて、聴者の理解を得る震に相営の苦心を積んだつもりであ る。其の

要領て以 て編み出されたのが本堂問。てあ る。紙数少なきも、之に依っ て

恋術の骨子たるべき黙は略ぼ了解さ れ得 る事 と忠ふ 。事者机上の編 と

異り、私のは賞地 の研究から生れた ので あるから、前 口上や勿鶴ぶっ

た挨拶は全然抜きにして、端的に恋術の堂奥を示したものである。

音は北僚早局長、 ﹁凡そ 持た るの 要 は英 雄 の心を牧携するにあ り﹂とい

ふ一句を聞いて、モワ兵法は解った、 津 山、だと言ったそうだが、能く

コu

眼光紙背に徹するの賢明在る護者は、本書に依って﹁葱衡はモク解っ

西

た﹂と破顔一笑せらる当事と信ずる。
昭和十一年七月

藤者

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録 目

忍術の由来

忍術の本領と目的:::・


利用

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-----忍術の方法 五

草木の利用:・:・:・:;::::::::::::::::・::;:::::::・ ::::::::;:::::::;L:






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土地の利用・ ・・
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我が邦に於ける忍術の愛蓬:・・・・・・・ ・





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天象の利用 ・





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陽忍の術ll遼 入 り の 事 ・ ・ ・ :・::・:・:::: ji--


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七回





















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旦人の術二街依

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心 を 以 て 心 を制す::::;:・:; ::::::
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敵陣屋 へ忍び入る













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天 眼 . 術 二 筒係:・ ・







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年 齢 と 心 行 と に よ り 限 完 を祭 す ぺ き 三 街 後 :::;::ji--:::;:;・:;; ・:::

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歩法の中座さがし・::
除 影術.点簡保;

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家 忍人配り 三簡保 ・
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必 十 入 る ぺ き 四 筒 僚 ;・

忍術の練習法

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三八

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忍 術 の 武道精紳:;:::::::・ ::ji--:::::::::::;:::・

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整息法と歩行術・・・・・・:・:・・:::::・・::::・:::・

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一四一一一

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跳躍 ・飛飽術 ・::::
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陪同・:・・・:・:::

心身の鍛練法 :

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五億の練磨 ::

内臓の練習・;:

苦 難 に 耐ゆる の練習

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武襲 、遊勢百般の 練包・:::::

忍者の服装と携帯武器及び道具類・::・

ト明
日去 :::ji--:::ji--- : :・
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一四六

一四八

2三

三五





一五九

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一八五

一七八



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毒 物 ・ い か も の 喰 ひ練習:;::::・

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印を結 ymは精一仰の統一

番の覚悟

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印明 護身法共他・:

大死

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忍術徐
小武器の研究

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土砂

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主 神 話 京 ぺ江主 コド::・・・・・ ・












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i仲間の不文律
ー将 凡附仲間の仁 口上ll仁 義 口上 は 晴 れ の 舞 霊 i

仰の起源 i
侠特仲間のれ翁ll非人を隠匿すろ場合1 1呑兵師の元組は紳良様ll芥具附の名 m

仁義仲間の種々相

漢 に裂はれれ揚合 l l槻手が兇器を有する揚合 l !敵手が隼銃を持つ場合

生兵法は大統の慕 ll先 づ月摘を務付げる !!不意の一 般i l死地に陥って生きる 1 ・多数の暴

現代喧嘩法指南

ざ、ムハ寸‘手の内)i
! 短刀の使用法
l 投 げ 物 と 銭 扇ll短棒ハ鼻捻り、。LU
みもの!

飛 泊 具i! 角手、穏し物i !鋭 と 分 銅il濁鈷 ハ
印度の武 器
﹀l !十手、貸手 、鉢 割 り l l仕込

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忍術・保持目録について

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6

忍術の本領と目的
らいていは

雲に駕し、震に隠れ、雷震を駆り、鮫龍を役し、随惑を使び、禽駄を御し、忽ちにして丈除

たんげい

の怪物と愛じ、忽ちにして尺寸の鼠と化し、自在に活躍して、陰搬出後、端侃すべからざるも

の、之れ古采忍術の妙と賞へられ、紳愛不可思議の頴象として、今も児童走卒は口を附いて、

兇来也、大蛇丸、仁木綿正、素茶娘、瀧夜叉娘、鼠小償、石川五右街門等の、グロテ スクな仙波

東を着けた、芝居の緒次官に悦惚と見入る。誠に以て忍術の世界は心胸を躍動せしむべき祭惣の

別天地である 。之が、本嘗であると言へば皆た本営であり、嘘で あ ると 一一一同へば、体刊盤。結局は

その解離の如何にあると忠ふ 。疑心暗鬼を生やるは人聞の弱黙で、との弱駄に一烈じて人の問を


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くらまし、人の心を迷はす庭に、忍術の極意が存するとも言へるだらう 。

然らば忍術の本領は何かと昏一
口ふと、それは日本 男子の倫武精一仰の極致が、途に忍術といふ精
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て は な ら 歩 、 お 人 陶 係 に 於 て 最 も 機敏 でなくてはたらぬ。之が震には、銀山崎に烈しい心身の練

忍者は、死を恐れざる沈勇者でなければたら歩、叉誰人にも負けぬといふ武術上の自信がたく

味を無上の祭とれる新燃が無くてはたらない。人間死を賭してとそ面白い事が都内山に有るので、

に門険を柴みとすると一吉った心持でなければたらたい。つまり寓死に一生を得て還るといふ快

飛 ん で 火 に 入 る 掻 と同じ 運 命 で あ る から、忍粁は、第一一札死を恐れざる脆勇を 要 し、死以上

たない。

らたい。との目的を淫する筋めには、普通の戦士以外、特殊た川窓と修練を要するとと論を挨

計設を知らうといふのには、どうしても単身、敵地に乗込んで、資地に之を見届けたくてはな

たものである。軍事探偵程微かしい、危険なものはたいので、敵の披廓陣営を探り、北ハの作戦

而してその目的は何かといふと、端的に言へば、軍事探偵を目的として工夫され褒達し烈つ

忍術である。

ち普通の武術以上に、森幾百内象を役して、最も巧妙た用意周到た闘争術を考へ出したのが此の

妙なる武術に迄達したともいふべきもの で 、何れの閣の武術も遠 く之に 及ばな いのである 。


4

眠時をして、人間業と忠 はれ ぬ 精 妙 た 境 地 迄 達 し た く て は た ら た い の で あ る ο

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せや死を以て之をやり途げると

第一 、死を恐 れ ざ る が 篤 に は 、 先 づ 心 を 正 し く し て 君 閣 の 第 に 一 命 を 掠 ぐ る と い ふ 大 先 悟 を
定めたくてはたらたい。 一たび 任 務 に 付 く 以 上 は . 水 火 を も

5

いふ決心 主嬰 する のであ る。 そして、共の武術や、 忍術 の 方 法 は之を 善 からぬ 事 に滋用しない

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といふ 事を天地⋮脚明に響ふ 。之が自信の 根一冗 とたるので あ る

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r て遡・確に之を立

入っ て民般の模様 、陰謀、密計たど迄寝かに 聞 き、審かに見て、主将に報告し、方 図曲一也の備

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役目である 。 叉敵の塀端、初端迄近々と忍び行き、其の様酬胞を見聞し、或は城中、陣中に忍び

の進退、人数の多少、敵 ムnの遠近たどを速かに察して、我が主将に報告するのが、物見武者。


であ る

ω ち、敵方の様慢を能く知るには、何の術を以てするかとたれば、其地形の模様、敵

之は確かに忍術の事で、兵法に内を治め外を知るといふのは、敵の内計密事等を委的知る事

子兵法中には、第十三倍仰に﹁用問の篇﹂といふのがある。

.かん

資帝に至って盛んに行はれたと 一
言はる Lが、北ハ盛岡は今日に残ってゐたい。精や後代にたって孫

設する事は難かしい。記録に残るものを調べると、支那では、上古伏議榊農より始まり、共後

﹁忍術は仰れの時代から始まったか﹂とは.誰しも質問したい事でb るが、


6

を定め、能く奇正に謄じて敵を伐つ事、之れ忍術の司る所である 。若し忍術たきに於ては 、敵の

計略を知って勝利を天下に金ふする事が出来たい。故に忍の術は軍に取って要用なものである ο

円ひ、敢闘

然 ら ば 、 支 那 で も 古 来 、 忍 術 と い ふ 名 稿 が あ っ た か と い ふ に 、 そ れ は 異 る。忍術と名づけた


3

のは我邦の語で、支那では最初、央の闘で之を聞と言ひ、春秋の時分には更に諜と一


いgく ゆ ・ 2て い か ん 答 い と

口ひ、李金の 陰 経 といふ 音には
時代後には、細作、遊偵、姦細たど呼んだ 。六絡には、遊士と昏一

2ピ ん で ぬ き

行川と呼んで居る。かく、時代により、叉主 将の意に依 って 共名稽異 り、我図では、 車、かま
のきざるきょ・

り、帯夜、襲、突破、菱、三ツ者、饗談、裂を言った。
支那の問謀、遊偵たどいふ語原は何かと見るに、孫子の用問鰐に

﹁間とは締際なり、入をして敵の錬隙に 乗じて入り 、以て英情を 探知するたり﹂


ん、 、 、 、 、 、 、 、 、 、

とあり、間はすきま、ひまといふ意味である。即ち、人を以て敵のひま、すきま吃窺ひ一衆ぜ

しめて、 敵妓陣へ 入り、敵の陰 謀密計高端の事 を探り 知らせ て味方へ報告させ、或は 使隙を鋭

ざゐ

7

って敵の城陣へ入らしめて其の按営を焼き、夜討たどを謀る職である。叉聞の字には、 へだっ


るといふ誤みがあり、之は忍術は隔るの術で、敵の君臣の中を議 一 を以て隔て、又は共の 隣 図



ε

かん

古 から 敵方 の内 飢 を 謀り 勝利を 得 た 例 は甚 だ 多 い。倫 ほ 聞 の 字義 に就 ては 一訟 に、門の中に日

、 此術 の賞理 には、 敵 の城陣 へ 間 断 たく 突 入る事、 駅 へば 、 日光の門戸に 送し映
を入れるの で

しのび


、 少くとも股隙あれ ば
、 直 ちに 差 し入 る が如く 、速かに 入 るの 義 であると し てあ る。此の理

、 、、

は兆一だ微 妙で、 凡 庸 粁 の 難守 る 所 で あ る 。
ちょ う 、

叉諜 の字 、偵の 字 は二ッ・な がらうかがうと読む 。 凡て忍の 術 は
、 遊び を髄 として 其聞 に敵 の

使 隙 を 鋭 ひ入り、 共 の模 様 を 見 聞 す る 眠 た る 故 、 之 を 遊 偵 たど L呼ん だ ので ある。楠正成の 忍

術 に は 、 四 十八 人 の 忍 者 を 三番 に 分 ち 、 十六人宛、何時も 京都 に入れて 置 いたといム リ此の者

北ハが
、 種々 の密 計 を肘ゐて 京 中の 様 鐙 を 鋭 ひ知り 、楠に 報 告したとい ふは、之乙そ 遊偵の 意 で
あらう。

、 大 将 に報 告する・
故 、大将 の謀略
叉細 作と い ふのは 、忍 者 が敵 方 へ 行 っ て様 位 を 能 く見 聞 し

の術を 細 か に 作 る と い ふ 程 の 意 である 。姦 細 と は 、姦 は 姦 曲 の 姦 、叉は 倭姦などの意味 である。

8


の京と和合の問を隔 て遮 ぎり、 援 兵 た のない 様 に取 計 ひ、或 は敵 の大将 と共の士卒 と の中を
隔て L、和 得 す る様の術を成す に依っ て、へ だ っるといふ祈みをす る ので あ る。和漢ともに 、

凡そ忍術は表面には零常の慌にして、裏面に必や姦曲甚しく深き企みが有るからである。一冗よ

遊 ぶ姿にして心に 慮 り 深 き 故 に 、 し か 名 け た も の か 。 次 に 行 人 と い ふ は 、 敵 と

こ・
3じん

マ一口びながら、共の仕事は、曲籾にして姦たる故に姦絢と名づけたのである。叉
り忠義の道とは 一

E いふは、

館い
味方との問を往来する意であらう。

支那でかく幾度も忍討の名稀を援更したのは何故かと考ふるに、 一隠忍者は、﹁散某は忍況で

ある ﹂といふ 事を 一 般 に 知 ら れ た く た い 。 人 の 知 ら ざ る を 以 て 大 功 を 成 す 事 が出来る。故に似体
く秘して世上に知れざる様にと、代々其名穏を改めたものであらう。

しのぶやい徐こ・る

但し我閣で、之を忍者と 佐一口 ったには、相嘗理由がある。元 来忍は 、 mAの心と 堂聞 いたもので、

忍者が敵の便隙を鋭ひ、危険なる計を用ゐて忍び入るに営つては、 一心竪貞にして 機へば匁の

竪 く鋭さが如 くたくてはたらぬ。若し、心が 鈍 く軟 か 怒 る に 於 ては、たとひ如何 なる謀計を巧

みに行ふとも敵に近 づく時、 気 臆 して 事 を行へ宇、心巴に平静を失ひ、 言葉が煩勝にして北ハ謀


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一心竪 貞 た る 事 刃 の 如 く 怒 る を 姿 す る と い ふ 意 味 か ら し て 、 吾 が 艇 に 於 て は 呉 邦 よ り の 名

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略外商に 額 はれ、 途 に敵の 鴛 に捕は れ其身死するのみ怒らや 、味方の 大 事 を 誤 る に 至 る 。 さ れ

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間 見 、 見 分 、 目付と 三ツに分ち た の が 三 者 の 由 来 で あ る

み つも り

女時信 は+内今の名勝として、忠勇謀計に 透したる者を 三十人認 抱へ 、総を 箆くし貨を 厚 くし て

など った 。スツ パは伊賀、甲 賀 溢 で古くから言 ひ習はしたのである。策猿とは敵の内詮 を見


ふつもの
る役で あ るといふ底から 、 しか呼んだものであらう。次に三者、饗談の起りは甲斐閣の武岡信

の曾ざるみつものきょう沼ん
然るに、忍者の事を別名俗務として便宜上種々に呼 んだもので 、 スツパ 、第猿、 三者 、饗談

と詠んである。

﹁忍びには脅 ひ の 道 は 多 け れ ど 、 先 づ 第 一は 敵に近づけ﹂

を改めて、双の 心と 書ける字 を此術の名となしたの である υ伊勢 三郎義盛百首の忍歌にも 、

1
0

我邦に於げる忍術の後達

我邦に於て、忍術らしいもの L 一番古く賞行された記録は、日本武寧が、熊鎚征伐の時に、
たける

女接して川上桑に近づき短剣を以て之を刺殺した 事で 、此の 女袋 して敵営に忍び込んだのは、

創ち忍術の一ツであると言へる。共後人皇三十八代、天智天皇の御弟の天武天皇の時に、清光

親王といふ方が逆心を企てられ、山城図の愛宕都といふ所に城腐を築いて居った ο 天武天皇は、

P拡糊といふ忍者を澄はして、内から放火させ外から之を攻めて、途に討干した。之が、歴史
上に現はれた忍術の最初のものらしい。



後、源 の義経は古今の武将として鞍術には、用意周到で あった から、忍道にも巧みであっ

1
1

た。楠正成の事は前に述べたが、・一家康 に 至 つ て は 、 忍 者 を 重 用 し て 、 我 闘 の 忍 術 を 大 成 せ し め


最~

た恩人である 。家 康は、本能寺の愛
!l信長が光秀 に殺された時、丁度入治して京都知四恩院に

Uヨ


、 千坪

れ、共地方を沙り歩く忍者に取って、 愛 化 の妙 を 泰 くし十分に手腕を登輝すペき 環 境 と機衡と

、 自 然 に間諜細作の必要 は特に感じら
の小 さ い 城 廓 を 築 いて斥 候 を出し 合って軍放を探るの で

谷 叉 深 く 、 都 に 近 い 土 地 で 、 古 来 幾多 の一家族が割捺 して 常 に相守ふて 居先 ﹂互に五百坪

此 の 伊 賀 、 甲賀の 忍者が克も世に問えたのはどうい ふ識 かと 同ふに、省時職闘の代に於て、



忍術が 全閣 に後達 し た 中 に も 、 近 江 の 甲 賀 郡 、 伊 賀 の 伊 賀 郡 あ た り は 、地形険しく、 山岳 多く

州に此の二百人の忍者を指揮させた。半減門の名 mmはモれから起ったのである。
部必a
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に制 ・府を 定 む る に及んで、此の耐忍者に厚く酬ゐる 露あ り、今の字減門の外に屋敷を興 へ、服

下を平定して徳 川 幕 府 を 開く迄、 常 に此の忍者を 重用して戦陣の問 に奇功を奏 し 、自ら は江戸

丞以下 、伊賀甲賀二百 人 の忍 者の謎街 に依 り、やっと蹄城する事が出来た 。爾来、家康は 、天

旦 を泣け 、居城滋松 に引上げる事にした 。応胸 が、沿道に野武士が蜂起 し て、家康の傑かばか


りの手勢では、道中がとても危険である。共時、伊賀の忍者、服部宇蔵 、穴 山栂響、柘航三之

滞在 中 であ った 。 そとで直ぐ光秀を討たんと軍評定を開 いたが 、酒井忠勝 の建

を 容 れて 、
佐一

J!""

が多 か った。 か く し て 共 地 方 に 忍 道 は 大 い に 混 迷 し 、 一唐 の 鍛 錬 が積 まれた。共鴛に彼等忍者

1~

を伊賀栄、叩賀衆と名づけ、是が流一次となって、甲賀流、伊賀流を 康み出したのである。

おんみつ

、 此の爾一次の忍者は、江戸城の沿庭呑となり、叉は 、際密の役を命ぜら
途に徳 川の末 期迄 も

って 回附の登下に属せしめ 、常に 諸閣の間諜の役を勤めた。共役人の居つ
=
n
れ、之を忍目附と 一一

υ最初 、 甲 賀 組 と 伊 賀 組 と を 柿 を 似 て

L性は

たのが、一柳川の甲賀川に甲 賀流の忍者 が佐み、四谷の伊賀町には伊賀衆が住み、允ハ叉配下の者

・ 2が ひ

を一、まと め に住はせたのが、 麻布の奔町であった

せ、橋の名を甲賀伊賀橋、町名も甲賀伊賀町であった のが、 二ツ 一所にして第町と略されたの
である。

然るに、走穏に 、徳 川氏から 軍一費、ゼられ、事費 、 重 大 た 役 目 を 勤 め た 忍 者 も 、 家 康 伐 後 年 を

終て 、首都府の待遇 が怒くたり、彼等は不平を起して四 谷 大 木 戸 の 笹 寺 に 集 合 し 、 待 遇 改 将 の 叫

びを揚げた。それと同時に、江戸市内ては 、毎 夜 辻 斬 其 他 、 不思議た犯非が頻出して、幕府市女

仰向の人を驚かした。幕府 では、服 部卒減に命 じ て之が鋲撫に努力させたが 、却々解決したい。

τ借とたり 、名を西念と改 めて俗界と総を給った。

1
3

ヰ械は北ハ交を負ひ、妥左前知り墨染めの衣を卦一泊

I
区、

之が阿谷の寺町に現存する西念寺の起以である。

..


;

、 営 然 私 の意 の存する 蕗 を僚とせらる込一事と思ふ 。
下本当を一一蹴 す る人 は

必 巣あ り 、 閣 家 に 防 敵 の 必 要 あ る 限 り 、 益 々 必 要 の も の で あ る 事 を 痛 切 に 感 守 る の で あ る。以

却々然うではたい。忍術の精一柳と、北ハの術の膝用とは之を新時代に遁合 して、 個人に護身法の

人であ るだらう と思ふ 。 モ ん な ら 忍 術 は 最 早や此世に必要のたいも のかと いふに 、私の考では、

先 等 の 忍 術 も 、 殆 ん ど 衰 微 し て 跡 を 留 め 歩 、恐 らく 、私が日 本に於 ける忍術俸習者の最後の一


見来叩 判(は 五 十三流と 一 ひ、伊 賀は 四十九流に分れて居たが 、後,次第 に減じて、残った大流

=

汲は、伊賀、甲賀、芥 川
、 根 来 、 扶 桑、忍中、甲陽、紀州等 二十凶五流にたった。今日では、

会の想像が大部分であらう。

例 の 猿 飛 佐 助 た ど も 賓 在 の 人 物 で は あ る に し て も 、 講 談 本 の猿飛は、 霧隠 才減たどと同じく架

J

である。甲内流の 組 は戸 潔 白 目義務 、伊賀 は百地 三太 夫といふが、之は仰れい Lかげんのもので、
.

M す るもの で、甲 賀 五十三 家の 一、 市 山六 家の和 国伊賀守の流れを汲む者
山川股私は叩筑波に 脱

1
4

虚無⋮倫と普通人の打扮と以上七種である 。 共他 に も 臨 機 態 費 、 何 ん で も 化 け る の で あ る が 、 大

ある。普通には 、七 方 向 と言 って七 種 の援援 を 用 ゐ る 、 山 伏 、 出 家 、猿薬師、商人、 放下師 、

先づ愛袋術を知らなくてはたらぬ。

ωち時と所とによりいろ/¥ーに姿を鍵じ容援を替へるので

nも要る。
今、忍訴が敵地に入って共内情を探り、目的を達するに付いては、多大の準備も練m


健 右の七 種 が出来ると、間に合ふ 。其震には立汲 に玄人 婆人 が 勤 ま る 位 に 修 練 を 積 ま な け れ ば

ょ 令

ならたい。邸 ち虚無償としては、尺八を吹く、 放 下 師 として は手 口聞や奇術 を や る 。 猿 換 師 と し

うで

ては踊や唄を歌ふ と ったもので、 一人で、寄席を打てる腕前迄修練する のでるる υそしては



敵地に入り 、姓名を愛 じて 其 藩 の御 用 商 人 の 庇 に 挙 公 人 と た り 、叉 家 中 の 仲 間 に 住 込 み た ど し

叉城中に入込み体手を求 む るた どいふ 手もある。

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お£ろ

飼ひ馴らして之を懐中し、之を殿中に放って警術者を駁かし、騒がせ 、

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鼠小併次郎士ロも、能く以の術を使ったと一一言はれてゐるが、之は鼠の鳴き閥抗や、物を噛む音牢

貼火して爆強せしめ、北(物凄い光景に敵手左姻に巻い て身を院したのである。

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術と 口約 て差支へたい 。 但し、蹄正の鼠の術は失敗して、弾亙は更に姻の術を起して遜れたと



一言はれてゐる。焔の術 は火 薬 である、高一の用意に火薬を懐中し、敵の包閣に遭った 際 、之に

北ハ問に自身は、同じ警街者の服装をして殿中氏入り、所要の目的を淫したとすれば、之は鼠の

仁木勝正は日頃鼠

注すると いふ事は出来る 。﹂

も の で な い 。 但 し鼠や蛇を使って人の目をくらまし、心を迷はす、主ハ際に乗じて忍術の目的を

釘する件は単純である 。 ﹁あれは文撃者察術家の祭想の所産 で、資際、あの通りの事が出来る

﹁あ んな 本 は 、 質 際 出 来 る か ?﹂といふ好奇 心は誰しも持ってゐるととであらう。だが、之に

で、鼠に 乗 り、蛇に一乗ったあの形である。

い ふに足 りぬ事であ る。世間一般が期待する忍術といふのは、芝居総にした忍術者の印を緒 ん

但し、とんな事は単なる猿備行動であっ て
、 誰れしも が策が付き、民似られるので敢て術と

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1
6

利用して、人の 家に忍 び入り、財費を奪ったといふのであるが、 之 を 文 皐 者 を し て ﹁ 鼠 と 化 し

た﹂と想像の畿を揮はしめたのである。つまり擬音に依って人を鼠たりと忠はしめたのである。

之を芝居がかりに想像化すると、鼠小借、鼠と化して舞牽を走り廻り、 賛 を 吸 え 逃 げ 去 る と い
ふ場面を現出して、観客の好奇心を満足させるととにたる。

同じ事に、犬の術といふのもある。之は、忍者が危地を除して逃ぐる際、巧みに犬の鳴き務

をして、附近の犬を呼ぴ集め、北ハ身は治早く遁逃して姿を消す。被害者側の人迷が騒いで山内て

どっち

見る頃には、犬が往来に鳴き吠えてゐる o 扱ては‘彼の賊、犬に化けたかと、北ハ犬を取詰める
といふととにたって、長物 の犬と そ災 難である。

,次に大蛇丸紅どの蛇も、文患者 の空 想 から 捕か れたもので 、忍術 者 は 能 く 蛇 を 馴 ら し て 懐 に

入れ、之を放って燈火を消し、叉は女中の溜りたどへ放って仰天せしめ、大駁ぎをして居る際

に、出入商人か仲間風に装ふて難たく其家に入り込み、主人の首を掻くとか、物を取るとか自

か 守松 山 ﹁ ま

1
7

分の目的を達するのである 。

北ハ他、霧際才械は、蝋次を撒いて敵の目を潰した。猿飛佐助は身儲較援にして、木氏小川川閃


とも 一
言へるであらう。

よじ

結火器、探附⋮燈、妖怪愛化にばける矯めの道具。それから 、忍び込みに妥する道具には 、細砂
かぎなb

子の類、簡箪た竹梯子、釣純 (
之は高い蕗へ引ツかけて北ハ細に捉まっ て禁上る﹀ 、水を 波る迫具
など、 一として 備 はざるはたい 。

由 来 、忍術は、隠身術、遁と・身術と見たされてゐる。それで、忍術者が雨手を胸の鹿へ纏って

之ん

併 し 、 人 聞 は 、 死 た Lい 限 り 土 に は た れ な い 。 回 地 や 断 崖 に 身 を 付 け て 、 暗 夜 這 手 の 目 を く

土 金 水 の 五 迩 と か 、 い る /¥tの遁身術が俸へられて居る。

どん

州民ふといふ 、物 凄 い 場 合 が 現 は れ る と想像されたものである。そ とで天地人の三 遁 とか、木火.

現はれて 、忍者を 乗せ て天に 昇り 、地に 潜り 、 践腕 と姿が消えて 、後には腹風 一陣、鬼気人を

何か況文を唱へる、 il即ち印を結ぶと忽然として共鹿に妖術が現出し、各自の好みの禽獣が

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されば忍術家は智惑を絞って、 いろ /¥tと物迎化勝一上の褒明をした。毒瓦斯、毒薬、火薬 、

4

或は遁走に 、

柳費不思議 と見せかける業をしたのが忍術者の特色で、 一寸人間離れのした妙術

様、堺でも屋根でも飛び渡っ た。凡 て、物を利用し、我が精⋮仰を 統一 して、 或は忍び込み に


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らますのが土遇、水中に潜って首ばかり出し‘頭に枯卓でも被って居るのが水遁、木の洞に隠

れるのが木遁といふ風に考へると、此の如き遁身術は、日常誰れしもが行ふ事である。唯だ、

忍術者は、そとに普通以上の工夫を凝らして常人の考へ及ばぬ庭まで淫したのである。前の天

ゐおく

地入の三遁とても、天遁とは気候、人遁は風俗人情、地遁は地理に通じてそれを利用する意味

はか申ご i
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、 諸 葛 孔 明 が 上 は 天 文 に 通 じ 、 下 は 地 理 に 熟 し 、 紳 機妙 算 、 錦町を怜蛭
と解間作されて居るの で

ひっ舎よ5

の袈に淫らし、勝を千里の外に決するたど は、矢 張り天地 人の三遁にも賞るもので ある。

草木

とんた風に考へると、三遁といふも五遁といふも畢寛同じ事で、仮りに分類をして見た丈け

の事 でる る。人間の智惑を働かしたら、森羅寓象 、 取 っ て 以 て 我 が 利 器 と す ぺ き も の殺げて数

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へがたいのである 。 十遁、百遁、千遁、高遁限りたいのである。そんた手数た勿憾らしい事を

いふ要はない、忍 術 は高物を巧みに利用せよと 言 へば足るのでるる 。 以下、此の利用訟に就い

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芯先 り に お 一 の 杉 の 木 に 飛 び 付 き 、さ な が ら 木 登 り す る や う に見せ掛けた υ が、之は 敵 を誘 ふ

しゃうがな しゃうたもの であるが 、此 際 、 彼 に取 っては、回定が唯一の綴りである。紋は、章太

怨した ο 此 時 闘 に 入 っ た も の は 、 前 前 に 二三本の杉の木立 ちである 。 此の杉の木をどうも

川Mb

叉放 に 一人 の忍 者あ り 、 不 窓 に 敵 に 出台 っ た とする。岡山訟を見 ても隠れる場所はたい、はた

ある。

在隠したといふのも、訟十る嵐之れ叙道から来た事であるが、 一両からは木を利用したもので

太にぴた り と 身 を 附 け て 巧 に 人 の目 を一時ますのもある 。坂 原ト俸が宮 本武蔵 を相手に鍋益で身

たて

宇 っ と 巡 ん だ も の に な る と 、 上 州 館 林 の 板 女 の 様 に 、 一枚の板に身を 隠 したり 、叉は 一本の丸

、 之が
たり、 あ る場合には 、開や 家 に潜 んで北ハ身を金ふするのも一一般の木の利用である。併し

やしろ

中へ潜る 。叉 木へ 隠れる 方法も津山に ある 、立木 の茂みに隠れたり、綴朝の様に木の洞に隠れ

る惑をば忘れたい。草を利用する事は津山にある、先づ草の茂みへ隠れる、草を被る、枯草の

人間に手近いものは草木である。到る庭木や草のたい虎はないのである、忍術は之を利用す

て理論と質際を柏町して少し漣ぺて見ゃう 。

20

計略であるから、如何にも手軽に殆んど敵の限に留まらぬ位にして、北ハ依すっと木の後へ廻り、

一気に次の木の後側 へ廻り込み、 更 に敵の見 えない 方向へと 背 迭 す る の で あ る ο

底が之を敵の眼から見ると 、大愛複雑な場面に怒る 、則ち 相手は木へ登ったと思ひ、兎に仏川

後、返するのである勺かく敵の
/ ¥h

け を避け

のである 。 かく
上の 校の方へ目を注 ぐ。 然るに北ハ時には、忍者は己に第二の立木の後へ走った、
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して 敵が再び地上 に眼を勝 じない中に、 自分はや ん

て背進 ずると いふは、忍術の上には 最も 大 切 た 事 で 仲 々 六 っ か しい 。 然 し 筑 を 付け 工点ずれば
決して出来ない事ではない。

それから門とか 塀の庭 で、他人の限から 耽 け ゃ う と す る に は 、 ぴ っ た り と 背 中 をほ併に つけ

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成流れの歩調で 、静 かに反 釣 の 方 向 に 外 れ て 了 ふ の で あ る 。 此 の 横 流 れ と は 、 了 皮 蟹 が 這 ふ 抜

に筏に沙むのである。是は背がら忍びの歩調と 一ロって 、忍術 者 は 卒 常 か ら 此 の 歩 み 方 を 線 科 し



て居るのである。是に慣れさへすれば、速度も平く身髄も疲労が少ない っ そ して、 此の械減れ

2
1

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やると 、前商に敵の様子を見 て居て 、後 に は 、 何 か 身 初となるべきものを伽へた形になり、

1

忍者の必伊勢 としては理怨的である。

則されるのでゐる。

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投 に 、 辛 く も 草 の 中 へ 潜 っ て危険を免れたたど、何れも本の利用であっτ、是等は 誰人にも舷

石橋山の合戦の際に、木の洞へ隠れた事や、大塔宮が終植の中へ隠れた事や、家康が茶臼山の

ぴつ


、 ゃん/X跳 ぶ が 如 く 歩 む 事 は 出 来 、 普 通 の歩き方よりは徐程便利であ る
。 彼の源頼朝が、

る。更にまの足を前回通り右の方へ大きく捻り出して、再びX 形の足たみにたる、之も慣れる

になるから、今度は右の足を忠ひ切って同じく右の方へはたける。共時足は全く入の字形にな

此の横流れの歩み方といふのは、先づ左の足を守っと右の方へ捻り出す。すると雨足はX 形

あ れ ば 何 ん で も 火 影 さ へ あ れ ば 、 容 易 に 行 は れ る の で ある。


の人物であるが、併しあれは、資際に行はれ得る践を馬琴が巧に取入れて生かしたもので あ る

次は火の利用に就て考へて見ゃう。入犬俸に出る犬山道筋といふのは、本来作者馬琴の怨像

町内



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震際の例 を一ツ 一示すたら 、或時一人の 警官が 、夜中一人の 怪しい男を揃 へて 之左村端れの駐

布所へ 引立てやうとした。途中迄 来ると 、暗い 道端に作んで居た若者が、不意に。ノツと燐寸を

υ警官は驚 い
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て、﹁ あツ失敗った ! ﹂と叫びたがら 、無関に 駈 け出した 。共後から件の m

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市った ので、 警官は忠 一

ホ ふり返 る途端に件の怪 しい男は、する り と 手 を 抜 け て 何 れ へ か 消 え
失せた

は傍の樹の蔭からのそりと立ち出て 、警 官 の 後 影 を 嚇 笑 し た が ら 、 跡 白浪と消え失せた。

それか ら 二 三 年 経 っ て 、 此 の 男 が 警 察 の 手 に 捕 へ ら れ た 時 、 自 炊 し た 庭 に 依 る と 、 彼 は 、 習

ふともたしに火光を利用したもので 、前の 斡{呂をまいた時など も、不 意 に 閃 い た 燐 寸 の光 に 警

官が一瞬の気を取られた隙に 、逸早 く共手 を 抜 け て 、 彼 は 共 僚 、前の め り に 足 元 の 草 の 中 へ 隊

げ込み、 一二聞を這って樹木の根元に身を 滞ませたのであった。廃が、 一・方拡叫ん日の方では、火

の光に鰐いて、 一寸精紳が飢れた底へ、曲者が抜け出したので、愈んバ混飢し足 一冗へは気 が付か

十、隷もたく駆け出したのであった υ 此 の 庭 が 、 犬 山 道 筋 と 犬 川 薙 助 の 像 下 と 同 じ 事 に 怒 る の

23

である 。


畑の利用 とい ふ事も、多くの場合 、火の利 用 と 一 致 し た も の で あ っ た が 、共の趣きに至って

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して む
m いて、い ざ と い ふ 場 合 に 、 特 定 の 事 物 を 故意 に出 現 せしめて夫を使加する 事 をいふ。

柏ほめ北ハ応へ現はれて来る何物かを設 期 し て そ れ を 利 則 す る と か 、叉は自分で何か特別の準備を

共 応 へ 現 は れ て 来 た も の を 捉 へ て 、 そ れ を 原 則 通 り に 利 刑 す る の で あ る 。 自 動 的 と は 、自分が

は欣て求めもし・なければ激矧もして居ないが 、何ん でも茶践に現はれて居るもの 、叉は明監 に

と{
lg

動 的 事 物 を 利 用 す る と と 、 こは自動的事物を利用 す ると とで ある。他動的といふのは、自分 で

とんな事 か ら し て 、 忍術者は、常に こ様の準備を心 の中に持って 居たくてはたらぬ。 一は他

と後とに行動するから丁字形にたるのである 。

令には 、叉 夫 に随 って方たり左 たりへ身を運んで 、敵の脱線を発れるのである 。斯う して左右

民むに 立 ち騰って居るとすると、敵を正面 に取 って 後へ返るし、叉、畑が左 方何れかへ膨く場

北川人に惚術の心得が出来て居たら、此法を行ふに左まで肉難を感 じ なからうと忠ふ o恭し州が

ないのであるが、共の径とれは縫資な成絞を牧め得らる与ので 、十分 興味ある研究 に腿する。

は秘極的であり後者は治桜的であり 、北ハの気分が大い に異るのである 。畑の百例は 、絵り様山

は飴料 集(る。即ち火の場合は、 いづれかと一一一一口 へば動的 であるのに、姻の方は 静的であ る。前者

;

24

故に焔の利用の場合にも、共庭に焔の無い場合には、自ら求めて共慮へ畑を現じさせる。北ハ

方法としては、或は火薬を燃やすとか、 或 は 次 へ 石 次 を 交 ぜ た も の を 爆 獲 さ せ る と か 、 又 は 或

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る仕かけの中へ入れてある瓦斯を放散するとか、種々の方法で北ハ目的を達するのである。此例
の利用は 、忍 術として極めて興味深い 。

失は熱の利用であるが、之は火熱を要するものであるから、共感用純国は犠めて狭く、

特殊の場合の外は、殆んど使用する 事 がないのである 。併し 綿
製形的臨服用は却, R庚いもので、

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υ市 井 の喧嘩沙

極の興味が あ る。 一例としては、源義靭が最後を途げた長田の風呂覚め 、 橋 正成が長柄桁何の

熱湯攻め、たどは 設も名高いもので、此径の際問とし ては卓出したものである

汰に見ても 、沸え 立 っ た 織 瓶 や 薬 錐 を 投 げ 付 け た り 、 火 鉢 を 投 げ 付 け た り す る の が 能 くあ る

之も熱の利用と山 同へる。

ll之は忍術 の方では能く用ゐる もの で、熱の利用に比してはやっと償値 ある υ

,次に火の利用

機舎にして パ ツと・自身 の姿を隠すのである 。的 ち 之 宇一

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のに

何でも少し の光があれば、直ぐそ れ

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川する場合には、刀で石をが ツし と 切 り 付 け た 梨 却 、務叫︿と飛び散る火花を利川し たP、叉 は

争~l

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bる。 併 し 其 の不便が・める 丈けに、 いざ之を用ゐるとたると、却々

少し用術上の不便は -

故 に 茄 し 敵 が 一 歩 で も 身 を 退 く と 見 れ ば . 直 ぐ 電 光 の 如 く 突 込 むので、とても退く事は出来た

から 、 双方の作意は以度に飢(杯附されて居る ぜたとへ民の樹夜とは言へ、敵の 一進 一退伎 は判る。

し、共の 事 の 可 能 性 丈 け は 十 分 認 めて宜 しい 。 此 場 合 、道 筋 は、敵と波り合って居るのである

融向山間せざるを得たい。前にも一一一ロった通り、入犬侍中の豪傑は、馬琴の答想の人 物で あるが、併

た利那、 ふっと姿を掻き治したのである。共機紋な動作と手際の精細・なのには、 何人も あっ と

八 犬 俸 の 犬 山道筋 の 場合 な ど が そ れ で、彼は銭と石とか拍摩してカチリと一閃の火花を獲し

回総出しい働きにたる ので 、 他 の 方 法 で は 迎 も 得 ら れ な い 妙 麗 もあ る。

危い

いふ一つ の現象が入 用で あっ て、前 の木の様に 、何時でも何慮でも自由自布に行へるとは以ら

以 上 、 焔 、 熱 、 光 た ど 何 れ も火の部に 入る のであるが、扱て此の火の利用といふ事は、火と

ふのが此法の長所とする魔で ある 。

灯の光で も流星の光でも、凡て明援に愛した光を利用して、北ハの 一瞬に、逸早く身を 隠すと い ‘

‘ん

mの光でも、街
双 方 互 び に 挑 み 合 っ て 居 る 時 、 パ ツ と 一 道 の 大 光 閃 く のを利用したり、或はがm

忍.

2
6

ぃ。其の危念の場合に、何かばっと一閃の火影でも見えると、相手の眼底に突褒的刺戟が入る。

英一瞬峨力がくらまされる。其の機を利用して附撲に他へ身を退いて了ふのである。質際此の

瞬間は、相手の限が盲にされて居るから、其時に正商を 突破 し て も 、 決 し て 自 分 の 姿 を 認 め ら
れるやうた事はたいのである。

火の利用の 安際上最も規模 の大きいのは、日本 武 牟 の 来 夷 征 伐 の史 資 である ο傘 が 村 野 の 事

を 焼 か れ た 際 、 反 釘 に 此 方 か ら も 火 を 放 ち て 焼 き 立 て 、遂 に 凶 賊 を 燐 減 し た な ど は 、 最 も 大 き

、 傘 の採用した の は 此 の 陽 忍 に 相
た方法に 属す る。元来忍法には 、陽忍と陰忍と 二つがあっ て

営する 。陽忍は所謂表忍術と稽 す べ き も の で 、 陰 忍 は 裏 忍 術 に 相 蛍 す る 。 言葉を換へていふ怒

らば、我身を 現はして 尽た がら・身を 枕するの は防 身 術 の骨子であり 、且つ其の 行ひ方が如何に

も正々堂々として居るのであるから、之を稀して表 の術といふ 。 叉徹頭徹尾 姿 を現はす事をし
くら

ないで、飽迄も相手のRを臨まして此方の身を金ふするのは、 つまり裏の道を行くので之を装

2
7

と稽する 。


釘4

だが 、最も確 笠 た火の利用法としては 、ど うしても基礎 を科 事 の 上 に 置 か 忽くてはな らぬ。

館も

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り は 焔 の 流 れ に 随 っ て走 る の で あ る 。

そ遺ふ やうにして 、 反 針 の 方 向 へ す っ と 走 り 去 るのである 。 が一宮ロム迄も たく此場合 、出来る間以

っ て屠 る扇子 な り 手 布 な り 在 、 反釘の方面にぽんと投げ上げるが早いか、 じー と身を沈め て地

は 忍 術 者 が 極 秘 す る珍 重 の武器で 、思腕然た る音符と企ハに、ばツと稜する火光に乗 じ、自分 の持

一一つの中で最も 重要たのは畑集である 。之
閃んたる火光と漆々たる姻祭とが現はれるが、此の 一


と、
用する 。 共 利 用 法 は 、火薬を小突然爆税収させるので あ るο 此 の 場 合 には、必守録 然 たる 管 制

とす る。迫 も 誘 常 手 段 で は敵 を 制す る事が出来危いので あ るか ら、設て別意の火薬を此際に 利

今 火 梁利 用 の 一 例 を騒 ぐ ると 、設に 一忍者 あ り、人跡もたい 雌で 忠ひがけたい敵に出合 った

あれば、 忽ち之 を 利用す るの であ る

何 鹿 にで も、火といふ 事 を忘 れては ならね じ雲光石火 危 機 一髪といふ場合 に、少 し でも 火気 が

あ り .同時に管際的功用 は驚嘆 に値 す るもの があ る υ故 に火を利 用 せんとす る釈 の者は、何時

応用 されたの であ る。 それは 初め て技術的 でも
モと で忍術家の 一秘法 として 、火 薬 たるものが -w

沼、

28

橋を破議して立 ち去るのも此の法に属する。

、敵に迫びかけられて、売れる除地がな

戦殺 の際などに多 く陪服
用 される。 個 人 の 場 合 に 時 と し て 際 刑 さ れ る 事 が あ り 、小 さ た 丘 や 凝り

次 に同じ土地でも .山と か 穴 と か を 利 用 す る 法 が ある。 多 く は 山 野 の 取 り 還 り に

mゐられ、

て駆け出すとかいふのが 、 とれである c卸 ち 、 車 鞍 を 逆 に 穿 い て 逃 げ 出 す と か 、 途 中 の 小 さ な

、 却 て 反 到の 路へ走り去る とか 、 父 、 何 か 道 に 隙 碍 物 で も 治 っ て 泣 い
はっきりと付けて置い て

bれば、 一方へ込跡を
い場合、足元 に講でもあれば 、共 中 へ 逸 早 く 潜 り 込 ん だ り 、刀︿悶辻でも-

之は土地の利に 依 って 身 を 遁 れ る の で あ る 。 例 へ ば

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土を小椋に取った り、足 元にある穴に身を隠したりするのである。

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9


会憶にいふ と、土の利用といふ 読は際 加 の 区 域 は 非 常 に 僚 く 、 共 の利則法定しきを得れば、


最も安全で且つ確寅た功果が牧められる。土砂の際用といふ事は最も手近かな方法で、小さい


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土は脆いもの故、北ハ依パツと 崩 れて 、 多少 とも 敵 の目 に入 るから .共瞬間に治早く 身を

む 吃 の知 く 身 を 遮 れ る な ど は、 光り の利用で ある と 同時 に又金の 利用で もある

。 更 に叉相手の


て 金 地 憾 の も の を 忍 術 にMmmする のである。 刀 を ぴ か り と光らせ て敵 の白 をそれに奪 ふ際 に

総 じ て此 の 金 の 利 則 に は 一つ の機 智 が必要である。 創 ち蛍意 的妙の 頓 智が必要で、 之 に依 つ



制侍 す る 庭 が
、 ま さ に 土 の 利 用 法 の競 争 であった。

十 の 隣 町 は 大 し たもので 、世 界 大 戦 の 如 き は、土鼠戦と 迄 言は れた 。院大友新民畿を 作って 雨


反釘の方向へ飛ばして了ふので あ る

ける

投げ 付 けるとする c敵 に 務 め 共 の 意 あ れば 格別、 さもな いと十中の 八九、吃度酎 上に土を .

m

場 合 な ど は 、 遁 営 危 挺 身 法 で あ る c 今 、敵 に 出 舎 は し た 場合 、直々と足下の 土を取 ってばつと

塊の土も大き危働 きをする ο 土 は或る場合に は最も通貨な臼 演しとも 怒る ので あ って 、念た
一一

窓、

3
0

A U一
P 鋭す方法としては、其漫に鍋でも釜でも銭瓶でもあったなら、石たり木たりで力をい側めて

モれを叩︿のである 。此場合、相手は、はっとして一瞬英方へ目を 料 守 る か ら 、北口虚に乗じて

フイと傍の方へ身を反らせると、 一時此方の姿は相手の限から消えるのである。

更に金物の利用として偉へらる Lのは、左の一例である。之は、機智頓才に依って危 念を沼

れたので、誰人にも行へる事である。或家へ一国の慈漢が不意に製ふて来た。主人は此の形勢

に営惑したので ある が、沈着な労で あり多少 忍術の心得もあったので、気を落活けて倣の誌を

掻く用意をした 。先づ 手況 の机の上に あ る文銀、小刀、それから火鉢の中の火籍、床の間に在

った 合属性 の置物、 香焼など、大念ぎ取り集めて 、そ れをがちゃ/Vと鳴らし・ながら、自分 一
人であるのに、
﹁さア皆た 一緒に出ろ、構はんから片端か ら這 つ付 けて了へ!﹂
と叫んだ 。悪漢共は是は意外と驚いた、
fk

31

いかん

﹁不可々々、もう防ぎが 付いて居て、 大勢居るら しい。刀 たども持 って居る、之は配艇にはや
れん﹂

る事は、 却々の思ひ付きで あらう。

/ ¥h姿を潜めて居るの も 、 日 頃 の 水 練に依っ

彼 の 鳥 井 又 助 が 姫 川 で 加 州 の 大 守 を 刺 したなどは 、此術 の妙である。

海 中に 投じて 、波のまに

て出来る忍術の 一手で、

に 場 合 々 々 に 膝 用 す る の で あ る 。 あ た や と い ふ 場 合 に 、前面の判中へ飛び込んだり、叉舶から

之 は 水 無 を 利 用 す る も の で 、 態 用 範 国 が 庚 い。河、海、池、井 戸 たどある 。 共 同の原則の下

つが一 m
m能 く 切 れ る と い ふ の も 嘗 節 の府県相であるが 、武術忍術の一手として銅貨の礁を使用す

げると一ツ位は命中する。目や鼻へ中ったら大した効果がある。正宗の費刀よりも、紙の沿さ

あた

銅貨怒り銀貨怒りを密と握って、それといふ時、敵の顔へ叩き付けるので 、 =一ツ問ツ一絡に投

をつ

も一つの金の利用は、之とそ本営の金で、九相銭を北ハ億利用するのである。即ち懐中して鰐る

と顔見合せて、やがて共俊波数して了ったといふのでるる。


32

一人の正直た若者が、数名

、悪漢北ハは、際問もたく迫っかけ

井戸を熔用する事に付いては面白い話が多い。曾て或る旧舎で、
の無磁波 に要せられて図った 。 兎 に角、逃げ出 し て は 見 た が

る、若者 は 封絶命、見ると路傍 に 井 戸 が あ る 。 彼 は 井 戸 板 の 下 に 在 っ た 手 頃 の 石 を 抱 き 上 げ


て、どぷんと井戸の中へ投げ込み、穿いて居た草履を此ハ慮へ棄て、北ハ身は 逸 早 く 地を 這 ふ 様 に

あツ 、草履が股ぎ楽てもムある。﹂

して茂み の中を走り抜けたので ある。 這ふて来た怒漢北ハは井 戸の 水管を開き、
﹁ゃッ、野郎井戸へ飛込 んだ f

と、罵りたがら、寄ってたかつて井戸の中を覗き込んだが 、 中 は 暗い か ら 直 ぐ に は 見 蛍 が 付

かない。それ とれ としゃ べって居る聞に、若者は難たく逃げ終うせたのである。


%来此の水の利用といふのは他の方法に比して昨応用 が 比 較 的 困 難 で も ある。 何前 ならば 、是

はどうでも水線透者 とい ふ 事 が 保 件 と さ れ る か ら で あ る 。 水 練 達 者 で な け れ ば 、 発 会 に 水 を 除

、Jo.)

用する事が 出来たい道理である 。彼の兇 徒 たどが、 警 官 の 乎 から枕する のは 、能く此の遁法を


やる 。 敵に治 ひ詰められて前方に水漫々の川があるとたると 、能くぎん ぷと.飛込んで 、姿は見

え宇佐りにけりといふのがある。


だたら、共遜に鼻と口丈け水面に出してしばしいん一 hして居るのもよろしい 。陸
pb

hy
次第、傍にある物を水中に投じて、ばツと水紋


苦 手 と稿するもので、北川通の場合には際用する事を紫じら れ てb る

ぐ 。 共 の 一 瞬 間 を 利 用 して、 更 に 第 二の攻 勢に出づるので あ る。是は、忍法の方では、最後の

械 、 無け れ ば 手 近 に あ る 水 を 利 用 し て、不 意にやるので あ るから 、相手は、はっとして後退る

た巴

尚 一 つ の 膝 用 法 と し て は 、 水 を 敵 の 面 上 に 注 ぎ か け る の で あ る 。 強 め 用 意 した水が あれば結

が 立 っ た 底 を 逸 平 く 、 自 身 は敵 の 手 を 免 れ て 身 を 隠 す の で あ る 。

は巳に敵の手中に陥らんとする際、何か手蛍

も一 つ水を利用して敵の限から股ける方法が あ る。そ れ は川でも地でも湖水でも何でも 、身

カから陸へ上 っ て、一也ぐ掌の中へでも隠れ て居ると宜しい c

て、下の方や向ふへ 駈けて行くのが人情の常である 。 共聞に此方は浮に付い て寧る少 し上流の

の方では、 ﹁や ッ、 飛 び込ん だぞ、下流の方へ直ぐ廻れ﹂とか﹁早 く 向岸 へ廻れ!﹂とか 畳


水へ飛 び込

だが、首尾能く水の中 へ潜ったとした庭 で

ま L荷一ぐ何れかの 地 結 泳ぎ附かうとするの




は、寧ろ不得策とし て避け-なければならぬ 。相手が 一人 か二人位の 少人 伽俄である場 合 は、第ろ

m
必A

34

天象

事が出来 るのである 。

叉、風とか雨とか、 四国とかいふ天象も 古 く か ら 多 く 問 ゐ ら れた。 烈 風 の 日 に 敵 を風下へ取っ

て火を飛ばすとか、叉今日の鞍術の如く、毒瓦斯を浴せかけたりするので、斯くの如きは、

寸した思ひ付きの様で あ るが、質織の場 合 に は 意 外 の 大 功 を 牧 め る 事 が 出 来 る 。 雷 鳴 忽 ど は 故



.

られて、判然と相 手の動静を見る事が出来な Lから 、北ハ弱貼を利 用 し て 、 自 分 は 忠 ふ 健 に 働 く

, にして立つのである ο 此 の 様 た 場 合 に は 、 敵 は 太 陽 の 後 光 に 目 を 射
場合には、自分は太陽をV

我々が通常に知って居る天象を、最も巧妙に且つ機合的に利用するのである。例へば円中の

も際どい隠用でるって、雷雨の音 などが劇しい時には 、北ハ撃に紛れ て敵の手元へ附け入 ったり、

3
5


の日には白装束で敵の限を掠めたりする のは 、数々用ゐられる践でるる。

所謂天象を熔則するととは、忍術の 中でも極めて高山内たものと目されて居る 。抑々 も人間は

舷も

も北ハの天象の愛化を利用した忍術物語りの、華々しい場合を飾るのである。


に 呑 ま れ て 四 設 は 再 び 関 黒 と な っ た の で 、共 の ま L姿を隠して了った﹂といふ様なのは 何 れ

じて姿を治した﹂とか、 又は﹁互 ひに秘術を蒸し、火花を散らして鞍ふ折しも、月は一陣の雲

渡った径が忽ち鎮祭に蔽はれ、天地忽く晦冥とたると北ハに紫電一閃、さツと降り来る大 雨 に衆

伐に忽然即断雨の来る事を渓想して二仕事をするといふのもある ο﹁今迄晴れ
する嵐で、晴れた w

も 、 上 は 天 文 に 通 じ 、 下 は 地理 に熟す とま固いてある c故に天象を利用する事は 、大智者の能く

一方 叉 、 熱 闘 で は 、 夏 季 を 利 用 して 、懇関の兵を図らせる といふ手も あ るコ普からの兵蓄に

るο を く 政 義 に 於 け る 天 後 利 用 で あって 、震に 大 き な 規 模 を 立て L居るので あ る。

を 利 用 す る 。 之 は 、 自 閣 民 は 、 怒 気 に 馴 れ て 照 る か ら 、 熱 閣 の 人 間 在 囚 ら せ る 一つの方法であ

する事で、例ぜば、彼の露関亙といふ閣は、普から外閣と戦争するには、能く般多風雲の気候

の故高頂に達したものと言へる。今それ、天象利用の標本ともはるべきは 、天候の餐化を路用

惑である。放に天象利用に遁十るといふは、やがて忍術の奥伎を'
件付したもので 、忍術的技能

天を紙き、 地左踏むやうに出来て居る ので 、此 の天 を利用するといふ 事と 、共の範悶は際大仰⋮


36

石と土の利用

石は仰れの尚加にも容易に得られるものであるから、此の際用範聞は甚だ民い。例へば、哨法

M
けったとする。手早く 二 ツ 三 ツ の 小 石 を 拾 っ て 敵 の 川 上 を 望 ん で 投
の場合 、思ひがけぬ敵 k mA

げ付け、敵がb ツ と た じ ろ ぐ 問 に 、 治 早 く 身 を 隠 し て 了 ふ の も 忍 術 の 一 方 法 で あ る 。 更 に 、 必

震筒、石鳥居 、石橋 たどを利用して巧に自分の姿を隠すとともある。

裁に人あり、不闘敵手に認められた場合、此方に何んの用意も健悟もたかったら、必然敗を

取る事とたらう。若し、不断の用意あり、注意を怠ら訟かったならば、如何なる場合にも、関

々と'献に討たれるものでない 。 彼 の 心 は 逸 早 く 、 地 上 の 何 物 か を 利 用 す る 方 商 に 注 が れ る の で

ある 。 土、石 、橋 、 塚 、 丘 、 樹 木 、 邸 宅 、 澗 堂 、 川 流 、 穴 、 溝 な ど 、 到 る 鹿 に 利 用 す べ き 材 料

話7

は、有り鈴る怒多い のである 。 地 の 利 を 取 る と い ふ 事 は . 天 の 時 を 得 る と 同 じ く 、 兵 法 の 極 意

であり、同時に庚義 の忍術で あ る 。 地 の 利 を 取 る 時 、 そ と に 、 能 く 、 総 天 動 地 の 華 々 し い 活 動

叡-

た も の で あ る 。 手 拭 を 蘇 扮 染 め にし た の も 此 意 味 で あ る 。

ナー・ 3ぞ

普 から の 忍 術 者 は
、 其時と相場合 に態じて 、衣 服 や 被物 や 、 携 帯 の 武 器拡 ども充分 に注意を挽つ

機 か ら 見 る と 、 草 原 と 区 別 が 付 か 訟 い の で あ る 。 背渡へも比の卒袋を被ぶせる様にし てある。

に縞み 袋 を被り、 いざといふ時には、此の編み 袋の 中へ草を 一杯 に入れて被ると、ん会中の飛行

隠すので ある。 叉 此 頃 で は 、 飛 行 機 から直下に 見付 けら れ る の を 防 ぐ矯に、兵士は 、精子の上

る。 軍隊のカ 1 キ 1色服の如きがそれで、遠方から見ると、土の色と紛れるので、共の所有を

此事は、 忍 者の 小さい 掛 け引きの聞に 行 は れ る ば か り で 往 く 、随分と 多方面に態用されてあ

いふ事であっ て、動 物 の 保 護 色 と 同 じ 関 係 に立 つものである 。

いふ 事がある。 つまり 是 は 、 自 分 の 身 を地 の模様と か、周園の事物とかに同じ様にして了ふと

忍 術 の 一 大 賀 典 で あ る 。 同 化 と い ふ と 難 か し く た る が、昔から ﹁紛 れる ﹂とか﹁似せる ﹂とか

且 つ、地の利を 臨服 用する一事の中で、大切たる一 方 法 は、地に同化するといふ事である。之は

を 現 出 す る事も 出来るのである。

夜 縫 な ど の 、 好 ん で 黒 畿 東 で あ る の は 、 脅 か ら の定 りであ るが、主 と し ℃夜間に仕 事をす る

33

彼等には、是とそ全く忍術の法則にはまったものである。民の閤でなくとも、黒荻束で限かに
地上にしゃがんで居たら、容易に人の自に入 らぬのである。

生きた人間の利用

なれおひ

人間を共催忍術に利用する。其中の反問 策 といふのは、世間の馴ムロひ喧嘩の如きもので、共

のどさくさに紛れて二人とも次官を 隠 す如きである 。反問術の愛形 として背肉策といふので ある 。

是は自分の身左苦めて、身を股するので ある。例 へば、今甲は乙の 震 に捉へられんと する切迫

諮った場合 、甲は一つの普肉策を行ふのである ο 印 ち 、 最 早 此 上 は 仕 方 た い か ら 、 線 紺 の 辱 め

に舎はんよりは、寧ろ潔く自決すると見せ、 双肌股いで短刀を我が腹に軽く突き立て、少しば

かりの出血を見せる。乙も意外 の感 に打たれて隠路す る胞 を 、 却 て 共 の 短 刀 で 乙 を 突 き 刺 して

:
39

菟れるといふ様た事をする。


も一つの人 身利用 は、他人の身を利用して我が安全を園るのである。敵の家へ忍び込んで褒


h
q
e
怒って、之を他の通行人なり仲間怒りの扶

働く者北ハが

bq

へ忍 ばせるな ど

併し之も時と場合で膝用に

がま

wpら

似のが多い。見富也が、北越寺一れの津 で賀子といふ忍子に鈎変装して 、強慾代官を 誕か した のも

みこた

雄日匂がある。叶一間一般に知られた質例は 、例の安宅闘の緋度であるが、他にも忍術には 之に類

U
︿什八刀が或者の民似をして危地を脱するのは面白 い方 法である。

劣 で あ っ て は 、却て 反 釘 に 利 用 さ れ る 廃 れ が あ る の で 大 いに注意を製する。

ある。 此方 法 は 一 寸 岡 純 で あ る が 、 う ま く 行 け ば 効 果 が 大 き い 。 併し第三者に釘する手 段 が捕

もそれであ る。或は、釘 一


者 と敵手とを 機 合 的 に 衝 突 させて、共際に自分は脆州する事たどで

能くやる手で 、す りが 、人の 財 布

り第三者を符来って敵の眼から股れ去るので 、機聴を要する 人込み の中で、慈事

であるから、中々興味がある代りに、叉 一歳の品目も折れるが.共成績も 面白 いので ある。つま

元来人身利用の主眼とする庭は、人といふ活物を利用して 、夫 に依って 第 三秤の眼を船ずの

の入賞とするのである。之などは、十分に心身の鍛錬を積んだ者に行はれ得る。

見され、 一身危険に・瀕した場合など、北、家の妻女とか 母と か子とかを逸早 く怒っ て、之を眼前

との租の方法である。児一首也は、忍仰 に於ける古今の達人 で、特に共の蝦基の術の精妙は他の

4
0

m


迫隠を許さぬ白地で あ るが 、共の 忍術 的際用は、時として 蝦 墓 の 術 以 外 にも種々の妙 用 を示した﹄

、支那では後譲が茨を

、、
なめ くじ なり を佼ふ とい ふに過ぎ守 、時 と 場 合 で は 、 変 化 極


.

、 主ハ
た隠 で
術 以 外 を 使 へぬといふωではなく 、
無論普から 、誰々は何の術に 長 じて居ると一
一言っ
唯だ英 人 の得 意 とし て蝦基たり
りた くあらゆ る術 を泡時適度に後現したものである。

彼の惑 七兵衛 景清の如 く. 魚鱗を目 の中へ駿め て非人 に見 せ か け た り

うどんや

容んで岡山とたり以 て人の目を腕ましたり 、叉 赤 穂 義 士 の 如 き も 、或 は 飽 鈍 屋 に な っ た り 、 問 屋

、 扇子屋にたったりして 、敵 の 綾 子 を 窺 っ た り し た の も 皆 た 同じ 熔用で あ る。 八犬
にたった り

俸の中 には、 彼の会餓大助が、乞喰と怒って身を潜めた と いふのも同 じ 事 で あ る 。 今 日 で も 、

刑事 巡採 など犯人を追跡す る場合 には、能 く 其 の 容 貌 や姿を竣へて 、何人 にも刑事と憎られぬ
J

、 蝋 細 工 で 鼻 の 形 を 鑓 へ た り 、 叉は 留 を被っ て鳴門坊主を綴じたり
やうにする。穏を生や したり

する のでbるが 、斯う巧妙に愛化されて は
、 如何怒る題渓も気が付か ・
?に居るのである。

~l

坊主闘にたるた ど は随分思ひ付きであるが 、秀吉が 四 天王位馬 に遁はれて 、辛 くも寺へ逃げ


込み、 早速興髪を剃り 、知らぬ瀕し て護 所 で 味 噌 を 抱 って 居たた どは、大し た忍術の妙諦であ

翻i


の術

bL
使 っ た か ! ﹂ と 言 っ て 、 呆 然 と四濯を見廻はしたといふのである。

hましく鳴

元 か ら ず っ と 駈 け 抜 け て 何 れ へ か 姿 を 隠 し た 。は っと焦が付いた温手の者は﹁アツ曲者め、鶏

いたので、退手の者の日が忠は十兆方へ縛じ た瞬間に 、北ハ宥はひらり身を齢へして、追手の足

彼は行きたり之を挺ヘボンとん企へ投げ上げた。鶏は非常に驚いて、 コケ / ¥とけた


/X工夫するが、制強妙計も出たい 。すると 、共施へ一一仰の鶏がチヨコ/X 走り出た ので 、

ぴ込まうとすると、辺製く家人に後見さ れ て、狭い庭の隅へ迫ひ詰められて了った。図 って い

巧 に 他 を 紛 ら す 底 に 妙 味 を 生 や る。之に就 て一つの面白い質例 がある。或者が、嘗て他家へ忍

烏の利用といふ事は、患に鳥類共物を除問するばかりでなく、叉烏の 仕方や様子をも真似℃

史記列俸の中広詳しいから此には略す。

る。支那でも、此の姿を錨混じて人を誌かした話に、例のお舷俸と有名た面白い話がある事は、



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4
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1

τ、
m に機合的事資をのみ利用する事に安んぜ守に、 更 に 数 歩 を 進 め
但し、忍術である以上、 単

如何危る場合にも自分に都合の好い機舎を作る事を心がけなく てはならぬ。郎ち汲め 仰な hy


ぴ 尚さ
二羽山なりの小鳥か、或は之に 類した ものを用意して、 いざといふ場合、不意にそれを ・

せるといふのが寧ろ積極的工夫である 。 小 鳥 位 の 利 用 は 大 し た 事 で も た い 様 に 思 は れ る が 、 事

貨は中々然うでない。普述、人聞は、小鳥が飛び出しても、 ふっと集を締じさせられるωが常

態である。兎に角其の小鳥の行街を一寸でも見定め るのであるから 、ヰハ滋に隙 が生やる 。北ハ 間


に此方は 敏挺 に身を隠して了ふので ある。 小 鳥 は 形 の 小 さ い も の で あ る か ら 少 し 共 使 用 に 憤

れさへすれば.築外の好果を 牧める一事 が出来る 。 忍術成めは 、火薬の燃に物凄い物の細川用法を考
へると同時に、叉此極小鳥の利用法等も習練したもので ある。

/ ¥1と飛び出して、






角 く安中へ舞ひ上っ たとい

小鳥で引合ひに出される話は、例の石橋山の木の、洞へ隠れ た 頼 朝 であ る 。 梶 原 景時が、此の

mの鳩がばた
洞の中へ弓を突込ん だ時 、二 m


・3

4
3

ふので、長時は﹁やア、鳩めが飛ひ出した 。 鳥が印刷る牧ぢや、人間は居まい ﹂と高初慨に笑 ひ出

長~

したので、他の者 も之に同じて共庭を行き 泌ぎる。鳩は 、頼朝ム+
俊の方で、猿め用意したもの


視t
続-

殺 し て 、 夜 中 に 人 を 敷 い た と い ふ 巧 妙 な 智 恵 で ある。小鳥の 軽妙た術に封して、之は鷲を銭烏

見せたり、首丈け鷲の似総を使って、徐の庭は、が山内で作り、 雲
一梯ひ や鳶形に作ったものを携

北ハ他大 鷲 の 術 な どい ふのが 、古 か ら 能 く 侍 へ ら れ る 。 併 し 、 之 は、鷲の剥製を頭から被つ℃

ふ の で あ る 。 之 な ど は 、烏の利用の設なるもので、手濡さ宇に敵を歎き絡へたのである。

ぬら

ず る と 、 近 所 の 鶏 が 皆 な 之 に 同 じ て 鳴 き 出 し た か ら 、門 務は夜が明けて定刻になったと忠び 、

.

.

.
門 を 闘 いて 通 行 人 を過 し た。 平良骨骨ハ・主従 、龍の あ ぎとを免れて無事本闘に陥る事が 出来た とい

コ ケコ lと高らかに箕似た。

、 絶 針 絶 命 の 場 合 、 従粁の一人に鶏鳴を山県 似 る事の名人が舟て 、

びたが、 夜 が 明 け な い か ら閥門が閉まっ て厄る 。 開くのを待って肘ては、突の這手に捕へられ

せつ 伶

ゃうといふ切場詰った事にたる。そとで従者諸北ハ 、夜中に遁走したのであるが 、守
幽谷閥迄孫延

に測はれて居る 。 即 ち 例 の 碕 の 設 挙 対 が 、強秦 に 使 して、外交談判 の失敗に 終り、身は囚はれ


、 支 那 で は 鶏 時 狗 盗 の 輩 と い ふ 事 が あ っ て 、鶏の鳴く獲を真似て危難を菟れた一役例が史 上

て、此の場 合を見るのである。

か 、 長 時 が 計 絡 を 蓬 ら し て や っ た 事 か は 問 ふ 庭 に あ ら や 、兎 に角 、 巧みな烏の利用の一手とし

汐7

ι

4
4

と同氏れ た昔の心理作用を利用し、威力を示した積極的に敵を斬 り まくるとか、


応りす る時、敵の念這を阻む手段で あ る。

人は

M

次第に後

之を除用万商から見ろと 、雨者相挑んで、 今 や 危 機 一 髪 と い ふ 場 合 に 、思ひ がけなくも 一必

誘導して泣くのである。

作用が あ る様な事 を、忍術 者 の方では日頃世 人 に 吹 き 込 ん で 、 そ と に 何 か 幻 係 不 忠 誠 な 錯 慌 を

m類 に 特 典 な 霊 能
のか ら、大は牛 、馬 、虎 、鹿 、 猪 、 熊 、 何 ん で も 利 用 さ れ る 。 そして 、元 等m

獣類利用は臨服用の臨聞いもので、忍術家には避だ豆婆たものである。犬 、猫 、鼠、肢の⋮ねたも

の鼠が忽然 と現 は れ て 、 問 者 の 中 間 に あ っ て 、 手 で も 摺 り 合 せ る 犠 な 不 思 議な妥態を し たとし

4
5

たら、そとに何と訟く一種の一例秘的た疑惑心を起させる 。 そとが忍術者の附け目なのである。

甘い
間一般に停 へられる彪では 、彼の仁木路五は好んで鼠の術を使ったといふ。鼠は小動物で、


遺作なものである 。
仁木の鼠の術といふのは、

ではないかといふ疑念を生やる。

の精を現はすと考へて居るから、今突然鼠が飛び出すと、そとに何か怪しい術が行はれて居る

d

山ひ、あんな小さな動物でも 、時として は不思議
た ど 左 前 ん で 、 鼠 の妖気といふ事 を 不思議にω

れて居るので、是が特に忍術家の精一脚箆動に 大 なる助 けと たるのである。紋の税家阿蒋利の話

古 か ら 人 々 の 胸 底 に は 、動物それん¥に一 つの榊終不可思議な属性が備はってあると考 へら

の衆やる露である。

た と す る c す る と 、 相 手 は 緊 張 し 切 っ た 心 に 一 黙 の 波 紋 を 生 じ て 茶 庭 に 際 が 出る、モとが仁木

-でた い
。 上手の人間の粉紳言動は、ん品に劣った者におして 、幻 妖的威力を一示すと いふ事に飾


す る の で あ る 。 鼠 が 偶 然 に 現 は れ た か 、 叉 は 後 て用意 し℃持って居た鼠を 、仁木はそとへ放 っ

一種の妖術で あ るかの如 く信ぜられて居るが、決してそん なも の

でも携帯するに 好都合である “小鳥だと、袋息死を起させる心配もあるが 、鼠は其鮎至って無

之を馴らすと殊に白鼠の如きは、主人の懐に安住して能く言 、
ふ事を鍵くものであるから 、何時

恋1

4
6

一たび起った疑惑心は投薬を生ヒて、際限もたく幻魔錯発へと導く。さ れば此の内側感心とい

ふのは、忍者の附け目で、共底に隙とか虚とかいふ忍術獄特の舞遵を制くのである。かくして

一日一虚に爽やれば、忍術者の方では思ふが 俸に相手の心も目も臨ます事が出来る。されば、敵

手の心の段慢を探る様に、先づ此様た小さい動物を放って見るので、比貼、忍術者の精一柳修養
に鴎する。

源頼光は一代の勇豪 で鳴らしたもので 、営時世間を騒がした稀代の怪賊、茨木の成笠丸とい

ふのを捕へ来って、之を我が邸内に縛めて置いた。流石は鬼童丸、何時の間にか仰向鍛の鎖を捻

ぢ切って逃亡して了った。家臣等驚き、あの曲者を逃がしては、虎を野に放った如き酬である

といふので、八方探索したが見付ける事が出来たい。共中、観光は一日例の凶天王の身者を随
含ウ

へて野に出た。すると、路傍に一疋の死んだ牛が筏はって 居 る。 吃とみ﹂れへ目を付けた税光は


ζ

/ ¥lと動いて忽ち猛然と

~7

一バうむ、脊 共、彼の死牛は怪しい 鰻ぞ、疾く吟味せい!﹂

姿
といふ 。流石は古今の武将丈けあって、自が高い、少しも油断たく心を配 るωである。ヲて

で四天王の間々、それとばかり駈け付 けて泌牛に近づくと、牛はむく



若し 、

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敵 陣 へ突進した、国軍の箪は共後から進んで、狼狽して居る敵を破ったといふので ある ﹄其他

たい土つ

狂刷叫になって 、
の・際牛の 尽 に松明を結び付け、之に火を つけた 。牛は熱くて犠らたいから 、 bT

更に獣類 利用の興味 あ るやり方は、火牛の謀といふので、之は支那では 、済の 間態が、夜戦

し た 事 で あ ら う。

男一方の人聞であったら 、油断して死牛に近づき、鬼重丸の抜き討ちに舎って一命を滋
之が武 一

いか、之を怪しと脱んだ眼力は縫践すぺきもので、名勝叉忍術を心得 て居たのである

して、 一方頼光としては 、素より勇名を後世に残した武将丈け あ って、 一一個の比牛を見るが早

も牛 の腹中に潜み、頼光の外出を狙 って居た的地震丸の所業は、欺類利用の忍術である 。之に 封

ととちらは前後左右から取容いたので、流石の鬼童丸も再 び縛め‘
られて了った ο 一時たり と

﹁やア山地叢丸怒るぞ、それ逃がすた!﹂

とばかり之れに立向ふと、北ハの腹から鬼堂丸がばつと飛び出した。

﹁扱てとそ奇特たれ、それ取り挫けい!﹂

身を起 し た。之を見た凶天王の商ん、

4
9

、 夜 中、山麓に兵を伏せ‘
にも此の火牛を利用して敵を歎いた計略は幾つも語られて居司令 邸 ち

火牛を山上に迫ひ上げる。敵は之を見て、相手方の兵は山を越へて沼尽くのであると考へ、之を
d

迫繋すると、資に闘らん、伏兵の借地めに退路を取切 ら れ て 大 敗 す る と い ふ の で あ る 。

f
は戦破れて 職
更に叉、死鳥を利用して大難を菟れた事は、 ﹁棒 読 弓 張 月 ﹄ の 源 篤 朝 で あ る。 -・

場に燐き絞されたと思はれたγ、 援 に 間 ら ん 銘 篤 の 腹 を 割 き 、北ハ馬に身を投じて火祭を避け辛

く生き 延びたといふのである 。 事 の 質 お は 兎 に 角 と し て 、 被 服 廠 に 飽 っ た 人 総 の 中 に も 凹 地 に

這って土気を吸ひ 、 上の方は 、他 の 人 々 の 集 闘 で 火 気 を 防 い だ 者 は 一 命 を 助かっ た と い ふ 、 絡
むしろ

れた蹄を被って対たら、火山消も毒瓦斯も防げる事であらう。篤朝が馬腹に潜んで維を免れた話

は、馬琴の傑作であ るにしても 、例 の 犬 山 道 筋 の 場 介 と 同 じ く、質 際 に 行 は れ 得 ぺ き 事 で 、 験
類利用の一方法として面白い研究であらう

秀吉が 、山崎で明智方の勇将、 四 天 王 但 馬 に 迫 ひ 掛 け ら れ た 時 、 逃 げ 場 を 失 っ て 総 劉 絶 命 と

rr んパーと敵に首を

.
9

な った。力と税む加藤清正も我に続か歩 、但馬は鬼一
仰の 如く猛って迫って松市る。道は間前中の



一本畷手 、今は ど うする一部も 出来たい。説 H通の入問たら ば陰祭泣喪して 、
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中、

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﹁猿にでも早い奴ぢや ﹂と、四天王 も呆然と立ち悲したので ある。 斯うして、馬を放って但馬

と 、 狭 商 冠 者 は 何 慮 行 き け ん 影 も な し 、 も う 逃 げ て 了 っ た。

込 ん だ も の で あ る 。 馬 は そ れ き り 起 き上ら たい。 一息吐いて手の麗を打梯ぴ、扱て向ふを見る

取って、うんと金剛力を出し、之を引捲いで銭石落しに ﹁え lツ﹂とばかりに泥田の中へ投げ

かった。やツと此方も断みはだかった出曾頭に、強力無双の但馬は‘大手を披げて馬の前足を

も一寸後退せ・?に腐られたい。前足を上げて復ひかぶって来る応の死物狂ひの勢には手も出た

た。 はたと出曾した 但馬は、身を避け る徐地もたい、手負ひ猪にも似た馬の突撃に流石の但民

し たた か情的の尻を軒り付けた。馬は敬向いて一獲高く蹴ハ¥や、 一本路を但馬の方へ向 って 疾走 し

ひらりと烏より飛び下り、馬の頭を退ふて来る但馬の方へ向けて置いて、後から刀を持って

死に鞭b
z加へて逃げ走って居るのだが、忽ち思ひ付いて此愛馬に身代りさせる術を考へた。

歩の英雄丈けに、最後の一瞬迄決して落縫もせデ、自暴自棄もしたい。自分は股馬に修つ

τ必

授くる場合であるが、そとは流石に一百姓の小枠より、途に天下を取るといふ器用人、古今猪

を 古 し め 、 共 隙 に身を 院した秀吉の計略は、由民に嘗意印妙で、忍術 の極意路用の妙を後却した

5
0


ものである。元来、秀吉は、古今の名勝でありたがら、他。信玄、信長、家康、民間 父子など

の如く、忍術者を多く召抱へる事をしなかったとき口はる Lも 、北八資自分自身が草股取り奉公か

ら立身して、多年の辛苦抑制難の問に、 忍 術 の 事 は 能 く / ¥ 考 へ た も の と 見 え 、 忍 術 者 に 額 見 守

γ同
ひ、味噌何日り
とも、自分の才売で何んでも出来ると信じて居た事であらう﹂今わ畷路の難と一 一

口ひ、忍術者としても古今調 歩なの である 。
坊主の計略と一寸一



り 、 却 々 興 味 あるもので 、 且 つ 共 の効果 も硲貸で あ る 。 早 く 言 へ ば
獣類の利用は 多方面 に一

生き物を我が身代りにするやうなも のであるから 、 生 命 が一一つある形 で、買に首一.貨な忍術引・b

るο能く行はれるのは犬の利用で ある 。 犬 は 、 元 来 、 非 常 に 敏 捷 で あ り 、 且 つ 怜 例 た 性 げ を 有

、 欺類中、最も詑く人間の心意に渇ヒて印刷るのであるから、之を利用す
して居るもの であっ て

るに蛍つては、往々に驚くべき成績を犠げる事が出来る。故に犬の利用といふ事は、 一方、忍

術者にも重要であると同時に、他方忍び込まれる方の側にも重要た用心棒である。寸人を 利 川 す

[
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1

る事 に就ては 、後段別に 詳しく述ぺるつもりである。私 の甲賀 流 浪 では、犬の術 といふ惑を特

b


に賞用 するので、之は最も迎詰め友行き方で路震性が多いのである。従 っ て私 の方 で は 犬 の 研


をする 。

ける 工夫
/ ¥hと犬を挑ん

元へ 引 先川せるリ 口信や平内鼓ちでブを呼ぶと 、人間 で あ る 事 が 判る から 、犬 の鳴撃を民似て 、他

犬を手
事此ω二つ しかない。先づ犬を一誘戒心する⋮山市 を 考 へ る と 、最初に 、犬 の 鳴 撃をして一円一

つ走る虎モれにはごつ の法がある。

ω ち北ハ一は犬を誘惑する事 、北ハ二は犬 を亡きものにする

円はる L人 聞 は 、 叉 も 一 つ f
然し 、 略 物 のの謀長と一一一一
.は手であるから、 いろ

雌がれナノは本能として共の喫先、総由党 、現 嵯 な ど 優 れ て 居 る 。之を院しゃうといふは容易でな い

う な 曲 者 は 、 何 よ り も 先 き に 此 の 犬 と い ふ も の を 恐 れ る 。 第 一に之 を髭理しな くてはならぬ ︼

忍 術 の 性 質Sら は 一 径 の 防 ぎ 乎 と 見 る べ き も の で あ る 。今考へて見る と、夜陰に人 家を製 ふや

q
-勿論とは犬 b一
利用するといふ秘何倒的忍術に釘膝した逆手で 、
謂はぜ治鋭的たものであるから 、

として、放にはナを利用する方ではなく、敵としての犬から遁れる方面を考へて見ゃう o

犬丈けはム佐々常用されるのも 、 つまりは共の意味から来るのである。但し 、共の詳細川は後廻し

、 嘗節、無電時代と言はるム開明の世にも
究が一芥需品ぜられた ﹂番 犬 、 警 察 犬 、 軍 用 犬 た ど 弘

J~ 、

まな い、夜の事故、此方の
の犬が議ひ一比点。たやうに思はせるのである。飼主の方では別に怪し ・

(
j
!
1

グ7

委は認められない。モして一旦犬を手元へ引寄せて何か餌を輿へ‘共犬を味方にして了ふ 。 之
は惚けの術で‘背通の相場令には多く之が態用される のである ο

弐 に 犬 を 亡 き も の に す る と い ふ の は 、 仕 事 の 上 で は 積 極 的 な 還 方 で あ る 。 即 ち 、 前ω如く、

犬を誘ふて一旦手元へ呼び寄せ、之に毒物を輿へて縫すか、さもなければ他へ引いて行って、

安全た彪に禦ぎ留めて了ふのである 。 但 し と ん な 仕 事 は 、 誰 に も 出 来 る の で は な い ο 迎 も純一事

である。鳴務を練習して犬を手元へ引寄せるといふは、忍術者の大仕事たので ある ο 日 頃 の 線
羽田が必要である υ

も一つ猫の鳴き獲を昨服用する事も妙で ある。 猫 八 式 に 巧 妙 に た っ た ら 、 忍 び 込 み に は 持って

来いで 、文郊の鶏鳴狗盗に加へて 、猫忍とでもせ一口ひたいのである 。 嘗て一一刑事が犯罪検怒のた

むき︿

めに、兇賊と目ざした者の家に忍び込み幾晩も張込んだ ので あ る 。 慮 が 、 踊 る し い 像 の 下 へ 人
ごみ

って、盛挨っぽい ο長時間潜んで居たので、 つい堪らなくなって、 ふっと一つ咳が附たωであ

5
3


+

る。﹁さア大捷!﹂ 、大罪を犯そうといふ惑漢の一事とて、 日頃用心はし てゐる 、忽ち 之 乞 聞 き 谷



.

めて、 ﹁何か放の下に居る !﹂と、彼は耳を澄し て加盟の 下へ気を飢ばったらしい 。

忍術


に足るので あ る。

/ ¥1の虫使ひが居 る

れ虫の利用として見るペきものである。或る意味からして古来忍術と虫類とは相伴ふものと考

児霞也の蝦纂の俗側、大蛇丸の蛇、白縫姫が蜘妹を使ふたど、 いろ

。皆是

味 だ と顔を背け るの が常である から、之を忍術に 利 用すると、妖気が伴ふて人の心を惑観する

虫 と い ふ と 何 と た く 人 に 一 種 の 凄 味 を 努 え さ せ る 。 虫類、長虫と来ると、見ただけでも不気

開局る刑事は ほ っとして胸を撫で下した 。

兇漢は﹁あ L、狛だったか、もう あ の捻猪 が仔を産む頃だが、 ハ、、、、、﹂と笑ひ聾 υ下に

如き巧妙なものではないが、大事の相場合 、 一生懸命でやった仮穫が 、
ど うにか成功 したもの で、

の箆似である。早速手を騒く口に嘗てながら、小さた獲で-一ヤ 1ノーとやったの であ る。猫八

刑事は、・失敗ったと忠ったが、もう後の祭でどうにもたらない。哨墜に考へ付いたのは 、猫


54

へられて居る。之といふも、虫類は慨して陰性たもので妖気が勝って居るから、榊秘的拡 方 面

に 利 用 さ れ る に は 沿 説 へ た の で あ る 。 虫 が 陰 性 た の は 、 大 抵 陰気 な 、 漁 策 の あ る 底 に 育 ち ‘ 共

形性や行動がはっきりしない。何とたく陰険なものに見え、人の心 を惑はすのである﹂

加之、世間一般に、虫 類 を 異 様 な も の に 考 へ る 習 慣 が 存 し て 居 る 。 何 ん と 言 っ て も 虫 類 程 に

気持の惑い動物は他にたいのである。そして蜘妹の化け物が頼光を悩ましたの、蝦基の泊は異

欣ゑ作用をするの、蛾の毒が恐ろしいのと言はれ、何れも夜陰に出波するのが多い慮から、人
心に怪異 た印象を烈へるも営然であ る。

放に、思ひがけ た い場合に 、 一疋の毛虫が突然現はれたとしても、何んだか一抑制拠不可思統な

幻想を誘はれ る矯めに疎 っと ・身の毛のよ立つ ととさへ あるのである。そとで 、 忍 術者は此の機

Lる。幻覚鈷 m%
が乎停って精一仰が混鋭する o も う 腰 が 浮 い て 居 る か ら 、 此 方 の 思 ふ 坪

舎を利用する。忽ち相手の心中に虚が生やる。共廃へ一寸愛った行動をして見せると、 一種の
暗示がか

65

へはまるとい ふ順序で あ る


、、、、
虫の 利用と して 最も能く知られたのは、大蛇とか娘一念 、山



、 ためくじ注どでb るが、最 近

6

E

叉 何 か 四 透 に 注 意 で も す る 場 合 に は 、 蜘株 の総勢を接ぶのであるが 、是等の事柄は 、忍術上 に

、 蝦基の不動姿勢を用ゐる。
作を用ゐる 。 叉 静 っ と 相 手 方 や周 国 の様子を鏡ふやうな場合に は

h

を心がけ なくてはたらぬ ο 例 へ ば 吾 人 が 滑 り 込 み と い ふ 運 動 を 取 ら う と い ふ 場 合 に は 、蛇 の動

を 隠 し て 了 っ た と い ふ の で あ る。営意邸妙の忍術の 窓 を鰐したものである 。
何 れ へか ・


向 ほ 忍 術 の 方 で は 、 常 に 虫 類 の 特 性 を 研 究 し 、共 の 行 動 を 製 ん で 巧 み に 敵 手 の 限 を 晦 ま す 事

は 奥 様 の 感 に打 た れ 、 一瞬之に 気 を取られて目を 胸 じた隙に、青年は草原の中を遣 って逃げ、

の間へと投げ付けた。二 mmの蝶々はびっくりしてひら/X と舞ひ飛んで 、敵の函を蔽ふた。敵

均約の蝶々が m
閉まって 居た 。諮
問年は従へると、今しも怒鬼の様にな って自分の後を迫ふて来た敵

いきなり、路傍の草原へ飛び込 んで 隠れやうとしたが 、北ハの草の葉には 、疲れ切ったら しい二

ので あ るが、哨瑳ω場 合 、避け も 逃げ も 同 派 ない 。 殆んど首惑して了った のであ る﹂仕方な く

耳にした而白い一例は燥を挺用した話で あ る。球 間合に一人 の
山内年 あっ た。村内に 二一


の敵


があった 。 一日ゆくりたく彼は 、 此の敵 とばっ たり出合った じ 凶暴な敵故日 頃から避け ℃m
mた

於 け る 健 勢 上 の 重 要 な 心 得 と た る の で あ る 。 殊 に 初 心者には大いに注意すべき黙である。

5
6


I
.
!
.

魚属の

に見て、進むこと、退くとと、崎けかむとと、沈むとと、右するとと、左するとと、動くこと静

五口々忍術者として接ぶべきは、此の特性を備へた形態動作である。則ち左の如き魚類の形態

るのに便利たらしむる 震である。

する動作を倣捷たらしめんが篤で、共の左と右とに扇卒ではあるのは、水中で一や静を保って居

へんぺい

い現象が褒見されるのである。即ち其鰻の前方と後方とが尖って居るのは、進んだり泣いたり

穏動作といふ黙が取入れられたのである。今、魚の形欣ゑどを考へて見ると、共施に却々岡白

⋮く‘患に北ハの 形
魚を晦服用しての忍術は賓際としては、其賓物を臨応用するといふ事は殆んど傾向

まるととを息んで、所謂忍術家としての隙鑓健勢を曾得す べ き も の で あ る 。 そ と で 、 魚 の 形 態

57

を膝用したもので面白いのは、今日盛んに使用される空中飛行般の如きものである。叉海中の


悪魔として大いに恐れられて居る滞水艇や、或は魚形水雷の如きも、みた魚の形態に製んだ彬
次Y




心を以て心を制す

なども全く魚限切利用である。

して 、初を漁舟の舟底に隠し参らせ、日正ハ上に多くの千魚を積んだと体へられるのであるが、走

居る。更に後陸棚天皇、隠岐の島からた遁れ遊ばされた時に、舟人等は敵の遣手を協がく乎段と

ufbon




院 が、干鰯般に 潜 ん で 危 念 を 遁 れ た 話は、気朝がほmの腹へ隠れ て焼死 を免れ た活 にも似て

する事が出来たいのである。

、 是たくしては震 に完備した 忍術計と総
とたど であ る が 、 此 の 様 た 動 作 は 忍 術 お と し て 必要 で

意味は、敵の Rを挫 けて水中に潜んで居る事、 一歩進んでは、水中から躍り出で与一敵を 撃っ こ

事とそは、古来魚川崎利用の精髄として 重 んじられたのである 。邸ち水中の自在なる働きといふ

だが、魚民利用としての変際的効用は、水中に於ける自在なる働きといふ事であって、此一

J

迭である 鮪から見ても 、 魚婦 の利用とい ふ事は 、決して無意味なもの で訟いととが解る。


58

ο
A 一怖と気力とを以て相手方を制するの色ある
最後には我が心の作用である。邸ち自分の り

加む

、 (

術には、是が根本を伐材して腐る。 一部の人は忍術を一種の催眠術である如く考へる のも み

此の精一柳作用である。臨機膝愛の智惑の働きに依って身を穏すのもある、叉度胸一つで相手方

を 取 挫 く の も あ る 。 か の 武 減 坊 緋 度 が 、 安 宅 闘 で 宮 樫 左 衛 門 を 附 着 し 、 無 事 に 通 り 抜けたと い

ふのは智術の一つで 、矢矧の 橋上で日士口丸が終賊の張本蜂須賀小山ハを川町かしたのは度胸の一例

m盗
であらう。 次に大撃に叱陀して相手の皮附胞を抜く のがある。彼の高山彦九郎が五僚の橋で m

kるので、締めかの一喝たど北ハ妙諦をつかんだ澄り方である。

を一帰退治したなどはそれである 。 此 の 大 喝 叱 陀 と い ふ の は 人 間 の 気 力 の 表 象 で ある。 相手の
気を呑んでか

要するに心を以てらを制するには、主として敵の心理を臨応用 するのであ る。何れの忍法と て

も、紫より相手の心理作用を釘象として行は れるに定ま って居るが .併し・此 の心理作用は、全

︿相 手の心を逆用するもので あるから 、中々に困難で あるが‘英代り能く 之を癒用 する時は 、

5
9

是問料確笈た術はないのである 。何よりも光き に相手方の 集合と い ふものを知ら怠ければたらぬ 。

刀才

6

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鎧l

.
.

m挫の問に、此の相手はどんな心術を有って居るかといふ事を澗祭したければ怒らぬ。此の澗
Jl
!
.


して 銚 しい 事で は な い の で あ る 。 そ れ に は 先 づ 此 方 の 丹 田 に存する 気 を鋲め て、相手の 気を凶

り牧 め る と と が 川 来 さ へ す れ ば 、 形 のある も の な ど は 容易 く敵 の眼から 泊減 させる 事位は 、 さ

勿 論 人 間 の 知 発 の前きな どは 、心と いふものがあっ ての 事 であるから、 北ハ の本元の心さへ取

喰たら

中 に 、 自 分 の 強 い 心 を 乗 じ さ せ て 了 ふ の で あ る。

るに 之 は敵の 心 の 小 に 、 会 く 我 が 心 を 取り 込 めて 了 ふ と い ふ と とで、 つまり敵 の或る弱 い心 の

附かない のが原 凶 である。心 を 隠すと い ふのは何 んだか非常に難かしいやうに問えるが 、要す

は先づ身 慨 を 隠 す 事 を 主 として 考 へるからである。心 から 先きに隠すとい ふ事 には少し も梨 が

怒るを

忍 術 を 製 ぷ 者 が 、容 易 に上 達 し ないといふは 、此の心的方面を疎かにす るからで ある。大抵

機 先 を 制 せ ら れ る と と が あ っ ては、連も勝利は受来たいのである。

が尚来 たとすると、 最 早 や八分の 勝利 は此方に 牧め得た もので ある が、之と反鈎に敵の矯めに

、 敵 の機 先 を制 す る と い ふ の が あ るが、若し能く敵の機先を制するとと
兵術家・などの 言 葉 に

より 易々たる も のであ る。

察さへ正し く 確 賓 に 行 はれた・なら ば
、 此方の心術を以 て相手 の心を ・自 由に引 き廻 す たどは、素


60

から呑み込んで了ふといふのであるが、そう口でいふ様に易々と他人の集が呑まれ るもの では
ないとは、誰しものいふ事である。

併し賢際に於ては誰入も、日常とんた風に 随 分 と他人を呑んで 掛 り 、 叉 は 反 釣 に 意 気 地 な く

呑まれたりして居るので、人間が二人出舎はして何方か Y呑 ま れ る 、 所 調 、 食 ふ か 食 は れ る か

二つ一っ たのである。 一寸した 談 判 事 の 場 合 に 見 て も さう であ る。何 とたく、 妙 に自分の 方が


下回にたって了ふ事がある。闘えたどは全く相手に策を存まれて了ったもので、共結果とし ては

何事にも始終下手に廻らされて頭が上らた くた る の で あ る 。 叉 路 左 行 く に し て も 、 ぐ っと丹同

に集を入れて歩いて居ると、先方から来る者が、妙に自分を、避けて通るのである 。出馳が是と反


、 若 し内 分 の 気 に軽 い庭 が あ る と 、 今 度 は 先 方 が 避 け る 庭 か 、 却 っ て 此 方が避けて歩かた


。 是印ち
、 呑むと呑まれるとの隈別の存する髭で、他府 と思 考 し た け れ
ければたらぬ結 果 とた る
ば怒ら ぬ鮪で あ る

6
1

彼の印を結ぶといふ忍術の最頂黙は、此の心作用の極致であ る、此 事は後段に詳述する。



更に我が心 を以て我が形 を隠すといふ工 夫 が あ る 。 是 は我が精神作用に依って、 自己の形態

1
.、
v~

彬・

は 献 の 前 線 に針して 、 重大 な川批飢を さへ 惹 起 さ せる 事が 出来 た のであ る。

、 北ハ の膝 用 如 何 に よ っ て は 至大 友影響を輿へ 、時 として
往々此の紛れ込み術を際用したもの で


は 昔 か ら 往 々 用 ゐ ら れ て 、大 怒る成功 を 牧 め た も のでb る。殊 に戦争 たどの 際 に斥 候など が

なし 、 巧みに敵のはを晦ますが如き方法である。 乙ん な 事 は 出 来 そ う もな いと思はる与が、 是

行 っ て 我 身 を安 全 に す る の で あ る。 例 へ ば 、自分は恰も北ハ敵の人数 の中の一人で ある 如くもて

に多数の敵手が現はれて、注も無事に遮れる一撃が出来 たいと 見 た場合 には、 直ぐ 一辺成仮袋訟 を

常 に 共 場 合 に相 隠 し た 一 つ の 機 智 を 要 す る の で あ る 。 必宇 紛れの術が伴ふ のである。即ち今捻

方 法 と し て は 積 極 的 の も の で 最 も 大 臆 た も の で た くて はたらぬ 。それ から此術を 行 ム上 には 、

の堂に入る事である。

つに頼 らなく てはならぬ。是が大愛 雄 かしい問題で 、之を解決すると い ふととは、やがて忍術

にはないので あるか ら、此時に自分の 形態 を隠し て一 身を全ふするには 、どうしても我が 心

今 、 廃 々 と し た 冬 の 枯 野 の 中 で 大 勢 の 敵 に 出 合 っ た と す れ ば 、此際緩むべきは全く自身 より外

を 隠 匿 す る と い ふ の で あ る 。 之 は 全 く 自 身 以 外 に 何 物 を も 膝 用 し 注い場合の事で あ る。例へば、

グ7

63

要するに死地に入って活路を見向すといふので、忍術の最後の極意とされてある。身を扮℃

てとそ浮む潮もあれといふのがそれで あ る。故に死の 受悟 といふ 事は忍術を通じて必要たもの

で、如何なる 場合にも 、如何たる手 段 を 用 ゐ る に し て も 、心の 底には常に死の先憎を要する。

/ ¥lある。北ハの一つは脅線の利用の

さもないと、いざといふ時の放れ業は出来守、空しく犬死する事とたらう 。
弐に我が心の作用に依り、無形物を利川する忍術もいいる

如きものである。之は、締家の一喝とも多少異り、銃盤一切授にて敵の心を傍かして共隙に付け

入る如き、叉雨や風の 普 に 紛 れ て 敵 地 を 自 由 に 出 入 し た り す る の が 之 れ で 、 忍 術 には絶好の


機合 である ο

古来忍術には種々の方法があり 、却 々 複雑 たもので、忍術が一種の魔法であるとか、不思議

、 迎化態 といふ ものが普及 して 尽な かった 。 そ
の一脚通力であるとか言はれた。昔は今日の様 に

63

れでも其道々々では夫れん¥ 特 別 た研究があって 、それが相蛍た 化製智識を開後した。修験


者や忍術兵法対などは、随分熱心に 之を研究した ο 彼 の 真 言 秘 密 の 法 と苧一一円った様なもの や、所



間武欝者などが使ったと丑一回はれる幻術とかいふもの たどは、皆た此の理化開学的研皆んに依っ て得

理化製の癒用と催仰向術の膝用とも見るべきもので、決し て紳 通 力 では たい。

ふ 義 怒 り ﹂ と 設 い て 居 る の が 至 営 で あ る 。 普 から停へられる忍術者の不思議友術は、今日では

一極の妖術の如く心得るは間法ひなり。 まぼろしは、目亡ぼしにて 、他人の闘をほろぼすとい

来る業で、巧妙た手段に泡ぎない。北日の撃者も﹁幻術といふは、まぼろ し といふ事にて、之を

た の で あ る 。 併 し 此 の幻術も別段紳通力でも魔術でもない。今日の科接から見る と何 人に も出

たからである。邸ち此幻術に依って何か呪文を唱へると、忽ち不思議た事が現はれる様に考へ

古来忍術を目して一部不可思議のものと思ったのは、主として幻術と言った様た概念宣有つ

出来ぬ現象を見せた。回定等は幻術と 円はれたもので、而も共線基を勝一術の上に存立せ しめて居




るから、之は忍術としては最も面白い現象である。

を十分研究して、忽ちにして風を起し雲乞呼ぴ、或は寓丈の猛火を越しらせ、凡眼では解擦の

ほと伎

は、全く迎化接的設備に依って一つの奇蹟を示したのである。則ち我が忍術者なども此種の事

働者が或法で身から光りを務抗したり‘叉武婆者が・忽ちにして雲を起し雨を降らしたりするの

たものである。


6
4

それで、此の幻術が如何たるエム口に忍衡に臨服用されて居るかといふに、先づ主として敵手。

気を飢さしめるに用ゐられたのである。つまり敵を面喰はして共出に飛じて自分の身酬胞を隠す

のであって、共人の忠ひ付かぬ事をするか ら、 一寸考へた 底 では幻術と も魔術とも忠はれるの

6
5

である。古来の隊法ゑ どいふ事も、 多くは此の類であって 、冷 静 に視察すると紫より怪しむべ


きものではたいのである。


京E



と拾いて あ る。温故 知 新 と い ふ


も あ り 、 忍 術の 将来も 愛 にある 。 以下先づ陽忍述入 の方法

め、桂に鯵して震を封するの類、嘘ふぺし﹂ ο

く発へたるを見ては、早や呆れて忍び入る事も叶はぬなどいふは、官にや、舟に刻して叙を求

古 法 に拘泥して、 史に凶玉 の低きに 勝やる の震 に遇ぜ ざる故 、 敵械 の掘が深 く際く、石底の高

﹁忍 を 木 と し て 時 宜を以 て畿 に隙 じ、用を 新 た に す べし o m
思なる忍者は 此 理を緋へや 、直 ち に

る。共の 秘 術 は、臨機般的攻 であ る。 古への 名将も 、

此 雌 に は 先 づ 千 獲 高 化 の 計 略 を 以 て 敵 の 隙を計り、忍び 入るの俗怖を

示す
。 故 に之を 陽怒と 鋭す

がら敵中へ入るをいふのである 。陰術とは 人の目を忍び、姿を隠して忍び入るをいふのである ο

九そ忍術には 陽 術 あ り 陰 術あ り 、陽術といふのは、謀計の智惑を以℃、己れの姿を現はしな

陽忍の術!遠入りの 事


66

を設誠一する。

(一)﹁四方髪﹂

始計


赤坂の城に立筋った湯浅孫八入 道を 、楠 正成が攻め亡ぼ し た 時 、 恩 地 左 近 正 俊γ此の計略を

ぞ四方 援を基として獲に際じ改むる妙計で あ る。

根来もの 、叉は女の 姿 、北ハ他閑々に依り呉る庭の月額の剃り校種々線々に 愛 守 るもので 、 とれ

ねご み 答 か や 念

とい ふのは 、逢ふ底に随 って 髪 を愛 や るの計略 であ る ο即 ち 、 時 と 所 と に 依 り 、川 氏 、山伏、


鶴丸 といふ 笠 子に袋に物入れて捻はせ、六俊助太輸 {


信 が傘 を持 って沿似 をして 、

同ゐた事は、史管一に納 かに 記してある。叉、高倉の宮 が御 謀 反 の 時 、長 谷 部信連が計略で作いけを

κ作り、

女姿

67

-L・

道で怪む者もゑく 三井・寺に 落着 か せ ら れ た の も 、此 の四方髪 の 舷 別である。 つまりは純々と谷


舵-

街5

授を縫 へて 他人の目を 欺 く事をいふのである 。
宏、


υ人々奇

、 奏の 世が傾 いた兆であると忠ふた 。此勢 に乗じて起ったのは、 楚の項 m
mと漢 の
異の忠を鴛 し

﹁大楚起っ て秦 亡び、 隙勝王たら ん﹂と暗き披 んだ
夜に高い庭へ登って狐の真似をし 、

際 主と替 いた札を入れて海へ放ち、 叉、 央防と いふ 者 は 、 狐 の 鳴 く真似を巧 にしたので、 彼は

秦 の 始 皇 崩 じ て 、 二 吠 皇 帝 天 下 を 治 め 、 共 威 未 だ 盛 た り し時、陳勝といふ者、魚の腹中に隙

行に取りか Lる の で あ る 。 叉 虚 無 償 た ら ば 尺 八 を 能 く脅ひ、締話も製ば泣くてはたらお 。


、 堅 く 答 へ て 呉 れ と約 束 を 定 め 置 く の で あ る 。 斯 うして始終 の計時金 く備り 、而して後賞

﹁紛れなき伶籍の者であるこ

の民備を知らんため探り来て穿撃する事あらば、

ぜ ん 答え

回して後、時到 って 誘 時の事を起す時、伶と密談し、若 し敵方に於 て、此計略 に凶って我身
近初

間へば出家 に似せんと思はど 、共の宗国日 の息
生矧同感したくては危らぬ 。仏
?を脅ぴ共寺へ往来 し

J

方の計賂は露現する。故に其の似せんとする者の姿や言葉は昏一

ム に及はや 、共生業の謀術を 平

回定は敵地に忍び入る時、共婆や 一
言葉ばかりを似せても ‘北ハ
の生業の婆を知ら ざれば、 忽ち此

ハ二)﹁諸 冷 の 生 業 の萎或は物真似等に 至 る迄、手線を 積 む事は、愛

一口
化姿の計略である ﹂

沼、

68


高温で、途に秦を亡ぼしたので あ る
J

(
三 ﹁常 に諸閣の風俗地 形の模様 を知 るぺき 事 ﹂




是 は日 頃心がけて、 図 々の風 俗 、方一
一口 地 理た 芝 、 何 庭 に は 山 林 川 津 あp 何応は険阻叉 は

、 鹿 路 、納 路 、 径 路迄 も 能 く知り 先えて泣く事
平易な りたど、 叉は 黒程 の長 短 、路の 庚狭な ど

6
3



が必 必 である o是等の 事 を乗て知り 置 く時は 、警 へ ば 府 軍 の 場 合 にも、 人 に後 れ ても必 や 兵

に到り 易 い。叉 他閣 人の 風を 似 せて敵方 へ入 る時 、敵 が 共 闘 の 地 理 風 俗 を 問 はんに、 之 に幻 し
て寝付かに 答を鴛 さん 偽 であ る。
(四 )﹁粂 て務方の 城主の 印書 を潟 し泣 くぺ き


争﹂

是は常に諸方の 城主 、大 将方 の印を 求め置く事 で、それに 依 って 計略 を行ふ 事 が出来る 。邸

ち共人の 印需 を傑作して 謀 に用ゐ る ので あ る。印の相逮有 つては 計敗る。叉能替 の凝箪を能 く
する者 を抱 へ置 くと、 敵大将以下の 策 を凝する に自 由 であ る。

(
五)﹁粂々諸大将 の旗 、趨 、指物、 立 物 、常紋紘一寸 を能 く ゆぺき 事 ﹂


右の 事を能く兜 え へて 計異を以て忍び 入りた る時 、敵 が色々の 事を 尋 ね問ふ時 、能く之に答


﹁大作は智なく.犬 山誌は謀た し﹂


、 老 子日く、

傭伏す。 聖人将さに 動かんとする 時
m色有 り﹂
、 必中m

﹁腕ぬ鳥牧町さ に娘 、
、 猛獣将 さに 術開 たんと す る時、耳を持めて
たん とする時 、早く飛ん で翼を 飲 め

h
gさ

ならぬ 。 かくして 飢 世 に 及 ん で 、 忍 術 を 用 ゐ る 事 が 州 来 る 。 ムハ諮問 く.

そ縫某 の忍び 者 ょたど L はる L時は、 折角の 謀も詮無きのみたら歩、果ては我身を亡ぼし 、


主将の客とたる 事がある 。放に常に名と刻 とを 深く隠し て
、 隠遁者や平士 の如く 袋はたくては

忍 が敵で も在り、叉計踏をもって忍び人りたる時、 常 に我を見 知りたる者敵方に ありて 、彼 乙

親しき 却 と雄も、仮初 にも此術 の勝劣 を言 ふ事勿 れ。刷乱世にたれば、敵が 味方にも あり、味方

凡そ忍 者たらん者は粂て大将へ一誹 へ
、 治世 の時 にも常に忍 者の銃 を深く際 さたく てはなら ぬ。

公ハ)﹁ 粂 て名と 裂 とを深く際くすべき事 ﹂

る時、蛍分の抜け品一一同の用を矯すのである。

へる 事が出来 る。叉は 隠忍紛忍 等を用ゐ て忍び入り、此庭 彼廃 に潜行する折柄、 敵に見怪・まれ

70

孫子日く.

w名たし﹂
﹁善く戟ふ者は智名たくm
と、忍者たらん者は、此語の意味を専ら心としなくてはならぬ。

桂男の術三箇傑
(一)﹁経労 の術 といふは、月中に桂男のある意たるぺき事﹂

n其 任 を 授 く べから 十 。親凡 弟叉は
みの往き者、知日の深からざる者、 信少 たき者たどには、中 '

警へば桂男が月 中に在るが 如くに、常に忍者を入れ世くぺし。主ハ忍粁たらん人には、粂んパ税し

言は、叛逆すべき者 、敵とたるペき者を常により能く見付け置きて、共城中陣中家中なとへ、

p

、 智居m
m
wの備りたる訴を扱し、北ハ上、其人の入賞を取り、且つ幹一紙を
甚だ縦しみ厚き者中に て

7
1

脅かせ 、重々約束 を定め澄はすべきものなり。
ハニ)﹁ 少女生れていそ穴丑を入れ置くべき一挙﹂



/ ¥h知ら

十喜びム口、ふ事疑ひたきもの怒り。信長公の家臣に十五六児童の勝れて手跡の務用たるを、今川

とそ 寄 なれなど言ひて、敵に奉公の身とたらん事を笠む時、敵方にては柑州議とはゆめ

ちんどく

近 畿 に 町 家 在 家 等 に 住 し、常に 敵 の 家 中 供 に貌 し み 、 味 方 寄 来 る折柄は、 首 地に居合はしたる

ひ聞かせて、共時に 至 っ て 俄 に 敵 内 へ 入 れ 置 く 者 を い ふ の でb る。或は穴丑とたっ て敵按


一百

知百有っ て信厚く、傍らざる者を聞き合せて、高禄を奥ふる約束を以て静かに召出し、末頼もし

くの人が集まる庭が宜しい。,次に遁士といふは、片岡舎の草深い庭に引絡り居りたる者の、才

此計略の人は片田舎の人口の少たい鹿に住居しては、却って人に怪まれるから、成るペく多

し、時に 至 って窃かに 君 民 許 定 の 上 に て 、 敵 の 中 へ 入 れ 置 く をいふのである。

君 に 仕 ふ る 事 を 深 く 隠 し 、 た と へ ば 都 の 訟 と か 大 阪 などの 様怒 る廃に、何となく初めから住居

に商館を見知 られて露現 する 廃れがある。設虫 とは君に 旅を受 け訟がら、君臣相約して共身 が

大功を奏すぺきものである。但し此術は塾虫叉は遁士と怒って尽‘なくては、いぎといふ時 、人

是は税しき者の中に容顔美しき児童あらば、深き計略を以て手を廻し時節到来の時を窺ぴ 、

街-

冗と
に少しも建は宇能く似せて後に謀議同を認め、主君義 一
新 介 方 へ 奉 公 に 出 し 給 ひ 、 新 介 が 手 跡'

7~

忍、

不和にたし、今川家を 処して 絡に義一冗を滅ぼせる事日記れ確設あり。



こ )﹁相 談入、通路へ泣く べき 一

右の如くして味方の 者を敵の中へ入 れ置きて も 、扱 て 味 方 の 大 将 ヘ通路な く て は 机 闘 が 山 恨

たい 。故 に商人出家等 に姿を 餐じて 、 一人は敵川崎の近濯に居 て諸 事 談 合 し 、 敵巾・広人って代へ



葉 に様縫 を見開し、委曲に 事 を 内 通 す る 手 阪 に し た く て は た ら ぬ ο 又一人は、味方
る児 童 の一

へ往来して北ハ様飽 を主将に通告する のである。殊 に児 支 を挙 公 さ せ て 泣 く ので は、北ハの刻と か
九とか稿して敵械の近遜に住金 は せ 世 く の で あ る ο

如影術 三箇僚
︿一﹀﹁ 如彩の術とは 、形あれば 影 の 燃やる 如 き事﹂
危の

7
3

今、敵が 叛逆を起 するの 兆灰かに問える と等しく.影の形に 膝 守 る が 如 く
、 速 かに倣の城下

へ行っ て奉公を 祭むのである。之は 、敵の叛一巡謀計 が、未だ起らぬ巾に山かけ るのである。若


nJ





くノ 一の術といふは 、 三字 を一 字 とした者 を忍びに入れる 事をい ふ。

ふ の を 作 る の で あ る。

︿一 ゾ

入 賞とするのである。 入 賞 が無 くて は 入 る 事 を 許 さ た い様た敵におし ては 、此の 仮 の⋮

子 とい

依 女 似 子 の術 と い ふ の は 、 計 略 を 銭 し て 仮 り に妻子を排へて一絡 に連れ行 き、敵巾に入つ℃

、 怪 む 事 あ る 時 は 、彼 女 似 子 の 術 を 行 ふ 事 ﹂
(一二)﹁若し 敵 方 から一小森 を起 し

叉 は 時の宜し きを見計ら ひ引 入れる矯めである 。

組 の 中 の 誰 か を 、 道 心 者 叉 は 商 費 人 に 姿 を 愛 へて 減の近訟に置き 、
味方主将 への注進 の矯め、

(二﹀一,通路へ笹くぺき事﹂

に見知られ居る者ではい か ぬ。動賞虫や遁士をふ定向ける のである。

し行く事遅ければ、敵の 心に 不容 を起させて 、家公を許さぬ事一
ともたらう。故 に初めから人々

It
.
!
;

74

刷みでは入りがたいと見る時、くノ一印ち女を忍 び に入れ るの であ る d 凡 て 女 は 共 心姦制にして
ewし
。 そして 誓 紙 を 竪 く 改めさ せ
、 能︿ム門岡 .約 束 を

智も口 も筏き者故、人 選 に十分注 意を 製する

円ひ聞かせ、共後よき方便を 以て 敵 の奥方へ 這 はし、 或は北ハ従者 の役者 に念 り と も 仕 へを出 む


、 事成 らむといふ ととなし。
時は
かく しみの

(二﹀ ﹁隠餐術 を以 て入るべき ﹂


な し た 上 で や る 術 であ る 。 女 が 己 に 敵 ・
将 の奥 方へ 奉 公 が 叶 っ て 後 、
之は前の く ノ 一と合闘 を ・
折りを 見 て奥方 へ申入 れ るには 、
﹁手前 、宿に 預け泣きましたる木績 を取符せたいので 御 ざい支す﹂

、 大 抵 の 人 は 歎 か れ る の で 、 況んや奥方 にが、ては狛ほ伐 心友ど起
と、何気 たいさまに 一



ふと

さ子 、容易 に之を許すものである。 扱 て許 し を 得 た と な る と
、 前以て北ハ
時 刻 を門 々 の 森 Afへも

断 り置 き、愈 々

英 木慣を 入れる 時 、忍 者 は 共 中 へ入 っ て 行 く の で あ る J 但 し 木 似 は 二 重 底 にし

75

て、上 には衣裳を入れ 下を 重くす るのが宜 し い。 孫 子 に


1

﹁始 は践女 の如く終りは枕兎 の如 し
、 敵 担 ぐ る及 ぼや ﹂


なりとも、先づ金自巾を

く賄ひ、若し 軍 功あるに於ては、知行何程宛て行はるべしと約して我

主 ひな



へ 、 A問
Uほ
北ハ時、{且き方便を運らして、此の 如き人を味方に刀口寄る か、叉は 彼が宿所 へ行って

で居る者の中、 気 が さ 有 り て武勇の 名 を 得 んと 一

々 岡山ふ者、叉は共 闘 の大将、頭人、 奉行等


を 符 て 恨 み 憤 る 者 あ っ て 、 時 節 到来を待っ て居る 者 、或は味方に親族縁者たどのある人を聞き

是 は 敵 の 妓 へ忍び 入 ら ん と 忠 ふ 時 、 味 方 の 勢 未 だ 寄 せ ぬ 前 に 先 づ 敵 閣 へ 行 き 、北(地の日頃不

(一 )﹁敵閣の里人を入る L事 ﹂

里人の術 二筒依

守 宅みを達するの である。

計である。歪磁の秘計である。右の術を能く川ひて忍び入る時は、守り厳しき名城とても 、必

-何ほ、此の際笈の術は、敵方に我を見知ったる者が多く℃、別して方便を行ひがたい時の謀

かくしみn

とい ふは此窓であ る

i
6

合して味方の大将と合闘を定め、能き時八刀に放火するのである。補正成が、相模入道の下知に

是は里 人不成功か、叉は 若拍車者 かの 場 合 に 、 我 は 其 里 人の 従 者 と 成 っ て 敵 城 へ 入 り 、 諸 事 談

二)﹁里人の従者と成って忍び入る事﹂
(

入り 易き事我家 に入るが如き もの である。

城へ入れるのである。敵将の方では、 素 より 自 分 の 閣 の 者 であるから之を疑はない。故に北ハの

が主将の朱印を之に奥ふる。其上にて人 質 を取り、 誓紙を閏くしも いかにも深計を以て彼を敵

随て紀州安田の庄司を退治の時.勝尾山に陣を取 って敵の位を見 る事三日 、共後、野伏北ハを召
して

﹁此溢に'知りたる野伏や有る﹂
と問ふた 。 或野伏答へて、

7
7

﹁手前の知り居る者候﹂

.
.

とて入人連れて来た 。正成は金銀を多 く組
(へ




伸 の野伏を漣れて 敵陣の中を見 て参 れ﹂


是主

どが

べから?とて衣

却って災起る事明かである。北ハ見定めやう如何にといふに、 一つには、共人の前代が罪無くし

身虫とは .敵 に事へ居る 対 を 味 方 の 忍 者と 怒す故に、 敵 の 腹中の虫の 身を喰ふに似たとい


ふ芯味で あ る。 先 づ 此 者 を 目 利 き し 、 選 定 す る事 が至って大 事 である 。若し目利き港ふ時は、

(
一 ﹀﹁身虫と成るぺき者 を 見 定 むる 事 ﹂

身虫の術二箇僚

討を し て勝 利 を 得 た 、国疋等 も 人 の術 でるる 。

る o 正成 は彼等 を一人 宛別に問ムて 居た 庭 、何れも同じ 答 である 。
初ては疑ふ

﹁易 き に候 ﹂


とて、其中六人を連れて 敵 陣 へ 忍 び入り 、 一日中 紛 れ居て次の 夜飾り来 hy、
敵の様惚そ物語

とい ふ}

I~缶、

て 刑 罰 を 受 け た と か 、叉は小さい 科 友 の に 、 大 き な 刑 左 受 け て 死 ん だ と い ふ 共 の 子 孫 に賞る者

'7~

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1

には、高枕に昇進すべき筋目の者で、且つ才智ある人たるも、傍悲の妨げに依って佼びく

1
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}

4

く、口惜しく残念に忠ひ居るらしい者。




一 には、大たる忠義功名有り訟がら知行簿く、あはれ他の 宅骨れにも事へ てホ 身 を も す ぺ き
あゆ

、 去り とは 暗主かた﹂と常に思ふ訴。
米を﹁何 んの忠功もたく唯だ阿 訣 の 議 医 を 厚 く 幸 し

四には、智葱賢く才ある者たれど、大将と和合せ守、や Lも す れ ば 念 り を 栄 り .九つ 伐 し さ
-宵に仕はる者。

五には萎能サ一に勝れたるも 、賎官に役せらる Lに図 て、仕を 致 さ ん と 願 へ ど も 許 さ れ 歩 、 若
し他 の君 に仕へるたらば之を 妨ぐべき様態故、是非往 く獄止し居る単行。


ハには、父子敵味方に分れ、鞍に及ぼじ、親子兄弟北ハに釣 敵とゑらん事を悲むもの 。

七には 、慾 心甚 だ 深 く 金 銭 高 知 行 を 笠 み 、 叉 は 反 復 愛 詐 に し て 粂 々 二 心 あ る 沢 υ

八には、父の名跡認しく立って 、外開宜しから守、 口惜く思ふ底 あ る者。


お八ケ僚の見定めは、大憾の事をいふのである。日記を悲として能くヱ夫を叢ぬるに於ては、
方7
也、


悲 し妄りに北ハ密事を通守る時は、犬伝る災害とたる ο故に共の身虫と成るぺ・き者を見定

J

て忠 義 を 思ふ者は世に稀れである。潤色を以て交を求むるに 疫 を現はさどる者は・ないの である。

約 束 合 闘を 態 く 定 め て 用 ゐ る と 市内事 叶 ふ も の で あ る 。 凡そ人は老少に 限ら 守、色と 慾 とを 離れ

を 誘 ひ見て密 談 に及 び 、 高 知 行 の 朱 印 た ど 取 輿 へ 、 父母妻子たどを人 質 に取り 、誓紙を堅め 、

防ひ 、いかに も 交 りを 泌 く し 、 英 中 何 か 物 語 り の序に戯吾一

な どに 托 して 、 以て漸々に彼が心底

も 速 か に 行 は れ る 。 扱 て 交 り を 厚 くし、 彼が 好 事を察 して其好む 道を 以て便 とし、金自巾を一昨 く





の 問に 居 宅 を 定 め 、北ハ 上にて 彼 と総 を給んで、此方の 世帯が 、彼 富 むたらば 、縁を結ぶ 一

先づ我 が主将と相 議 し て 金 銀 多 く 給 はり 、富める浪人と姿を愛へ 、共見定 めたる者 の一


目.
i

こを記す。

めて後 、 身 虫 と な ら で は 叶 は ぬ 様 に 計 る 事 が 肝 姿 で あ る 。共方便 は区々たれ ど、心得の鴛に一

しい

上 に 所 調 、 身 虫 と た す べ き 者 を 見 定 め た る も 、扱 て此方の計時 を知ら すぺ き術は 、 一府 難か

︿二)﹁身虫 とたすべき術の事 ﹂

共人の 心底 を考へ、 謹ん で之を定め 、主ハ上にて時宜の 方便を行ふべきもの である。

8
0

登火術三箇係


ハ一)﹁敵方に 猛威を振ふ謀ぬある時 、俄つ ℃ 人 の 謀 叛 の廻 文 の 隠 蓄 の尺仰を持ち行き 或


は共謀陸 の方 へ味方の 大将 よりの相 園の 蕃 札 、 叉 は 味 方 に初日 きて敵 方に 成 り た る米あれば牟と


して此 者隠 謀を以に入 者 に作りて 相聞の骨一同 札を 調 へ持 ち行 く べき 事 ﹂

、 都計智略の 入

之を喰ふ れば、 漢 の 稼 信 、唐 の玄宗 の安 藤山、 我 邦 にては 源義 経た どの如 く

敵 方 の 諸 人 危 ぶみ忠ふ折から 、
敵将の 中に 在 って、 若 し此人たど 謀叛せ ば 天 下危 かるべ したど 、

能く時節を 鋭 ひ考へ て、係っ て英 人の 謀叛の 廻 文 の 隠 蓄を 調製し 、 叉味方の巾に北ハ人の一仏政か

、 彼 の 隠 警 の返拍刊を衣 の襟たどに封じ入れ、
一人の 男 を忍者 に仕立 て

表くは朋友か 、殺 ね ん ¥毅 みたる 人か
、 さも徒黛も すべ き程の 人 と 、諸 人も忠ふぺき人の方へ
内通の隠蓄 を調製 して、

術秘

8
1

敵城の近議に怪しげたる鐙 にて 行 く時 、敵国疋 を見処口め 、忍者たりと して 訴へ出づるに 、直ちに

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J

捕はれて限定を責め問 へども 一膝 ニ膝 にて は答へ守、強ひて是を安め問ふ時 、是非たく白欣して
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蝉;
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にて此人降参の
である。

すのである。

は賞の降参に 非守 、後 に裏切を鴬し叉火を放たん震 である 、と斯う答へるの

大 程 、此鐙 火 の 術 は 敵 方 の 様 慌 心 腹 迄 を 能 く 知 っ て後 、 いかにも人の 心に 膝 じて此 術を現は


に捕ヘられ、敵責め問ふとも 、 一際にては答へや 、資 が 度 重 って 後 、彼の際審 bt取出し、北ハ上

、 怪しき風慌 を見 せてわざと敵
北ハ者の方への隠訴を作成して裏切りの相聞の舎を持た せ遣は し

敵が民同 め問ふ時、前と同じ様に内飲する 。 或 は味方を背いて敵の旗下に成った者がある時 には、

同の事を 丁寧 に笠間 きつく し 、衣の僚の中などに入れて敵械の 近溢をのたれ歩 く中 態ざと捕はれ、

敵将へしかん¥とル央官白秋 する 。 一方には 、味 方 の 将 より右の謀医方へ 書欣 として、 裏切り合

医の次に仕ふる者に、 謀 医 の隠蓄 を懐 中させて味方の将へ持 ち来ら しめ、わざ と途中で捕はれ、

ょ地 は次 に迷ぷる袋嚇酬の術を刑ゐて、敵将と共謀臣と隔家へ二人別冷に仕へさ せる 。そして 訟

ふ くろ が へ し

、 北ハ 上にて此人謀叛の会を現はす。此術に付き て隠
彼の隠世 .返翰喝な ど取出 し

田 の書 き方、叉


政広川地待 め られたる時の模様、白欣する時 の模様 は書面に 現はしがたき華 々口 停あ り。


a
2

へ二)﹁紛忍隠忍等にて窃盗に入る時は、何時も敵の謀医の方への名宛にて 裏 切桐 閣の隠警 を
調製 し、衣の襟の中に入れ行くべき 事 ﹂



意 は、塗 火術の心たくして 紛 忍隠忍等 にて 敵 城 へ忍び入る時は、 早 路 敵 の 謀臣へ 名宛てに

、 衣 の襟 の中たどへ 縫 込み 行くの である。共故 は
、 随分密計
し て、裳切り相 闘の 隠卦粛 を 調製 し


現 し捕は る L時 、 敵 は必や窃 盗 に来 た 理 由 を問ふ 。 いかに 究め問ふも臼欣
を制すとも 、若 しり

し てはならぬ 。責め問ふ 事頻りな る に及 んで 、始めて 口を開 き 、我 が 一命を 宥 し給は じ御方の

L上は、 いかに 責めらる Lとも白紙仕ら、?と 言 って止むので あ る。此に 於て敵


'
大事左 中上げん 。 此事、我身若 し白 せざるに於 ては、 御 方 の危難 は格壁 の中か ら 起 る事 と


たるで あらう。只今起らん も計ら れ歩、故に我が 一命 さへ た赦し にてば 、 只今白紙すぺし。唯
だ死刑に行はる

8~

必十 一はん 、放が 一人仰を占有 さん稜 に一大 事を有 の健 に白紙 せよと ο 此者 叉答 へて 、


﹁一命仰赦免の謡 、御悲劇紙を 以て庶 同
た き回
目を硲 め たい﹂



と いふ、敵も 一大 事の 由なれば我が 申す 鹿 に随ふ であ らう。北ハ時 .彼を人保⋮
き彪 に作れ行き、


彼ω封じ込みたる 襟の隠蓄を 取出し、
宏、



(
三)
﹁ 大 将 の 恕 投 球 き 者 を 蛍 火 の 術 を 以 て 忍 ば す る 時 は 、 表装を 以 て忍を佼ふべき挙 ﹂

此誌は成就せ ・
? と も 、 敵 軍 互 に 疑 び 合 っ て敗軍の前表ともなる。


て 共 計 が ぴ っ た り と 合 ふ 。 斯 う な る と 大 抵 は 死 を 免 れ 、 叉敵の内乱 を起す 事もあらう。若 し

認 め 泣 き 、 若 し 要 用 の 節 は 人 を 使 と し て 取 ら し む る 事 を 前 以 て 約 束 して ある事故、此時 に営 つ

と ℃、 愈 々 使 者 を 逆立てる 事 とたる 。 衆 て敵方の印蓄少しも蓬はぬ様に似せて反り忠の蓄を

手に有り、取寄せて御覧に入れませう﹂

﹁然らば 、我 等 の 使 と し て 人 を 差 遣 は さ れ よ 。 英 、誰々 ・
万より内々に遣はしたる密武田 は誰誕の

場合 には、之に 答 へて、

ぺた くてはたらぬ 。高 一、敵が承知せ歩、何んで然緩の事あらん、中ん 侭

円ふ政危
N たるぺ しと 品

但 し 此 の 術 は 、能く敵方の 戒 容を内々聞き脳け、 いかにも似た 事を隠警 にも紋 せ言葉にも述

と 、 前 後 の 辻楼を 合はして告ぐるので あ る。

られ ・
?との意を惇へる銭めの使者として 、 拙者忍び入った次第に仰ぎる﹂

﹁御方の 誰 々反り忠致すべきの約束に て、何月何日攻め入 る べき怨め、北ハ
時節相棒へ て裏切せ


8
4

、 大将 の恩賞厚︿蒙り殉死 を も潟す べき 程 の 者 か 、或 は 子 を 多 く
凡モ 怪火衡を使 はす る者 は

n
u︿は 議 命 を 知 ら ぬ 者 を 伎 は ず 時 には、必
育 んで 食なる者 かを伎はすが宜し い。若 し 思の薄き4

や心仙波 りして却って味方を亡ぼすぺき計時を篤すもので わ る。此 お極め て大 事 で あ る 。 孫 子 日

J

﹁抑島知百に非ざれば聞を用ゐる能は十、仁義に非ざれば問を 使 ふ事能はや 、微 妙 に非 ざ れ ば、門

之質を得る 事能 はや。三軍の事、問より親しきはたく、 事は問より総なるはたし﹂

とリ放に恩賞 薄き対を忍宥 として用 ゐるのは大 いに 立 し か ら や ‘ 併 し な が ら 、 事 的 此 む な く
して之を用 ゐる時 には、叉別 に慮りを裂する 。

元来、共れには性繰剛にして 儲 古 多 婦 、多 く事に湛へや、移りおき者を同叫んで伏はすのでb

より 性腺念たる 者 故 、 必 や 敵中広 入 っ て捕はれ 、官内家出航する時は

る。共時 、北ハ者に 計略を授 く るには、首内端、計略の装を ひ聞かするのである d例 へ ば 凶 に向



って 攻めゃうとい ふのを来に向 うと 一一=
、 諸事一義を 示して ‘告ぐる事被し

び 、北は南といふ如 く


85

やかにするのであ る

すると、右 の忍者 は




鈎L

明かである 。

ふくろが、し

水 に 入 る よ り も 容 易 く 箆 ゆ る 故 、 若 し 召 伎 は れ 候 はど如何校の城陣へも忍び入り申すぺし ﹂

﹁来は伊賀閣の者で 、幼 少 の 時 よ り 多 年 忍 術 を 手 練 仕 り 、如何なる被陣へも忍び入る事 、鵜 の

共 ぷ は 、忍 者 敵 方 へ 往 き て 凶 縁 を 求 め 城 中 に入り、

︿一)﹁ 袋 献 とい ふは 、心を 反 挺 す る 事 袋 を 裏 表 に袈す が如 く怒 る事。 ﹂

袋縦術二箇候

信託とするから 、敵方の計略は皆以聞の反問と たる、 従 ってそれはム nぜて味方の勝利とたる事

く 事 に地へ守 、意 潟 く多一

同怒る者は 、味方の後備北ハ地何事も敬はった依に白欣する。敵叉之を

芯波厚き 者 ですら、義の足らぬ輩は、 大抵反 聞と 成るが常で ある。況んや思議
な場合には主の ω

一命を宥し高級を輿へるが、悲し白欣せざるに於ては、共身 死刑 に行はると責められる。とん

郁t

とて 利 か特 別 の業 を 現 は し て 見 せ 、

8
0

1
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.
l

﹁一暦奥深き事は秘続放御覧に 入れがたし﹂

.
a枇たらば必中堅み叶ひ 、共の 家区に取立てらる

と説く。然る時は

L必定でわる。

扱て、松経て味方が此披へ押寄せん米る時、叉段初、味方の将と激て約 束の 上の 本故 、味方の

ハ に放火などして手柄 を 立 て 愈 々 敵 に 心 を 許 さ
陣庵などに無用の小屋たどを掛けさせ置いて、 北

せ、同時に、味方へ往来の度ごとに倣方の事忽ふ依に主将に告げ知らせ、宜しき時節に附みて

敵城に放火 し.叉方便を以て夜討たどし、 或は作作 νせの反り討など し 、 或 は 付 入 り に 敵 域 に 人

ふ鋭献が
って即時に 攻め許す ので ある。 此術は、 袋を一義へ反して叉去に以すに似 て居 る 彪 か ら 、

術と競す。是等の 方 便を行はんと せば、兎 角忍者 は常に入に 見 知 ら れ ぬ や う にす るγ肝裂であ
る。 つまり遮士として世間か ら 隠 れ た 生 活 を し て 居 た く て は た らぬ。

会己﹁右に述べた術が行ひがたい場合には、殺て 敵の城陣へ 出 火 り す る 者 の 従 者 と成って山川
入すぺき 事﹂

87

凡そ敵 の城陣 へ出入りする粁は 、出家 、留 者 、 座 頭 、 猿 創 し な ど 、般人前人の類である。共

外、敵一政へ出入する者を聞き定め、共者の従者とたって打
連 れ 、敵中に入りて後.色々 の計略


j
;

佐官である ο

﹁放若し艮り忠などの志あらば、放が一命を宥すぺし、共上高知行を興、ふべし﹂

則ち忍者に向って、

(一﹀
天 唾 術 と い ふ は 、 天 に 向 て 唾 す る 時 は て我身に降る如く、敵より味方へ入りたる忍

.

者却って敵の筈とたる事をいふのである。若し敵方より忍者入り来て味方之を捕ふるに於ては

つほ

天唾術二箇係

ら、況んや平生敵の披陣へ出入りする者の従者と成って入いる時は、入られぬといふ事 はない

大 勝 を 博 し た 事 、 委 尚 史 資 に残って居る。是等の術すら、北日は設 口を構へて行っ たのである か

康安一冗年に筑紫の博多にて、菊池肥 後守 の 家 子、城越前守が 、方便を以 て松浦凝h
z夜討 にし


集て主将と契約の如く放火するの であ る

を辺ら し 、 或 は 議 一
一一門等を以 て敵の 家中の内飽を 起し、互に 疑の生やるや う にし、時至って後、

83

た芝色々一守一同を議して問ふに、かの忍者之を承知するに於ては、邸ち大将の知行朱印等を奥へ、

彼が妻子等を窃かに呼取り、誓妖を警かせ、彼が心中金く疑ひたきに至って敵方の様健審かに

問ひ知り、之に依って蔦事の計略を祭出するのである。且つ彼を以て 敵 へ忍びにやる時は、敵
おた

は自分方の忍者として油断する故、首内事の計略思ふ健に能く中り、敵を 滅 ぼす 事 容 易 である 。

口った。
此術を孫子は反問と名付け、反問 段芝能き 術 はたしと 一
=

(
二﹀﹁ 敵 の忍者が味方の城陣屋 の中へ 参 り、或は 塀 下、石 垣 の洛へ 来 る時は、 北ハれを知ら ざ

る鐙 にて、却て我が城中の計略等 を係り聞かせて、反って味方の忍 者 と す べき術﹂



今、敵の忍者が味方の城陣へ忍び入りたるを見付けた 場 合 には、 態 ざと 係 り 、之を知 らざ る

風に装ひ、我が軍中の事共諸事見聞する様に計るので あ る。彼 共事 を民 と心 得 て師 夕
h 、敵 中 へ

共俊告知する時、敵将是を誠と思び、共言 に相 癒 する 軍 の用 意計略を立 てる のである。

然るに此 事たるや、元来味方の方で 敵 の忍 者 と知って わざと 軍中の事を、 ・袈は表 に茨 は
・装に

89

‘間違 ひを以て計った
傷れ y
事故、敵 の目算は外 れて 敗軍 す るの である 。此術は 敵 の忍者が、味

方の石 垣溢迄来ても之を捕へる 事 の出来友 い相

合か
、 叉 は我が城障の中へ忍び 入い った 事 は知

~噌

νI
J


!
l

弛弓の術二笛候

る のである 。此術と事とは別にして心は同じきものである。

れども、北ハ忍者が何れの者かしか と知りがたい時 、右の謀計を高撃に語り 、或は北ハ形容を見す

?
J
7



Hき 、共 上 士 た る 者 の 主 人 と 仰 ぐ べ き の 人 に も あ ら 子 、行 末籾秒、もしから守 、且 つ我々

への 命令

﹁来は忍者波世上止むなく一旦は彼方へ奉公の身となったやうなもの弘 、彼方の所行は天理 に

ト心から近んで反問になる五を附ひ出づるのである 。

敵 の 院 と た っ た 時 、 敵 方 か ら 反 問 に な る 校 勧 め られたたら幸 ひ
、 若 し勧められなかっ たら、此

内すり 、 反問を矯さrる卒、弛みたる弓の如くなるに依って此術の名とするのである。初 忍者 が

凡 そ 忍 者 敵 に 捕 は れ た る 時 は 、 表 面 は い か に も 敵 に 身 を 委 ね順ふとも、 一
袋町は心底堅 く義 を

したが

(一﹀﹁弛弓の術とは、弓を張る時は三日月 形 になると雑ども.弛むる時は本の如 く一月へる意
Lー

90

議く表裏のみにて信貧に非守、某不倫円・なりと難芝も、向 後 御 鴛 に忠節 を致さ ん。 一命をお的 し
給はらば、幸に御ざる﹂、
言葉巧みに巾述ぺると、敵は喜んで、
と一

向 き 、 人 質を窃 か に召し越せよ﹂
﹁然らば一命を宥助し ゃうが 、但 し 汝 逆 心 ゑ き 誓 文を意

と言はん、 共 時申すべ き は


人 質 の事は味方 の大将に 取られ 候 上は、 早 速 には召 取 る 事 困 難 た ら ん も 、行 米 計 ら っ て 行 取

り御 渡 し致しま せう ο然 る に
、 某 此度 、 二心の 事 少 し にて も 味 方 へ 風向b らば 、向 後此 方 の 討

υ品


時の 妨げと なる べし、 析す文の事 は
、 菜 園 よ り 所 望 の庭 に御ざ います﹂
と答へる


某 二心なき詮搬を沿 所墜 とあらば 、粂 ね て 敵 陣 の 様 子 は 知 った る 事 故 、今 夜 に も 多って 放火
して 御斑に入れませ う

9
1

とら わ
と。そ とで粂 て計り置き 、高 一 良 れ
とたった時の計略とし て、諜し 合 せてある味方の 小尾た

m


E

どへ放 火し、叉は新 入り罪人の首たど左取って跨るのである。かくする時は敵も還に心を絞め
J


る事も有らう 。

'E F

や主

h
u

やまびとの術は、慢は手を拍つ髭から起るので あるが 、響の

差去


は此と彼とにあり、君臣の問

時節到来せば敵の城陣へ放火し、叉は議口たどを構へ、或は敵の首ゑど取り返き去るの である。

故 、 此 時 に 営 って 味方更に勤締押すぺき理由もたいのである。此の如くして敵に心を緩めさせ、

して、市内一捕へられた時の事迄打合せて 置 くもの故、英際は 敵の命 に従ふとも、粂て合闘の事

る、北ハ時は敵の命令通りに逐一言ふが宜しい。何故たらば最初敵陣へ忍び行く時 、主将と約束

敵が我方の忍者を揚め捕り、味方の城隊の塀際相際た どへ引来って計略を白紙さする事があ

り、北ハ時の心得の事﹂

︿
二 ﹀﹁味方の忍者 を敵方にて














れ来り、謀を言はしむる事あ

から

る。 其 の潮 合 を見て味方へ往来し、其毎に主将と ムロ闘を定 め、敵携に放火し、敵の 大将を討取


92


、 初め より 此君 に事ふる事を 世
此の如くにして忍びに出かける 事をいふので あ る 今 、 忍者 が

、却て味方の 害 と なる事是 より 大たる は

人みた知るから、敵方へ行 って 出仕の笠をたす 事も成しがたい 。 叉 一亙 の計踏 を 以 て敵方 へ出
仕す るとも、終には 隠謀銘現 し て身死するのみたらや
たし 。

、 栄之
、 君 臣 密 談 の上にて、 併 せて 巨大 た る牲をた し
故に此 震 に事ふる事世 人能く 知 る故 に

、 一合戦 して
、 牢 獄 に下し、 或 は家 宅 を 波 牧 し 、 這 放 たど し て君臣 相 等 ひ
を聞 いて 大 に般賢 し

五人七 人と 雑兵 を打 殺し退きた どして、 共上に て敵 方 へ行き、 右 の 読 計 を 巧 み に利 用し、 如何

っか

?と
、 敵 も 事 ふ る 事 を許 さ・
にも良質の 情を見 せ、疑の 無きやう にして 敵の 方 へ出 仕を望 む時 は
いふ事 は泣いで あらう。

生 日な

、 甘内
、 老中 出 頭 人 等 を 種 々財 費を も て賄 ひ
かく して敵の臣と たり、 後色々 の忠節ぶ りを蓋 し

人々 の好む遣を 以 て敵の腹 心に 取入り 、或 は 敵 将 と密 談 し
、 味 方 へ 忍 び 入 り 放 火 た どをし 、共

93

往来 の度びに 味方の大将へ敵方の様髄首同事通知 し
、 時到らば、敵将を討って退 く か、或 は味 方

6

に外 より 攻めさせ て
英の時仇EU従 っ て事を翁す のであ る。
、 城陣の内 より 放火するか、兎角 一


新川義興を竹襟右京売 が謀って 討った幕 、叉 は-一亦壁の戦 に、央の孫 纏の臣 、
実葦が苦肉の認 を

J
l

A

用ゐて、 訟 に前回
繰 の大軍を盛殺した 誌 など之に 類した ものである。

9
4

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7
J

陽忍の 術 l 近入 り の事

近入り とは 、敵 と封陣 し て戦争朕 態 の時 、陽 術を以て 忍び入る 作 法 を 記 した もの である 。同

、 戦 争 欣 態 にならぬ以 前に於て、前に
、 未だ兆はれざ るに謀る とも い ふ 通 り
より能 く謀 る者 は

述 ペた逮 入りの 術 を行ふに如く は怠いの である が 、 す で に 近 々と釘陣の 時は 、用心政 し き に図
って危き事では ある が、止む を得十此術を 用 ゐるの であ る

略本術七 箇保

敵 の城陣の様械 はせ
同ふに 及ぼ歩 、敵方の 老中、 物 頭 、奉行 、 近
、 或は


日 、叉は出顕人

9

ハ一一)



時奏者 、使番 .門 呑等の姓名 叉 は居宅の在所迄能 ん
二時ね問 ひ置 く 事が肝要である 。共 外' の衆



沼、



.

銘E

一つには時の智 略の用とも怒り 、二つには共親類方よりの使な

が仰苅りの者、樵夫等に便り 、宜き計略を以て問ひ定むるが宜 しい 。故に矢立を懐中して聞く に

方節減して敵攻むる時か.或は互に他閣にて釣陣の時は、敵の城陣に近い山村へ行き、敵方 の

書 き 記 し 泣 く の で あ る 。 消 し 知 ら ざ る 時 は 、 敵 城 沢 溢 の 市 人 、百姓 たE K能く問ムペく、叉味

なって居る者か、叉は敵方へ出入りする出家、商人、座頭、猿紫の輩に然々近づき問 ひ、逐一

前僚に述べた様た事を知る震には、どんた方法を取るべきか。夫には 、敵方を背 いて浪人と

(二)﹁ 右 の 様 健を問ひ知る術の事﹂

悲し之を知らざる時は、計策を立つる基本もたい事とたる。

E に織変じて忍び入る時の用 とも怒り、 三つには 、議好を 構 へ、敵方を離間するにも用ゐられる。

と。此の如き事を知る時は、

将の左右弱点拘門者会人の姓名を知るぺく、 z
nが聞をして必や之れを索め知らしむ﹂

﹁凡そ軍・の態、たんと欲する所、竣の攻めんと欲する慮、人の殺さんと欲する慮、必や先づ其守

知って置く一事。孫子日く、

の一族因縁の人の筋目、何れの関長の者で、如何様怠る家業であるかたどに至る迄、余々能く


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従 って 寄き博めなくてはならぬ ο

三 V﹁我が在所 を侭る鴛に他閣の風俗方一言迄を能 く識る ぺき事﹂

今若し自分は伊賀甲賀の者である とい ふ・ならば、敵は用心する事と・なるから、能く知って尉
むらぎと

る所の 他 図 の邑塁を 、自 分 の 在 所 で あ る と 侭 る が よ い 。 併し其風俗や言葉がムロはぬ時は、敵愈

怪み不審を鴛すものである故に、共闘風や方言を能く
/X知って置かたくてはならぬ 。

hk

(
四)﹁諮問の城主領主等の印形を持ち行くぺき事﹂

此事は上段に己に述べたのであるが 、近入りの術に専ら用ゐる事があるから、愛に再設する。
(五﹀﹁仮の妻女を漣れ行く事﹂
若し連れ行かざる時 は
、 設中氏之を求める事。

ハムハ) 凡そ忍術は 、何 れ も 同 じ 意 味 で は あ る が 、 別 し て 、 陽 忍 の 近 入 り の 場 合 に は 、 敵 の 動

作や 一
言語怒ど、初めから能くノX 考へて行はたくてはならぬ。

のろし

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ハ七﹀﹁近入りの時は猶更に相圏、約束を能く定むぺき事﹂


凡そ相闘といふは、夜は飛脚火、入子火、 一町火等の類、 叉萱は、狼煙、旗、貝たどである。


ので ある。

敵が陣屋 に居る時 、忍び入 らんと忠は宮 、前夜潜かに行きて敵の提灯 の紋を能く見届

馬 の 脚 き 吠 ゆ る 蕗 又 は 例 にたく柏子オの一育も な く 、 夜番夜廻 りの戒め の聾も問 え守、凡てが縛

凡 そ 敵 が 夜 討 を し ゃ う と 忠 ふ 時 は 、 域 内 が 平 日 と 迷 ひ 、火 の光りが多く怒るとか 、又は小八や

げ、兆徐の者は敵の 川づると片互ひに敵陣に忍び入る術﹂

(二﹀﹁物見の術を用ゐて 、敵が夜討に山内る事 を知ったたらば、 一人は共回目を味方の大将に牛肉

に火を入れ 、張 在 、夜廻 hy、或は 鋒 火 呑 等 の 委 に 幾 じ
、 機を見て忍び入る事。

v
'

けて蹄り 、同ぴ 形 の提灯を作り、翌日の 夜 、之 を懐ろ にして敵 の陣屋近 くへ行き、手早く共札

(一)

敵陣屋 へ忍び入る時 の用意

約である。己に敵の城内に忍び入って放火しゃう とても、右の如き相固たくしては成功したい

約 束 と い ふ は 、 相 闘 を比する時、大将 、鼓を 打ち、凱襲、 銭砲の獲を彩
しくして攻むる事の契

P
S

か であるの で察せられ る。叉は 小物見や 、旗 義 物 の 勃 飢 の 憶 な ど で 祭 せ ら る Lも ので ある。 什六

U

時忍者は敵将に近き茂林、深草 の中 に 潜 ん で 敵 の 出 づ る を 待 ち 、敵 が 出 たら 、片 瓦 ひ に 城 内 へ
入る のである 。 此時には忍 び 入る に三 つの利 がある

一には 、凡モ夜討は敵の不意 を計 る事 故 、幣 か に 械 を 出 づ る 事 とて、兎角は 敵をけ日るの み考

? に肘 る υ
へて 、却て 敵 に謀ら る L事 を考へたい、い阪 に比 時 忍 者 の来 るべしとは 拶 更ら 知ら ・
あは

二つには 、夜討 出陣の 時 故 、事繁移 にして 泌 たどしい お に、心 取紛 れ て微 細 の穿包起 は州か
ない のである。

=一
には、城 門 を出 入す る者 が 多 いか ら、どのや う にも し て 忍 び 入る に便 であ る。
おひ c bι 凶凶

以上 三つの利有 る故 、敵の ムn詞を 知らた く とも、勢せ守して忠 ふま 与 に 忍 び入る事が 山来る 、

ah

且つ 城中 の敵が少 危いから、 第一放火 し 易 い。北ハ虚に 乗 じて 却 て味 方 よ り 攻 むる時 は 、敵方釘

か たた がひ
く者 少くして 敗 る a道
A 理。故 に此の 参 差 の術は近入りの 最 上 紙秘 と一
言はる

99

っこ)﹁姿 を援じて 賎 卒 と怒り、 或 は 離 れ 行く 術の有 利 な事﹂

凡モ 姿を愛じて賎卒 とたる 術が、 何故に有 利なる かといふに 、甲 胃 を 若 た 立 波な士は人目 に


く忍び入る事が出旅るのである。

められ 易い。 一人々々 離れ て行く時は、見処nめらる L者があっても、仲間の中幾人かは妨げた

すと 、共践には大将が居るの である 。 叉離行の術の利といふは、 一一速にたって行く時は、見後

向 ほ 、 と ん た 事 の 鴛 に 、 敵 将 の 馬 印 を 常 か ら 能 く 見 識 り 置 き、叉人 数の国 く集った彪へ と志

などは、遠藤が、賎卒と姿を愛十る術を知らぬ不健の結果であ る。

った。 それ を竹中久作といふ 信 長 の 家 来 に 見 附 け ら れ 、組伏せられて 首を取られた とある。是

首を提げて、敵将織田信長の勢に紛れ入り、信長と差違へて死せんものと志し、陣中を駈け廻

、 朝 倉 義 景 の 臣 、遠藤諮問右衛門 といふ者、自に立ったる甲胃を若し
昔、近江図姉 川の 合戦 に

てはならぬ 。

中 城中無 事で、静雄た時に は、却 って賎卒が怪まれる 。兎角時宜を察して機に陥んで行は往 く

雑兵は、人の自に立た宇、心を惹かぬものである o故 に忍 び入る事も容易でb る。但し敵の陣

立 つもの 故、 必や敵方に見符めら れ る。放 に紛れ忍 には、 賎卒 と姿を 愛へるが よろしい。賎卒

100


を聞き付け、叉は見付ける様に心がけたくてはたらぬ υ

(
二 )﹁主将と契約の上、餌を以て敵を 誘 ひ出し、加ぬ志伽畑 、水月術 等 を以て忍び入る

凡そ餌とは、香や餌を付けて海川の魚を釣る如く、出でぬ 敵 を 誘 ひ出す術で ある。

て敵の後詰めの兵が入るべき筈である。斯うして 置 い て か ら 、 右 後 誌 の 大 勝 の 使 者 で あ る と 詐

一には 城を攻むる時、之を 三方から攻めて、 一方は空けて泣く ο すると、そこから虚に乗じ


太刀ム口や検合たど自ら刀槍を揮って闘ふ事よりは、等ろ方々に走り廻り.敵の合問、合印たど

企早川

VCと除骨骨ひじるし

重夜を限らや敵が軍を出し味方と入飢れ載って、共後で敵が引退く時に営つては、忍者は、

︽一﹀﹁敵抜から、夜討か 重合戦 を 仕 か け て 引 退 く 際 、 之 に 附 入 る 事 ﹂

z遺すぺき
り、所説擬印を使用した謀蓄を作製し、潜かに行きて後詰めすぺき由、叉は兵糠等b

1
0
1



旨を申込み、円限たども定めて蹄夕、営日の夜に入って牛馬に似せ荷を着けやり、自らは馬子


である。合闘を拘 げる事が手遅れになると、災摘が出来るもの故、早い程宜しい 。

三 に は 、 人 の 少 き 地 で 合 悶 の 樫 を 早 く 揚 げ て 、 忍 び 入 っ た る し る し を 味 方 へ 告 ぐ る事 が肝要

ある。

こ には、敵の ムn
詞 を 忘 れ や 、 合 印 を 失 は 守 し て 敵 の 作 法 に随ひ 、敵の詞に隠び 行ふ事 肝要で

より 鴻ね 間 ふと き 、 心 聯 倒 し て 間 違 っ た 事を 口走らぬ様にする事。

一一は、敵の城陣の中 、東 西 南 北 に て 迷 ふ 時 の 鴛 に . 心 あ て の 人 を し か と 諮 り 誼 き 、若 し敵方

偽 ほ 右 の 如 く し て 参 義 、 水 月 の 術 を 以 て 忍 び 入 る 時 、専一に用心すぺき 一
事四ケ依ある。

た る様 にし、敵を披中より 誘 ひ山し、 或 は参送 、水月の術を 用ゐるのである。

かた 、がひ

。 右 の 如 き 術 を時 と所の 宜しきにしたがひ、敵の慈の膝じ
には、似 せ放 似せ 幕似せ丘(線等 の事

三 には、 味方小勢出張 の時は夜寧の事。 内には、味方小 勢出張して平却一
た地に陣する事。五

こには、味方 が最初に攻寄するには 、 日暮時を選んで進み 、敵披に近々と陣を取る事。

坂の城で湯浅を降参させたの も此の術で あっ た。

となり、大勢を引入れ、主将が北ハ後から入って一患に敵乞攻むるといふ計略で ある ο正成が渉


1
0
2

以上の他にも、いろ

/¥tの忍び入り術が工夫されてある 。何れも人心の機械を抗ったもので、

忍術の要試仰 を設いたも のである 。 つま り は、間牒術の本憶であって、 山間同筋の軍隊に在っても此

同然必姿たものと忠はれる。能くいふスパイ戦術、 託事探偵術も、形とそ以(れ
u
の極の用意は、 m

本差 出せ ば 、自 分の姿は消えて大蛇や大鷲に畿やるたどいふ、
bL一

北ハの心理的方面は、永劫に熱る事がたいのである。温古知新 の 姿 を 能 く 考 へ な く てはならぬ。
、、、.、.、、
よまよいごとを必術の本

憾であるやうに思ふのは途方もたい誤りである。今日新聞統上にさへ 、外 腐 の ス パ イγ邦人の

婦女子を手に入れて、寧の機総を盗まうとする記事が現はれる 位であるから、況んや米だり桜銘

されざるスパイが、何れだけ多人数入って居るか知れない。 スパイ術邸ち忍術であるから、古

人が心血をからして工 夫した忍術の心 理的分子は、今後釜々之を研究したくてはならぬ。

右の他、近入り の術 が滋 山に有 るが大胆胞に止め置き、次に陰忍の法として、自然忍 の術 の 従 例

bL

m心

1
0
3

を少し述ペて見ゃう。前述したのは敵の 城中 や 陣 中 へ 忍 び 入 る 場合であるが 、 之からは陰忍

!n

以 て他人の家に入る 方顕である。営節窃盗 、強盗繭頻んケたる場合、十分に参考とたるべき
である 。
2
也、


併しながら彼を知 り己を知り百戦殆からデ
ψ

く知って泣かなくてはたらぬ。共上、北ハ家の近所へ行き、儀所たがら見計ひ、亦姿を縫へ仮滋

らなくてはならぬ。更に叉敵の智恵の深海、平生の心がけ、晴好趣味、家内の男女の名迄委し

子、或は袋殿或は門戸の開閉の難易、錠や掛け金、極、尻差たどの口問、叉床鳴りたど仔細に知

故に忍び入らんと忠はr先づ敵の屋敷門口の様子、或は道路の・厳狭、曲直、家作り住居の様

られて、 一旦忍び入っても益たきに終るものである。

す敵人の療所を容易に知りがたいのである。その篤に彼是と疑ふ中に時刻移り、反って敵に悟

と い ふ 位 で 、 先 づ 共 家 の 案 内 が 解 ら た く て は 、 仕 損 守 る事 が多い。旦又、忍び入っても、目差

行きたり刀捻で答められる様た事はないので ある

他人の家へ忍び入る 事 は容易である。城中、陣中と罪、り、戦争放態でもたいのであるから、

陰忍の術i 家忍の 事


1
0
4


ロ 討、合印を 究め 、
して共家へ行って見て考へ、鴎りて後我が組中の 者 と 談 合 し て 謀 略 を 定 め 、

若し仲間が分散した時には、務ムロふべき 場所迄定め、寓遺潟たきを期 して 後忍び入る事である。

四季排眠大要

扱て、次は家人の熟睡を計る事。

︿一)﹁春の事﹂

春は天気暖かに長関たれば、人の心もとけて長閑に 悠 々 と し て 身 健

だ るく取 町 れ るものであ
る、殊に中春から末は愈々暖かになるから寓 民眠る c
︿二)﹁夏の事﹂

夏は査至って長 く
、 夜至って短かく、中にも五月後から 六月中は、登の炎熱遊 しい 。放に 人

1
0
5

は疲努を催す 事が多い。 且つ 夏の末は夜 に
至っ ても蒸し 暑 き 故 、 管 よ り 平 く限る事も 川派十

短夜術以て短く、北ハ上夏の末は土用とたる 。土 用は 土 の司である温漁の祭が行はれる 、凡そ人

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る事が口寸い
↓Q O

0

・万米・夏秋冬の定訟である。されど睡眠の厚滞は人にも依り 、時にも依るもので b

ぶ は 水 の 気 故 、 至 っ て 寒 い 。 身 心 共 に 竪 闘 で 草 臥 れ 撲 む といふ 事がた い。故に眠つでも 兜む

(問)﹁冬 の事﹂

オのな味とたる。

たり、加へて 輩短 く夜が長いから、注々々眠りが少たい。されど七月は残暑とあって、大時五の

眠 り が 少 な い 。 時 季 冷 か な れ ば 、 人 の 身鱒 筋肉迄竪くたって転脱が少い。随って精紳も蹴かに

秋 は 金 の 策 で 、 燥 気 が 行 は れ る 。 故 に 草 木 の 葉 凋 落 す る 。 前 にも述べた如く、人が燥く時は

会 一J ﹁秋の事﹂

よぼと降る夜は、漁りも増し涼しくも怒り 、依て人の限りも深いのである 。

一時)から涼しく怒るもの故、人の 身 鰭も 安 楽 と怒り能く眠る。右の心得故、雨たどしょぼ し

此の道理である。故に夏の末は人が熟眠する時節であり、殊に夜の 一亥の時刻(今の 十時から十

の身例制が燥く時は限り少たく、漁る時は股が多い。大盤老人は限少く、若者 は眠りが 多 いのも

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.

106

年 齢 と 心 行 と に よ り 眠 債 を 祭 す べ き 三箇篠
(
一 )﹁老来肥疫に依り限努を察すぺし﹂
ひえ

凡そ 老人は身憶に、漁ひと暖気。とが少くして燥き冷が あ る故 、睡 眠 が 少 ゑ い。人に も 依 る が ‘

大燃老人は夜半迄限り、夜牟過ぎ八ツ七ツ(二時から四時迄 ) から醒める 事 が多い。年のエム口

・夜更けて朝に至っ て能く 恥る ο
でいふと、四十 歳以上の人 は右 に蛍 る 。 若 い人 は 気 盛 た る 故 、

問応れ老若 の異る廃である。此の老若の 心持を 以 て 論 や る 時 は 、 大 穏痩 せた 人 は附り 少く‘肥え

た人は眠りが 多 い道理で ある。痩者は浪り少たく、肥者は 漁りが 多 い。

二)
﹁ 心行に依て眠 慌を察する事﹂

m く少

大関心敏く念はしき人は睡眠が少たい。叉心暗々として悠 長 た人 は限り が多 い。行儀

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しも自志を 飢さ ね者 は眠り 少たい 。 叉行儀不正にして俄初 め にも平臥を 好み 、自 惰市併な訴 は似

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る事深い。卒生噌み鋭く、臥するにも稽を解 か歩、衣 類 を 渇 く浴 て寒 さを朕 はや、 大術大食を

したくてはならぬ。

﹁犬有る家に忍ぶ術の事 ﹂

因り眠りの潟深を知るの大要であって、人の寝込みに乗じて忍び入る者に取っては、能く研究

好む者は夜を眠る事少たく、諸事饗能の心掛けのたい者は、夜を能く寝るのである。右は人に

は最震の子女を亡ひ、叉親兄%を北人ひ、患多き人は眠が浅い 。 叉息一向でも禁事でも、真に之を

凡 そ 、 心 に 物 思 ふ 事 も 怒 く 、安 楽 怒 る 人 は 能 く 眠 り 、叉何事 にても物を 背にする事多く、或

︿三﹀﹁心安築なる と苦 患 た る と に 依 り 眠 り に 潔 深 あ り ﹂

ものである。

夜更しを好み、大泊食、夜食を好み、淫慾深く、遊興を好み、毎事随意に任十る人は能く眠る

せや、経飢を恨み、前向事的党情ある者は睡眠少たい。眠りても鐙むる事が早い。平生噌みたく、


1
0
3

凡そ忍び入らんと思ふ家に、犬ある時は、吠ゆるにより入り難い 。 之 に 入 ら ん と す れ ば 、 先

づ 二 三 目 前 夜 、 焼 飯 一 つ に 馬 銭 一 匁 を ま ぜ た の を 犬 に 輿 へ て 、 之 を 取 除 く 工 夫 を 要する。との

歩法の中座さがし

馬銭を加へた焼飯を食ふと、犬は死ぬといふ秘薬である。

﹁座さがしの事﹂

今敵の家内へ忍び入り、敵人が我を知って隠中に身構へ居るかも知れぬ時.此の座さがしを

行ふのである 。共 法 は座の左右の 端 を仰れた り と も ‘ 時 宜 に 態 じて 歩 き 、 太 刀 を 抜 き か け 、 翰

1
0
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を一二寸程かけ、其鞘にて探り、人の 営るを試み、品目同る時は、直ぐ鞘を突き外づして切り付く


るのである。此術は、下絡の七術の内の術でるるが、敵の家を歩む時には是非用ゐるのである ο



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Z

rq
E位 倣
号令

4

ν ﹁風上を除 い て 風 下 を 歩 行 す ぺ き 事 ﹂

戒めなくてはならぬ c風 下 を 歩 行 す る 時 は
、 敵 万 の 事 は 能 く問え 、我方の事は敵へ開へ守 、大


左往敵が肌ヘぎ 付 け る 事 が あ る 。 叉 敵 方 の 物一 を聞き 、敵が眠って居る か否かを知ら うとし ても


口 分 が 風 上 に 居 つ て は 叶 は ぬ 事 で あ る 。 故に止 む た くし て風土を歩 行する場合には 一音 せぬ様に

敵 の 風 上 を 泊 り 、又 は 風 上 に 居 る 時 は 、 此 方 の 物 音 を 敵 が 逸 早 く聞き付 け
、 叉火細
川の匂ひな

(

針になる犠にすべきである。

内から 屋 外 の 物 を 狙 ム 時 は 、 火 の 光 の 外 へ 差 し出 である所からせまってはいけたい。 月光と反

月 のいぷ友歩行 してはいかぬ 。例 へば 、月 が 東 天 に あ れ ば 、東方を除いて他方を歩行する。叉家

月 の光は外から内へ送込み 、火の光りは内から外へ 差 出る 。 故 に月夜に忍び入る時は 、必 43

(一 )﹁日光の光簡を遊 く る事 ﹂

弘 FH︾

1
10


利が あ る
(三)﹁民たき時の軒の竹薮 を 遊 く ぺき 事﹂
何一し風吹いて騒がしい時は、 竹薮を歩行しても苦しからやノ。

、敵は北ハの立つ浪を


、草 も 援 も 鳴 り 脅 が し な い も の で あ る


四 )﹁日焼けした 藻 ‘草の中、 等を避けよ﹂。
但し、雨の夜、或は夜 更けて 銭 の浮 ぷ時は
(
五 )﹁水の動 きを欣ふ ぺき事﹂

凡そ溜り水を渡る時は、渡る麗 が敵から 見えな いとして も 、 浪 が 立 つ 故

忍び入るべき 夜 の事 八 街 係

111

見て、其れと 気 が付くのである。右五ケ僚は忍 者注意す べき 事である

ハ一)﹁祝 同の明の夜﹂


ら Sあ
飢一 の夜は酒 宴飢舞た どで夜 更かしをするから、 入ァ (今の午前二時頃) の時 分に均明き段


万7

礼治


もの故、明の夜は能く限 るもので ある 、共時能く虚質を見計って忍び入るがよい。

前の 夜 に隣 家 に火事院時其他何か大事の有った時は、北ハ近溢迄眠る事の友く、北ハ上草臥れる

(問)﹁隣家に火事叉は珍事有った明の夜﹂

は 一考 を 要 す る 。 茶 は 人 の 眠 を 妨 げ る 。

起 き 居 て 、 後 疲 た る 夜 は 能 く 限 る 道 理 故 、 共 の 虚 に 乗 じ て 忍 び 入 る が 宜 しい 。但し 、新茶の時

凡 そ 敵 家 に 飢 舞 、 月 待 た ど 何 事 に で も 遊 興 あ りて、子丑寅迄︿今の午前一時頃から明方迄)

っこ)﹁遊興の夜﹂

ので あ る、共の般に一来十るが宜しい。

或 は大 事 の念病を 忠 ひ、其病が 怒 った夜、叉は鮫げ間日たどの夜は、敵家の者能く眠って居る

北ハ
次の
、主人、 ・妻女、子供ゑど患ふて久しく夜誌をし、一旦快気有って家内の人気を寛げた夜 、

つ一
)
﹁ 病 後 の夜 ﹂

ある。

たらば、 北ハ夜猪段以て忍び入るに宜 しい 。此の夜は悦びの心計りで、戒めの 心が少たいも ので

2
1
:
1

(
五 )﹁地円誇努役の夜﹂
舎も

普請を鴛して終日肝を煎り、或は何事にても心努し、 叉 は 遠 路 へ 行 き 跨 っ て 、 草 臥 れ 泌 た る

夜は北ハ家へ忍び入るに好都合 である。放などは、 能 く 草 臥 れ 能 く 限 る 道 理 で あ る 。 殊 に 松 友 の

長閑炎熱怒る時は、蹴刺草臥れて方角もたきもの故、是等の時には必守忍び入る事をねる。
(ムハ)﹁愁嘆事の有って後の二 三夜﹂
ふさ

一七円の問は、

一族の

宏き親妻子を死たし、愁嘆して北ハ刷りは歎き明かすと雄ども、看病の篤に草臥れ、心附 W波

b った家 では、
するから、北ハ二三日の夜は大館能く限る 。 殊 に愁嘆の 事-

男女 さし 集 ひ、繰 を 円ひ、宥は久しく起きて属るものである 。さ り と て 共 身 金 石 に 非 ざれば、




す 一
夜牟入ツ頃よりは熟眠するが常である。況んや共家京市の者又は 寄 り合った者北ハは、 根本から 心

に愁があるともたいから、備段以て能く眠 る道理である。叉愁事の有った共日の黄昏の時は、

Kぎはっき 諸 事 吟 味 が 薄 い も の で あ る 。 紛 れ 忍 び に は 好 都 合 で あ る 。 但 し 其 問 の 虚 賓 の 見 様

113

は逐一 室

き 現はせ るものでたい、各自能く考へる事。

(
七)
﹁ 風雨の夜﹂


(
;
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k

久保府筋 門 少しも騒 が十 、 それを英、ま L衣の袖で拾のしほくびを握った。





げる。主人は槍を持出して下から天井を突き廻った矯め、久保右衛門の額の真中に刺さ った

鳴った。此時、家人一人眠ら・?に居たのか此物丞同党聞付けて怪しみ、主 人 を起 し て右の由を告

拾 い で 伏 して尽た ο 夜更け人 静まった時、 時分 はよしと起き出てんとした ので、薪が鳴 り竹も

部下北ハの少し後から薪を捻ぎ、打紛れて内へ入り直ちに天井へ 上り、 持 った 薪を 引
ひとばかり 、

た れ ば 、 家 中 の 男 女 此 の 薪 を 手 々 に 取 入 れ 、 天井へ梯子をかけて上げた。久保右街門はとれ 幸

ほしと

であった。彼れは先づ此の 薪 の聞に 隠 れて内の 様子を窺 って居ると 、折柄念雨しきりに降出 し

忍訴があり、或家へ忍び入らんとして日の募方に共屋敷へ行って見た慮 、大庭に薪を津 山続 ん

凡そ敵家の 近傍何事か騒動ある時は紛れ入るに立しい 。昔、湯船の皇に 、久 保右術 門とい ふ


ノ ﹀﹁騒動の夜﹂

とい ふ。雨鳥は風雨の時に出づるものである。雨のふ伐に忍ぶとも笠喝など被る事 は無用。

は絞か 故 、 人身安換に し て眠りが深いものである 。 此時忍び入りの好機である o是を雨烏の術

風雨の ・
夜は物語日開えたい。放に古から風雨の夜を忍びに川ゐた。且つ雨の夜は支 は涼 しく冬



1
1
4

出家主ば拾を引取って一言ふには、

、 家主親子 、

﹁何か手答へがあった。併し人間たらば槍に血が付くべきぞと、火を賄じて 給 を 比 た け れ ど も

巴に袖で拭ひ取ったから血が少しも付いて居ない、扱ては人間では 無かりし﹂

とて家主も下人も 安 心して寝て了ふ 。 久 保 右 衛 門 は や が て 天 井 か ら 下 り て 来 て

主従同五人を刺し殺して立退いた υ共の 傷 が 癒 え て後、 額 に穴が残った信州に、諸人は紋生火久


川 じて 最 初 か ら 思 ひ が け な い 事 で も 、 時 の 立 し き に 従 ひ 、 気 燃 を 川 す が 必
保ポ街門と呼んだ 。
ポの肝裂とする所である。

叉雨夜の事に付いて一場の談柄がある。昔、 一人の忍者が、仲間と二人で、用心政しい 家へ

雨夜に傘を中 して忍び行き、仲間に 傘を差させ て雨滴 れ の 落 ち る 所 に 置 い て 、 自 分 は 裏 口 に 忍


んで居た。然るに雨傘に雨の 蛍る一耳目を共家の番人が聞き付けて 、 勝目を揚げて遁ひ出した。共騒

l
1
5

ぎに彼れは易々と入り込み 家主を刺 して 本笠を遂げたといふ。総じて忍術は裂を用ゐる事を州知

一とする 。風雨 、闇夜に限ら歩 、 共愛術教の趣に依って用ゆるが忍びの妙意である。


e

必ず入るべき四箇篠

六には、表口より奥へ入るには、遠くしてE つ幾つも戸を開けて入らねばたらや、見付けら

うて油断して居るが常である、随って垣や掛銭も締りを忘れて寝る事が多いからである。

五には、 裏 口の戸は表口より溺く、掛け鋭も粗末なものが多い。且つ家人も裏口は心安く思

同 に は 、 裏 口 に は 一 旦 身 を隠す廃もあるものである。

=一
には、表口には呑を置くも、裏は心易く思ふて悉く油断する事がある。

こには、裏口は人の出入りも 寡 きもの故隠れ易い。

伝い。

一には、凡て人の家屋敷共に、表には要 窓口を能くすれど、裏手の要害は表口稜丈夫にして居

凡モ 裏 口工り忍び入るに、主ハ得がムハツある。

︿一﹀﹁ 裏 口土り入るぺき事﹂

1
1
6

る L筈である。裏よりは 奥 へ近いから、戸を聞ける 事も少なく、

恋々 々以℃ 見処 uめらる

道理であるo E敵の臥所へも近い 。故に 裏 手 から忍び入 るを隠 忍の常法と する
。一)﹁奥より口へ入る 事﹂

本山
ザき

kh

、 北ハ得 三 つある ο
右の如くして裏手 から 屋敷 中 へ 入 り 、 敵 家 の奥 の寝所へ 共 催 入 る に

、 荷一ちに敵の寝間近く 入 る
一には、上の僚に 記 せる如く、 一議 口からは 戸 を 幾 重 も 聞 け守し て
事が出来る。

、 共 場 所を 世
帯ね探 す 時 、奥口から入る
こには、敵若し思ひ の外 怒る﹄胞に臥 し て居る事あり て

tA

事 たく 処口めざる 道 理である。

、 敵岡山
び 付 かぬ 事 である。
時は、鍵、掛金をば外して 入 るだらうと は
三には、奥口から行けば、 若 し敵が眠ら ・?に 居 ても 、怪まる

一 )﹁表よりは座敷よりの事﹂

1
1
7

凡そ表口から忍ぶ 事 は惑いに 定ま って 居る が、併し、 一裏手 から入る べき便りたき時は、座敷


から入るがよろしい 。何 故 たらば、
戸は一

、 其 内 は 大 祇 襖 か障子に怒って 居る から 、





たとへ掛 金や尻差 の用心 がしで あるに し ても 、何れかと 口へば聞けよいもので あ る u つまり座



J
山、


(
一 )﹁初めて 屋敷とハ以 内 と へ 入 り た る 隠 家 の 事 ﹂

陰形術五箇依

奴び入るお 、 之 れ 俗忍の常法である。

切である 。叉 ポ比柵の下な ど は入りよく出来て居るから、戸を開けて入るよりは右の筒所から

まし冒

印して 入 ろに口仰い。叉縁の下の犬防けの廃は大低手経 に出来て 居るもの故 、放して入る事が容

凡 モ 袋 内 へ 入 る に 是 等 のいい同一は泊沿な場所である。引一下地窓、迷子窓は或は切り入り 、或は

ぺき 、古からの 替市ひ停 へで ある。但 し之も 場 所 に も 図 る 事 故 、 一概には一一一同へお。


(川)﹁窓 、後 の下、走りの下﹂

九泣き出て外から入るにも自尚で あ る。 放に裏口から忍び入る便りのない時は 、座敷から入る

人が 取る事が滅多にた いか ら 、北ハ蕗から ・臭へ通やる戸のしまり が強くて入りがたい時には 、

放 か ら 忍 び 入る誌は易い。座敷は己 に家の 内 故 、奥へ入る口々 の締 りも少たい。叉座敷 には家


118

初めて屋敷の中へ入りたる時は、一一言ふに 及ばざる事たれど

せつゐゐ
、雲
際 、 橡 の 下 、竹 木 の 必 り た る

、 家・門へ
所、植ゑ込みの中、材木、薪たどの有る何かの物⋮陰 に一光づ 隠れて 、よき時 分 を 鋭 ひ

忍び入らなくてはたらぬ。叉家内へ入りたる時は厩、天井、 大 祭 の 下 、中床の 下、或は花道札(

の聞に一先づ隠れて袋内の隙を鋭ひ、人の限りを待たなくはならぬ。屋敷へも案内へも、忍び
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J

しか
たモが
入るには. 黄寄時の 人而も碇と知れや 、諸人のざわ つく時、 紛れ入っ て右の 隠 れ 所 に 一 先 づ ぼ

る L事もあるべし。
ハ二﹀﹁観音隠の事﹂

H

糊量目隠れといふは、敵の 呑人が廻る時少しも騒が子、壁、垣等 、叉は植木、材 木、新木など、

総じて何れの近遜へたりとも立寄り、袖にて 顔 を隠 し 、 目 ば か り 少 し出し 鼻息をもせ守、息の
J

敵へ掛からぬ談にして少しも動かや 、隠 形の呪を唱へて立 ち て居るを観音隠れと いふ。叉、初

を敵方へ向けて立って居るのも宜しい。此の如く する時は敵は見付ける事がた い のである。古

1
1
9

から此の隠れ方に て利 を縛た例が 多 い。此理を知らざるものは 、敵の来ると見て直ぐに逃げん


として動く により、却って足の 一
背や息ざしの音 、或は物に行き蛍れ y、或は康芥 ・
などを路み、彼
2

1
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舵.

、 息の話回 も低いから 、開
道 理 で あ る 。 是 れ 損 で あ る 。 叉 路 にたる時は息ざし弱 く

th

。 之に反して、践は身健約やかにな
は、身鰭材料 かたら守して庚が る
四には、仰向に伏す時 一

たり。

三には、人の息を我が息と通やる時は、必十人に知らる Lものである。故に仰は損、隠は徳

ゆる事がたい。是れ徳である 。

敵 に 問 かる

こ には、男は 陽 怠る故、 践 す る は 順 ゑ り 、 仰 は逆 である。仰 はいきれ出て、 息ざ し荒 くなり、

隠 し伏 す時は、 顔 の色が見えた い。故 に敵 が 見 付 ける 事がた い、是れ一徳である 。

一には、敵の方へ顔を見せ仰向に伏す時は、面が白々と見ゆるものである。路 に・たりて 顔を


日。伏すに五一徳あり 、仰向に伏すに五 損あり。

隠形の況を口内に唱へ居るをいふのである 。此際決 し て敵の方へ前を向けて仰向に伏す 事勿 れ

鶏隠れといふは、手足を屈し首 を引 き込め、物の近所 へ寄 り 、寒夜 に霜を総くが 如く術伏し、

(三﹀﹁鶏隠れの事﹂


2づらかく

走れと身 を動かして見付けらる L事がある。

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1
2
0

るもの故、見付られざる 相がある。故に損徳の差がある。

五には、路向きに 瀕 を 隠 し 伏 す 時 は 、 敵 見 え ぎ る 放 に 精 一 の 然 、 銭 石 の 心 あ り 、 仰 向 に 伏 す

時は敵比ゆる。然れば必宇臆病の祭出て、敵の見付けざるに早く逃げんと忠ふ心ω鷲 き 動 く 放
J

も動き忽 ち見付けら る L却ド である。若しどうでも 仰 向 に 伏 さ た く て は な ら ぬ 場 合 には、
w

、m

袖で創凶を隠して伏するがよい 。 若 し 敵 が 怪 み 火 を 以 て 見 るな ら ば 也 ち に 逃 ぐ る ぺ し 。 そ れ と

も、能 き限場所・ならば、度胸を据ゑて忍んで居るも立しい。況んや敵が 火 を も持 たやに 夜 廻り
ばかりするならば、此術を矯して拘強く隠る与がよい。

0

くたり、散も之を石かと川山ふ道理で
・おの如くたれば、身心石の如・

すから、此術を以 て隠れすました事が少くないのである 。 伊 賀 の 忍粁 は 、 石 に な る と の 許φ
るは此の事をいふのである

ある 。 昔、忍者が或る城へ忍び入り、 一息入れて居る底へ夜 廻り が来たから 、 や が てん合掘の中

へかけ入り、鶏隠れの術で伏して居た。夜廻りが、羽底の忍 者 を騰ろに見付けて 拾 で突いた。

l~

腹を突き抜いたけれども、忍者は少し も動かやに 尽 たから、夜 廻 りの 守 、


扱 ては人 間ではたか ったそうな、動きもしない﹂




3 さん

と静まり共上火も消え
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て見えな い
。 忍訴は時分はよしと思ひ、戸を開いて入らんしたが、差金聞くして戸は容易に悶

刻 (
今の二時より三時﹀に至り、草臥れて眠りたりと覚えて、しん

いて奥の・純問に・挺 て居る ので、忍び入るぺき隙もたく、久しく者人の眠るを待って居た。丑の


、 一人の 忍 者 が 或 る 家 へ忍び入り、 北
ハ家 主を討たんと狙ったが 、用心 縦しく不疫の品併を誼

が いふ事m阿


口 怒る故に、 敵は北ハ言 を賓 と思ふ 様に 工夫して私語するのでb る。目見を陰中陽の


術といふ。

外に 肘 っても内なりと敵に忠はする 傷一言 、或は敵の 後 に味方の者が居 る殺 にする場合。総 じ℃

次に俄一マ一
同を私語するといふのは、 家 内 に居 ても、塀の 外 に居ると忠はずる俄言、或は殴より

物山県似の術といふ のは、敵 が物一音を聞き、胡散 なりと枕を上げて聞く鰹たらば、犬猫の山いか


む初出など民似て 、犬猫たりと忠はす 事

一に 物民似の術 、こに傍 一一言を私語、三に逃走の術 ︾

(肉)﹁敵 に試付か れたる時の 方便三 つあ り﹂

11
と一
言っ て共催 立ち去った。後で忍者はそるノ'
身を 起し、共愉叫に火を放って焼き立てた。

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eh叫
かたい っ依 って 闘 の下の土を鋤 で掘り取り、 火 を あけ て、今 や 入 ら ん と し て 頭 を 穴 より差別し、

、 彼 の呑 の者目 を醒 し た り と 見 え 、窃かに息ざしの昔、岡山円筋の鳴る
家内の模様 を鋭 ひ見 る魔 に

}資否を 捻 かん もの と、忍 者 は寒 夜に を聞 く が 如 く 閉 まり
昔、床の 鳴る脅 たど した 。 いよ /¥

.
。 忍者 之 を 聞 き英 俊 火 か ら出 て居 た
、 番 の者穴
聞いて居ると、や が て此 方 へ近づ く 足音がす る

の近く 迄来 て、忍 者がモ一度穴 から入る 庭 を一 突 きと 構 へ居る閉山にね比え たから、忍者はそと官 、

一向 は物置 の戸 を 明けて入るがよからう ﹂


傍一門を構へ て回く
=

﹁呑 の者が目を 畏ましたらしい、此 廃か らは入 れ たい。いざ 疾 ︿ 袋をば 立 退き 、奥 の物 低 のぷ
から入る 事 としゃう﹂

といふ 。 そしては、仲間の 物
一一
口ひら し く

﹁いかにも 元も であ る、いざ 参 らう 。 共上で、

1
2
3

と、仲




口ふ。番人 之 を聞い て傍 一一

と も 知らや 、



扱 ては忍者大勢 と見 えたり、 濫り に這 ひ立 て与は叶 ふまじ 、然 ら ば奥 より 大勢 で入 る つもり

I


と見ゆる。 夫を待受けて 討取 って やら う﹂



と、互に篤り騒いで居る問に時刻移り、其聞に忍者は一史徐も逃げた。 一方追手の者共は英

﹁扱ては 、敵が大勢 此慮に出て銭胞を打っと莞えた。之はどうしたものか﹂

総き、

故、百 穏銃を廿犬山伐 の近所の竹林の端に据ゑ、火を付けて退いた。逗手の者は此の雷訪問を聞いて

と院を揚げる。家内の者はいふに及ぼ守、隣家の者迄走り出て来た。忍者は粂て企てたる事

﹁狼給あり 出て合せ!﹂

し続中へ乞泊して逃げ 川した っ番の 者が之を聞き、

と私給 いた 。家主はモれを味方の番の者と心得 、更に警戒もたか った庭を忍者は、共位刺殺

s‘ゃ

﹁ι
一品ぎ沿出あれ﹂

、 家主は己に起き出て、身符ひ す る彪 へ忍者す る / ¥lと行き、
の消火淋しげ に知ってあ り

早くも祭して、先刻堀 った穴からす る /¥
ーと入り、家主の寝間を捜して行く と、折から、有明

、 奥の口 で待って居た。共の 有様を忍者は
と考へ、総かに行って主人をも起し て此回
目を諮 り

夜は竹林を守つ℃夜を明かし、翌 朝、敵範 り居るかと仔細に授がしたけれども、宵需銃のみ銭

1.~4

って人彰もたい、
﹁扱ては愈々繰られたか、 口惜しい﹂
とわ めい て各々立退いたといふ のである

J

ο

家主之を聞き付け潜かに終所から 起 き 川 て 、 戸 の 内 側で身構へし て待つ

叉、或る忍者が小身た者に遺恨が有って之を討たんと決心し、 或 夜 共 家 へ忍び行き 、戸を明
けたり締めたりした

て居た 。忍者は 外 から此様子を 感付き 、扱て私語するやう、

A


﹁亭主が起き出でたそ うた、今夜は忠ひを 途ぐる事も出来まい。とんな時は滋早く退くに如か
たい﹂。
と言

んも /¥ 1 ・﹂・

﹁4

と、自問自答して、二人の忍者が居る 様に足音迄して 、 一町 ばかり退く慨にけ凡せ、共俊徐々

1
2D

と立蹄りて戸の側へ 行き、監に添ふて居た 。家主は敵僑り退くとは知ら守、共戸を開け惑さじ

と迫ひ出つ る慮を、戸の際で一刀に斬って本撃を途げた 。是は何れも敵を待ち居て不意に討た


は 狼 様 、 狐 隠 の 事。

J

/ ¥3奥へ進 み行き、狙ふ敵を討ち取るのである。又、二人入つ

、 是 は敵の郎総番人た
一人は奥へ入るのである。但 し

e

4

hA

斯くすれば敵は我に突き蛍り、援き倒る事がある。共時此方より新付ける。敵我が左


・ hづ

扱て 、 一の狸 退き といふは、敵が念に迫ひ出て己に 後 を切らる
である

と思ふ時は、脆き留まるの

に裂やる術、大 脅術、六は珍事出来と呼んで閉門する事、七は門有 一閉窓一瞬一 J君
- 出御-之術、八

一一は狸返き、こ は 百ω
回銃退き、三は茨袋 一時き滋 き、四は木 石を卑き水中へ勉つ術、五は迫手

ひし

CA﹀﹁敵に追討さ れるか、叉は封降し ても 我れに利た しと見て 浪散する時の方法が八つある﹂

て直ちに刺殺すのである 。

どの起 き出でた時のやり方である。若し共の起き出た者が蛍の敵でb る怒らば、戸の側に待居

た時は一人乞逃げさせて敵に退はしめ、

敵が這ふ て出た後、自分はいよ

人の時は英俊逃げて戸を出た鳴忌日をさせ、戸の外へ出た様に見せかけて、共貨は家内に止まり、

三 に逃走術といふは、己に共の家に忍び入り居る時、敵が見後め て起き出で たらば 、此方一

んとする謀略の装を掻き、却 って 我が謀略とした術 である


.

1
2
6

敵が我左越しざまに斬る時とても、我は脆いて居ると、太刀の常る

右の脇を迫ふ時は、脆きて倒れぬ位にする。敵は競ひ我より先きに行くもの故、共時太刀にて
敵の腿を殴ぐるのである

事 が少ない。叉這ふて来る敵と四五聞も聞離ある時は、門戸の脇、叉は道側の少しでも身 を隠

すぺき慮ヘ師同時立寄るのである c這 ひ か く る 敵 は 、 逃 げ る 者 が 先 き へ 行 っ た と ば か り 心 得 、 必

tA

といふから、

一二人追っかけて行った ο若 し 敵 が 返 して 闘はど味方が難義する

や先 へ走るもの であ る。敵我が前を迫る 問五問たらば、やがて後へ引返して退くがよい。 共


時、後から来る敵 に合ふ怒らば 、如何にも 育英を 憶かにして、
﹁敵は彼一例へ逃げて行った、
であらう、念 ぎ給 へ
﹂。

と皆げ、自分は 横道 へ退 くがよい。古狸が犬に迫はれた時、此の形を以て発る
此の術を狸退きといふので ある 。

こに 百官銃退 きといふ は前に述.へた如く‘迫ふ敵との間十四五問もあるか、叉は犬よりも近

]
2
7

づくとも、 棚田く鶏隠れを して 居るに依って敵に見付けら れ ?に走り廻りたどする時は、鵜て茂


み薮怠どの 端、或は人たき小屋長屋の近所へ行き . 雷銃を鳴らす時は‘敵は共髭に夜討の者


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一人の忍 討 が、敵の家の家一燃に見答められ て迫びかけられた。忍者 は逃げざまに茶釜程

た。北ハ聞 に忍討 は後へ戻り、奥の室へ忍び入ると、英 次 の主人が今の騒ぎを開いて出て来る魔

居た。泡乎の粁此一七を附い て、
﹁敵は塀の外 へ飛び出 した﹂と 感迷 ひをし、門を 問 いて迫ふて出

の大石の有った のを引捻ぎ、塀端 へ走り行き、かの石を掲げ、我は塀より此方に鶏隠れをして



退かん矯めの謀である。

、 共の落ちた音を敵に聞かせて我身溶ちたり と忠はせ 、敵が北ハ髭 へ行く問に 我は逃 げ
掲げ詳 し

内 の木石を印引き水中に勉つ術といふのは、暗夜に敵が我を遁ひかくる時、卑い水中 へ木石を

てある践には込を綾げやに、足の官訟を土から縦さやに滑り歩む事が肝要である。

退く時、引き釣って持って跨った事も あるといふ。自分では、北ハ変を踏まぬ様にい托窓 し、蒔い

来ぬものである 。但し止む・怠ければ山内散の時に蒔く事もある。すは竹羨援を幾 つも糸 につ怒ぎ、

分が入る前に之を蒔いて置くのでるる。いざ退散とたってからでは、気忙は しくて 蒔 く事が 出

宝石裟察隊き退き といふは、竹で作った茨哀を持ち行きて、退かんと忠ふ路或は戸 口に、自

が居ると思ひ、そとへ寄り集ふから、北ハの問に脇へ外づして退くのである。

ヌY

1:
:
8

を討ち.果した。

aの仰なる荻 の
叉、或る忍者が或る家へ忍び 入 ったるに、 家 主 起 き 出 て 追 っ か け 来 る 。 忍 者u

中 へ走り込んだ。家主薮の中は迫ひ詰 め難く思って、 暫 時 、立ち留ま った。忍者 は 、薮中の土

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塊を取って薮の外へ弛げる、家 主は北ハ物一青を聞 いて、﹁ 扱 て は 山 者 滋 の 外 へ忍び川て たり﹂と心

得、路 道 から逗ふて行く。共闘に忍 者は薮から川て 、 共・採へ忍び入ったといふ話である。

五に、討手に挺じて大企問を揚ぐる術といふのは、敵が我を見仔め、高艶に殴ぎ細る時、物

も言は‘?に静かに逃げる時は却って人に怪まれる。北ハ際には少しも隠れんと瓜ふ心なく、陽に

這乎の 風をして、 我から大撃を揚げ、 ﹁夜討入りたり出合へ!﹂ と罵り走る時は、敵も怪む心を
起さたい。

向ほ此時一つの方便が ある。それといふのは 、例へ ば我聞に退きたがら﹁盗人は策へ拡げた

そうた、何れも 東 へ追っかけ 給へ﹂と.人々に背ぐるのである。回定を遂の術といふ。此の如き

bL
鈍し

て利

1
2
:
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時の錦に、 羽

織 の表 は柿色に、裏は薄鼠色に染めたのを渚て、忍び入る時は柿色を上に して行

き、追手に紛れて逃ぐ る時には鼠色を上にして若るのである。昔の忍宥は斯談の術


﹁君俄かに何地へ出御あり、念ぎ門を開けよ﹂

忍び行きて後、出る時門 すでに閑ぢてあらば、門口で、

七に 、門が問ぢてある時、君俄かに川御と呼ばる術といふのは、大身の屋敷又は城内たどへ

のを妨ぐ術であ る。

く退き去 ったといふのである。此方便は 笠間 か又は似円たどの門の開きある時、敵が治っかける

と高践に呼ぴ走った。呑の者北ハは員賓と心 得 て念に門を閉ぢた。兎角する間に忍者は 、心易

へて油断めさるた﹂

﹁只今城中 に喧雌が出来た、門を 閉め て一人も 城外へ出 さね 様 、殿 様 より 仰燭れでわる。相梢

くはない﹂ と。依 って門々で 呼ぶには、

門は 開いてあ った 。忍者 忠 ふ様、﹁治手 の者共を 比の門の 慮 で喰ひ憎めさせて、心あく退くに如


ぎ逃げ出した。未だ保有の事とτ
た庭、 近聞の 者 共がそ れを聞き付けて川合ったから 、忍者は仏日

れ に、珍一事出来、門を悶ぢよと呼ぶ 方便 とは、 昔去る忍者 が域内 で窃かに狙った敵を討取っ

を得た といふ 。

男才
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1
ごO

と、裳一両に呼ぶので あ る。或は、

﹁何地へ御伎を承る﹂といふか、叉は﹁大事出来、火元の検分を仰付けらる﹂


ふ て門を開けさするもよい。其他、臨機の方便もあ らう 。先づ出づる事を能く工夫
たE h一


して後、入るペし。人を懲 つにも、先 づ退く 事を能く考へて後に行ふ べきであ る

八に 、狼際、狐隠れといふは 、敵が大 勢這ひ出て‘二枚身逃げ去りがたく以ふ時、木へ登って

隠る‘与を狗隠れといふ 。此の如くする時は、大抵見付けられやに済む。殊に業の茂った大木は

E水中
甚だ宜しい。叉、 敵が温び山で、方々より人起り逃げ走り難き時、水の中 へ.飛込み総身-

に入れ、甑ばかりを出し、頭に 蕊章、建菜、木葉たどを被り隠る Lを狐隠れ とい ふのである。

猟師が鈴砲で狐を射った慮、共玉確かに狐に中ったけれども、即死する稜でもなかった 。狐 は

傷が痛みて逃げ去りがたく、機師の見えぬ廃に小川 の淵が有ったから、狐はやがて共中に飛込

み、溺の端怒る洞へ寄りて身を水中へ入 れ、鼻と口ばかりを水より上へ出して、藻草を被って

1
3
1

R を狐隠れといふ。
居た。 犯

震窓

昔、尾州の名古屋の者が、或る大身の人に遺恨るり、黄昏の時分その屋敷へ紛れ入った 。折


地n h H

見廻ったが設に見出し得やして退散 した。彼者は 隣方にた り郷を出て
/¥h

・家内ご附っ て慾て了った。然るに先きに外へ出た者は、仲間 の出るのを待っても問 ℃訟の念

は納の木に人が居る 一島市は知ら守 、屋数の内外を探ねたけれども、曲者の影もたい。
追手の者企ハ

十へたる柏の木へ登って葉の中に隠れ て鰐た 。
に、他の一人はどうしたのか逃げ出る事が出来守、 ・

開き谷め、大勢方々から起き州でた ﹂二人は危く逃げ出したが、 一人は先きに塀の外へ出たの

叉料隠れの方便を設明せんに、昔、忍者二人連れにて某家へ忍び入った慮、敵家の者が之 を

も隠れ家のない様にしたといふ。

難なく逃げ去ったといふ 。普から名将は場の中の藻 や蓮の 葉な どを取 除かせ、柳を切って少し

燃やし、掘削柵を よく

顕ばかりを水から出し、柳の業を頭に被り、身 一は水に沈ませて居 った。寄合ふた敵共は即日乞

て採る。共脅今は遮れ難く忠ぴ、傍の水堀の端に柳の茂りたるを見 て其湖へ飛込み、柳の下へ

廿角度数芝山川た 。夫れと知るや、共家の者はいふに及ば守、隣家隣町の人迄騒ぎ出して港っかけ

ち巣 さんと思び 、湯殿の近援に隠れて居った 。笑の如く、敵が行 水に出 た廃を難怠く討って、

しも支の事故、敵は定めて行 氷をしに出るか、又は小便なE に出るであらう。共時飛び掛り討

132


内の様 を附いたけ ども何 の音もない 。 依







いので、心えなく思ひ叉立 ち腕 り



i探ね ると、柚 子 の木 の上 に物音がする 、扱 て は 此慮 に 舟 る と然 付 き 、
て屋敷の中へ入りそろ/¥

r
-

。 上たる な 日 く、

A ぎ降りよと低撃 に促 す


翁レ
bt

﹁先刻より降りんと思へど、 拍 子 の針が身に立っ て降わ る事が山川来ない﹂
下たる男臼く、
、 念ぎ 降り よ﹂

沙汰の限り 臆病な る事 工

U

拍 子 の木の 児 、 剰 の姉き

言って 降り得 た い 。 そ の 時 、下た る 男 一 つ の 思 築
上なる 男痛や/X と一
﹁尚宏 は拍子 の木に上っ て賠 る、方々出合ひ玉 へ﹂と 高 擦 に 呼 ん だ


家忍人配り三箇僚

Jj3

も忘れて飛び下り、 二人連 れ にた って 逃げ去ったと いふ、長もが 設
H の
一 つである 。

7
7
1

ハ一)﹁ 児振り ﹂
I
C山


び停へてるる。 粗忽にして同情たき者を見張

事、大いに惑いと古から忍者の聞 に

bL
白く 一

L

放に英人を選み、人々の気質に感じて諸役を定め左くてはならぬ。創 ち遁材議所 といふのが夫

るの である ο 斯 かる 大損あ る故、見張り 殺は何者に ても苦しから守いふは味方大敗の基である。

事粗忽に して不 定たもの である。之が震に味方一同も迷って、折角言ひムロはした事皆逗ひ鋭れ

三に、外 か ら来る敵方の者を味方と思ひ 誤り‘ 又外から来る味方を敵かと忠ひたどして、鰭

は敵かと 忠ひてム n園 もたきに、 逸 早 く逃げ去り などす るものである。

こに、家内へ忍び入った者が退散する時、ム口調もかけ歩、敵かと思ひ過 って 味方 を打ち、或

ムn闘を開きも見もせやしてゐるに依って、 諸事の言びム nせが無 径 とたるものである。

一に、同情のない者は、忍び入りたる者の出て来るを待ちかね、うざっき歩き、或は慌て

りに泣くと大損が三つある。

き持

総じて、何れの役も臆病で粗忽で同情のたいものは怒いが、取分け見張りに、粗忽怒る 同情た

のである。此の 見張り役は 、十分の武功者でなくとも宜しいが 、唯だ落付いた人間を要する。

今忍び入らんとする家に 絞け る長屋部屋、隣家た ど人の出合すべき道々毎に、見張り人を置く


]34

h
r

m気 盛んに
れである 。人間の生れつきに依ると蛾も、大践活い者は'

し℃強けれど、粗忽不巧者

、 費行にも見張りに宜 し 叫

φ る。唯
であり、 老人は綜ち着き功者であるけれども、動もすれば忠実過ぎ℃機を失する事が
だ生 得の剛山山才魔ある者 の三十四五歳から五十歳迄の者が
(二)﹁仕手の事 ﹂

一人は、家の 戸 を

、 賞地の仕事を引受ける者をいふ。凡そ仕手の役は二大事の役なれば、
仕手とは 仲間の中 で

勇、謀、功の三つに迷した者でたくては 勤ま らぬ 。仕手二 人共同が宜しく‘

開き、忍び入るべき所作を銭す。 一人は敵の 鼻 息其他隙を 鋭 ひ聞いて、所作をなす者に告げ、

叉内 の様子を通路人 に背げ、 通路人の口を開いて之を仲間の仕手に告ぐる役目である c 泊路 人

といふのは、見張り の内一人が英次の土問或は仕手の者の居る近 川まで行き、仕手添ひの者の

人此
下知を 外の An
闘絞 へ














口ふ所を仕手添ひに 通報 す るのである 。 M


際、戸口停に 人を世い て見 張ら金広くてはならぬ 。回記は家内の者を 一人も残さ宇討ち取る偽で わ

13
.
5

る。そ乙で 此 の戸口に付き居るの謀略が三つある 。

一ーは、地上八 九寸の高さに、戸口に 縦 を績に張り 置 き .敵 飛び出さば共縦 が足にか Ahν倒る


生、

An
闘の印 、鈴火の事﹂

也を 必 び、人が見ても叙が付かぬもので あ る。故 に家忍びの合闘に、風鈴、紙紛が宜しい。

故、政に問かる L一事なく、叉遠く問 ゆ る も の故、・家忍びの合固に 泊する 。叉紙燭の火は稽や背

で令 凶をする か、共探が大に過ぎる故、家忍びの場合にはエム口一息い。風鈴の替は、小さきもの

火光で なくてはならぬもの である。夜令戦たどには、提紫、太鼓‘貝た"と
校の け
AF 川は鳴物か、

とも 北ハ竹に押み付 け、諸々の 張 り 同 勢 に見せて ム日間 約 束迷背た き様にする約火である。総じて

崎晴寺。

鈴であり、火とは紙脳火である。之に火を付け長き竹の先きを一口八程制り置 き、合間幾ったり

手以で鉢各をする様な一事をいふのである。次に鈴火といふは、合間役の拷帯する絡で、鈴は風

凡そ 令凶持 の役は、問方から見ゆる小高い所に居って、鈴火を弘て内の事 を外へ じ、叉外


m
m
方と紛る込者故、 一向に向き
の⋮


を 内へ油、予る 佼 である。合 閣 の 印 とは 、分散した時、敵と ・

ム口闘持並に
)﹁
︿一一 一

三に、戸口泣くに 居って、脇差 で突 くのである。総 じて、 家内縁側たど では突くが宜しい。

こに 、変 を戸口符に町内き 、敵 の足に踏み立たするのであ る。

も の故、そ とを 討 つ事

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1
3
6


・4・


妥りに平臥せ

43
、行儀竪くし、

めんgん

L

夏も蚊を厭は歩、扇を使は守、諸事十一円努を厭はざる時は、限る

J

陸気を梯ふには、冷水にて顔を冷し、叉、身の 努苦を肢はや 、寒くとも海着をし、 飽食せ や.

ハニ)﹁陸 気を梯 ふ工夫﹂

に依って注 意を泌する。火の外へ洩れぬ様に工夫すぺし。又寝姿を見せぬ様にすべし。

火を祈け泣きおに紙 燭を愉へ置 くがよい。寝間に有明行姥たど怪 く時は 、敵に見すかさる

.
(ご﹁疲川に有明を制すべから や ﹂

'

事も少たいものである。第一に房事 を恨む事 肝裂 であ る。此の 恨みがたい と
、 身幽胞が疲努 し

l
3
7



c

何んとしても限 り深 いもので るる。鹿島熟の対す時は、冷水で断酬を洗ひ、叉水たくば唾で 々
Y を溺
すがよい

下緒利用七術

ガの
︿一一)

︿ムハV

座 探しの 時にも利がある 、座さが しの 事は別項に述 ぺてある。

人を縛る時に下絡を利川す。

(五) 野中の幕張りに利附す る。

使がある。

ハ四) 塀絞りの時、下絡を塀に投げかけて自分は塀に上り 、下絡を手繰 って万を取り上げる

(一ニ)

に掛け、知慨を結び訟がら走る事も出来る。

を盗人が取らんとすると直ぐ限を突す道理である。叉、念たる時は、結びたる下緒を取り、首

波枕と言って、大小の下絡の末を結び合せ、平臥の身の下に敷いて渡る。若し刀脇差

r
wを幣にするのである 。回定が矯めに下絡は八尺に作る 。

(ご敵に帝を切られた時か、叉は臥床中、念ぐ事有りて俄かに起きて帯の所在知れぬ時は、


13S

(

、防 を 左 に 待 。 て 、 敵

d

敵は暗夜の事とて 、

杭 を 二本 立 て 筏 木 を 結 び 、 大 竹
ば 外れて腐を殴る

3

鑓 停 。 之 は 下 緒 の 先 き に 小 刀 を 結 び 付 け 、 刀 を抜 き て 右 に 持 ち

遁路仕掛け六箇保


の鑓に下絡をから み付けて鑓を取る術で あ る

(一)﹁勝一蹴,V


之は 屋敷の内外とも 、敵の忍者が来るぺき通路に仕かける
の先きに細い竹を付け、 積水が外れる 採 に作 り、敵来
人が照て院を郷っ たと忠ひ退散するので ある 。
ハニ)﹁釣押し﹂

1~~

.
.

是は、家の鴨居の上或は 敵忍の来るべき 通 路 に仕かけ‘敵が 戸を 開く るや否 や落 下し来 り 、

愛蒔き﹂

2
) 4

敵に 負傷 せしむるもので、仕かけ が種々 あ る σ
合ニ


つ殺は闘を鳳ぬますのである。
ハ五)﹁大竹箆の事﹂

戸。入口に大竹を跳ね仕かけにし℃置き、敵忍 の面を欧打するのである

ハ )﹁縄張り昼立ての事﹂

mを上げて 戸障子を此方に党ぜ
銀先きなどで戸締り不充分な時には 、織を張り 、戒は 万の 授


aく、敵忍び山市て共戸際予を開けるとも丞が重いから容易には開かぬ。
てm

d

門同から組織を我が寝間迄引き結び、敵忍入る時は、鳴き丑日乞脇氏せしめ、敵忍を驚かレ、且

(
四 V﹁敵彩 、我躍の 事﹂

敵忍の来るべき屋敷の外に、菱を蒔いて置く。

1
4
0

忍術の練習法
忍術の武道精神

3

そとで、忍術者の心身鍛練といふ事が何よりも大切な 事に・なる。 鍛‘

米て居なかった
扱て、忍び入りの方法がいかに研究された所で、忍 消其者 の 心 身 の 鍛 練 が 出⋮
ら何んの役にも 立た たい

同はるミ位で、忍術者は
練法については後に詳しく述べるが、忍術の忍は忍耐の忍怒りとさへ一一

極端に忍耐強くたくてはたらぬとしたものである 。 第 一 志 操 堅 闘 で 、 心 正 し く 、 如 何 依 る 困 難
にも耐え忍ぶ筑塊を要する。

l
岳l

凡て の忍術停警は、最初 に先づ正心篇 と一

7 ロムのを置いて、正しい武道精一柳の必要 を 訟 い て 底

る。邸ち忍者と w
m賊とは本質的に遠ふもので、盗 賊 は 私 慾 、忍者は 大義 のために術を行ふもの


ζとにたってゐる 。従って忍者の子

ろである。到脳の鋭敏は六感の働きが銃く 、記 憶力の よい ζとを意味す 。た ぜかといふに たと

鋭敏、身慌の敏捷の三つを要素とする。正直は忍者の精一柳的 た必須僚件で、盗賊と異たると乙

をつがせた。そとで 、其の遁蛍た資格といふはどん怒依件かといふに 、それは、疋直、頭脳の

て伊賀、甲賀ともに後縫 44のない時、叉あっても遁蛍でたい時は、他流のものを連れて来て跡

それで、忍者は、結婚なども、忍術者同士山以外の人とはさせぬといふ 建 て前であった 。そし

はれる。

のは紀州 流の 村桧左太夫が最初であるが、忍者はか うし た便法を講じて御目見得したものと思

二人 の悶の者し か知ら泣い。 家老 でもとれを 盗閲すれば暗殺する 沿きてである 。
ゐ庭呑といふ

忍者 は非常に秘密を重んじたもので 、被中 から 忍びとして一次遣されるととは、殿桜と忍術者

ってそり、術を口体する相場合に他の人が盗関した時は必十階殺するととになってゐる 。

供でも、 心が大義を行ふに遁したいと 殺が認めれば 、術を停へたいで停蓄を火中するととにた

である o だから君園 のため、践に必要たもの以外は盗まね


へば城の見取闘の如きは、頭に記憶するだけでノートするととが出来ぬから、頭脳の鋭敏は忍

1
4
2


5

整息法 と歩行術

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¥

忍術を皐ぶには、どんな順序でや るかと いふに、

先 づ 遁 常 な 候 補 者 を 得 て 、 之 を 試 験 し て見るので

あ る。 それには上闘の如く、四斗樽位の大きいほ側

者 に首を突込ませて 、十
に水を 満 た した中へ、北ハ

分絵りも我慢させる。之は余程心 臓 の強い者、殆

んど商務動物の様た者で・怠ければ出来たい恋であ

ν

る。 此の第一 の試験を通 過すると、次には、庇伐

の上へ紙を張りそれに水を撤き、北ハ上を姥らせる

之は 紙を破らや に渡る丈けの、生れたがら の敏 捷

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3

者として 常然のと とである。

に中水は下 。け波を上の紙・
れ 濡t
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闘す めれ を殴呼 でん込 き突を首


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7

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釘d

ので、整息は忍びの釘 一に 必要なものである。

次 ぎ は 歩 行 術 で あ る。 そ れ に は 先 づ 爪 先 き歩き 、そ れから匙 の甲で 歩 く、此の二つが歩行術

の民的で あ る。次 に附仰を一様に開いて尻を 地に 付けるので、 とのかたちは 凶洋のダンス にも

あるが 、さ うしても股が裂けない とい ふ線路をする。以上三種の足の練習を して、それから歩

行 術 に 移 る 。 と れ に は 沙 き 六 方 と 言 っ て 、 前 方 、 後 方 、 横 歩 き 、 斜 歩 き 、這行それから泌歩と

とれには力紙と って‘紙


刊、






























を八ツに折り奥歯に 噛 み、自分の足元を見たがら小刻みに歩く。顔を上に向けると、鼻腔へ風
5 つむ

の択抗が来て、それだけ疲労するから、精やし伽向き加減が宜しい。之れで一時間に阿塁、

かに日仏をするのである、よく次の間へ入って来た人が其の息使ひで察せられ るといふ 事がある‘

整・息術を 絞脅 さ せ る 。 之 は 品 の 先 き に 軽 い綿防帽を付 けて呼吸させて、それが少しも動かぬ佼静

おの試験、に及第した妙子に、愈んパ忍術の練習をさせるのであるが、北ハの方法と しては、先づ

事であらう。

注者でたければ川来たい事で、木反小伶や‘猿飛と 一
一=ロはれた佐助など、治談への人間であった

IC
.
.

1
1
4

に四十恩を歩くといふのが忍術の定法としてある。共の速力は、胸に一{目出んを溢 て Lそれが滑D

反の布を襟につけて、その先が走ってゐる問、
落ちたい涜皮の一巡さで な
ι くてはいけゑい。叉は 一

少しも地につかたい線符をやるので あ る

十 八 里 が 定 法 として ある 。 此の歩
次に杭に歩く方法は 、抑止X 形 に 組 ん で 歩 く 。 之 は 日 に =一

き方は塀の側耐を 併 に添ふて 歩 く 時 に は 、 人 間 の 胸 の 厚 さ 丈 け の 間隔 、 つまり七八 寸 の 狭 い 島

でも 歩けるのである 。 それから 斜め沙き と か 後 歩 き も 、 随 時 必 要がある も の で 、 忍 びの勾めに

は、何時どんな必姿が生じないとも 制限らな い 。 次 ぎ に 這 ひ 歩 き と い ふ の は 問 夜 を 歩 く 潟 め の 定

法である。闇夜に危険区域を歩くには、遣って地上を透かしたがら歩く。すると鵬,
ろに b倣 の
影が見秘められるので、此の歩き方は忍者には是非必要である。

それから不具対を 袋 ふ時の歩行術としては、三種の 沙 術 を 練 習 す る。それは前に も一 寸述べ

1
4
Q

たのであるが、先づ放初はトウ・グンスのように指先で 立っ て歩く稽古、次で足先を内側にま

"
'


げて 足の甲を下にして歩く稽 古 、次ではとのこつを交互にくり一巡して、平然たるように稽古す
る。 これはどんなにして も足首が折れたい線路で、貧際 の利用 としては、山ル山広の民似をして

1
1
占‘


bt
挑んだととがある。叉闘の如き

一一部の

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J

フシユ1トが、七百年前に工夫さ れて居たと言はる。

ゐる時は一則手を後へ廻 して 羽織の裾を僚げて飛ぶ。とれも同ヒ理箔で 、私はさうして四十冗尺

んなりを、口と雨手で三方にひろげて飛ぶ υいは立パラシュ ートをつくるの である。勿織を渚て

此H

泊の忍脊 は 五 十 尺 の 高 尚 か ら 飛 降 り る を 定 法 と し て ゐ る 。 そ れ 以 上 飛 ぶ に は 風 呂 敷 た り 何

同跳ぴ、巾跳ぴ 、横跳ぴ 、斜跳ぴ 、たど歩 行術と同ヒゃうたものである

を乗り越す事は出来る。その練習をするのである。此の跳ぴ方にも六法あり、前跳び、後跳び,

。 m
m翼のたい人は素手で飛ぶ事は出来ないが、跳躍して議を越へ、採
歩きの次は跳びであ る

跳躍・飛躍術

て、足の甲で歩い て行けば片輪者と誰だって見る。

一塁も こ畏も行くととが出来る。非人姿で竹杖にすが夕、片足を爪立て L片足を績にね ぢ曲げ

それから幅跳びは三問 、高跳びは九 尺である。共の練習をするには 、先づ一坪の地に臓の賓

~49

認、

を蒔き、麻は民直ぐに成長力の速いいものであるから、其上を毎日跳び越 へる練習をする。

毎に高くなって行く、之を三年位の間繰り、返し練習し、彼方此方と跳ぶ稽古をするのである。

1
4
7

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夫れか ら山聞を跳び廻る時に は、革衣を身に着 け る 全身汗まみれになると、革・は段々一縮ん

7

"
'



古務.l~YÉ を上の腕

で、身慨をメめ付けて窮屈にたるのを我慢して、猪段も跳び廻るのである。とれ で汗を掻かた

トーユ シラパれ れ き 夫 工 に 前 年 百 七

間 乙ゐ で ん沼
、 〈長 l
こ中 7
l
tていわく l
こ口 を兵 逝




と一


っ て居るが 、忍者も之と同 じで七十貫伎が一

人前としてある。之は 、甲賀 の忍者の話であるが、

家 人 が 毎 晩 新 しい 草履 や草粧を枕一冗へ鐙くと、墾

靭それが全 部すり切れて居た 。 つま り夜中に起き


て、夫 れ丈け走り廻り 荒い練 脅を した 事にたるρ

一度 水 中 に 飛 び 込 んだら 二三時間牧は、姿を見 せ

て流れ るやうに、手足を動かさや泳ぐ方法もある。

今度は水を潜る術だ 。 モれには、忍 び泳ぎといふ


以上地を走る術、宗一飛ぶ術が山内来る様になる と

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.
S

ド 母国

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メ結晶


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友いといふ様 に巧みに 泳がなくてはならや、道具

を持って入る時は、 五六時間位水に漬って居 る怒

者もあったと 一
言はれてゐる 。一泳ぎ六訟 と って、


水の底を歩く法、水中の中間を泳ぐ法、水上を行

く法、脅を立て やに泳ぐ法怒 どある 。徳 川首都府に

仕へてゐた伊賀流の忍単行が、幕府瓦解で食ふに図

って、 を滋へ 入って鯉を と っては資り食ひ宣 して

。 一度沿濠へ入ると六尾 の鰹を持
ゐた ととがあ る

一種の

ο

ってあがって来るので ある。 爾手、 雨脇、股‘額 、

9

危どでたくみに鯉をはさむといふ法者である

術ほ長ら く水中にゐるには道具がある

静水器で、四百年前に出来てゐ℃、水中綿も大い

に研究されたのである c 上に絡げたものは水中に

1
4
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争 kぷ 怒 に 中 水
棒るえわくに日
.
貝.遺るふ周 i

く tを 中 水

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ε参考に供したいと

使 用 し た 鐙 具 む 随 併 に し て 、 今 日 の 浮 き 援 と 同 じ 工 夫 が 、巴にあった事な

思ふ。

160


心身の鍛練法

る様怒強い意地を養ふ。

を無効に蹄せしむるといふ練習をする。それと同 時に叉指一本位折られ挫かれでも、平然で居

たいものだが、それを平 然 として居る 様 に 、 我 れ と 我 が 腕 の 関 節 、 指 の 閥 節 を 外 づ し て 滋 取 り

以上特殊の 練習 と同 時に 、忍 者は五慌の練腐をする 。普 通 、 指 を 逆 に 取 ら れ る と 痛 く て 私 ら

それから指力と乎刀の力を養成する。之には )尺阿方の箱の中へ砂を入れて、手を突込む練

1
6
1

習をする。そしてそれが出来ると小砂利にする。次に固まった粘土にする。そして、手首位迄

ぐさりと入る様にたると、今度は普通の地面へ突込む練習をする。かく練磨を積むと、敵のザザ
n


O
i

快心を持たたいといふととが一番の要訣である。

竹を腹へ問、 冗寸佼突刺された ととが あるが 、築もつけや三日

m鰯務をしただけで癒った

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たい。指を析られても片腕を斬られても、最後までやり通すといふ精一脚で行く。私は少年の頃

かれ挫かれても平気で腐られる。腕や仰を析られでも、自分の仕務を某さたい内は一歩も退か

これ丈けの練習が川来、同時に鰐術剣術が出来て来ると、全身不死身の如くゑb、少し位叩

部ぷつ演してしまったり、五寸釘を額で打ちつける男が千住にゐる。

続けざまに説にぶっつけて破ったととがある。とれは忍者ではたいが、頭で仰斗得を州問で金

叉、忍訴は磁のカも鍛へる。之は頭を柱へぷツ付けて稽古するので、私もピ 1 ル場四十本を

ツカりつかんで渡る。八盤の民間なら二分か三分で渡るととが出来る。

者もモれと同様指先きを ウ ンと強くする。 との指のカで天井も旬へる、格宮へ弁の格子を指で

竪さと抑制さが ある。此日の品闘騒粁は板に釘を打ってとれを毎日放く練習をしたもので,
あるが、忍

の先翠には生潟の尻肉を捜み取ったといふ例も あ る位だ。だから忍者の指はみ放経国のようた

笛へ十ぷりと乎刀を突込む位は遺作ない ので、敵の肋閉{目を引抜くととも出来る様にたる@割仙枕守

1δ2


おろを

次には絶食に耐える練羽田、叉不眠不休で 過 す 練 習 、 叉 反 釘 に 術 策 上 の交際には .見栄飲島常食 を

である。

れば人の目を掠めて通るとか、 一室に隠れ忍ぶ時、共鰻臭に依って 勘 付かれる 腐れがあるから

かす

葱な ど、特殊た臭を税収ずる者は食はたい。脂濃い物を食はない、設汗の多い物を飲またい。と

は 憾 臭 を 避 け る の で あ る 。 そ れ に は . 酒 も 煙 車 も 用 ゐ 守 、 叉臭 い 物 を 食 は た い 。 茶 、 大 務 、 玉

にらにんにく

ら、忍訴は此方耐にも、人間業 と忠はれぬ迄の荒行をやる。第一一に無臭の術に入るので、とれ

扱て五憾の練勝、如何に強くとも、内臓の鍛練が疎かであっては何んにもたらぬといふ虚か

して平気で舟られる練捌闘をする。私は平素沼も煙車 も 肘 ゐ た い が 、 いざ必要とあれば斗沼たほ

1
5
3


際さたい。酒は人を 醇 はしむるといふが、 醇う て怒らぬと 受悟し て飲むと決し て酔ふもので危


ぃ。戦 地で斥候に出る時、菰被りを一一得鏡を抜いて飲み放題飲 んだが、誰も醇は なかったとい




草 はのまたい
/ ¥h出 て来る 。普泌 は川

ので あ る

次に粉⋮脚を統 一す る 事 に 依 って 五官 の感受を鋭敏にする練管。之は人間の聴先は、 平時の十

が、必要の時は肺へ でも肖へ でも 、芝と へでも自由に煙を入れる。

と以へば出せる。腹を燥でる と煩 が 口 か ら ム ク

ーす る よ う た と と に た ら ぬ 。 煙もはき出さたい、胃のたかへ入れる 。出さう
それで頭がグ一フ/¥

や っ て は 平 素 コチンに劃する抵抗力を養 って 置く。 いざといふ時いくら煙車を吸はされ ても、

-

コチンが完全に胃や肺に吸牧されて、 口 か ら 吸 ふ よ り は = コチン の毒が多いわけであ る。さう

てゐる 。し かし 平素は泊をの ま たい、煙車を のむ際は鼻からのむ。かうやって鼠掛から吸ふと

-

私も大食では天どん八杯、かけ祷婆二十五杯、酒八升五合、煙車十箱といふレコ ードを持 つ

をなめるといひ、五升から一斗まで幾らかのむとい 仏
、 一斗五升以上を大酒 と いっ てゐ る。

、、

いふのがある 。忍者は 酒 を 呑 む の は 五 合 か ら 二 升 く ら ゐま でを 酒をが わといひ、三 升 から 五升

とれまでの忍者で大食のレコードは、﹁ 伊飢記 ﹂等に出てゐる一度に生米阿貫目づ 主食った と

の仲縮運動に依って、内容を腸に選ると飽 満 の 苦 悩 た どいふ事はたい。之も常 に貸演 して 居る。

ふ話もある位 で、忍者は斗酒を飲んでも醇はぬといふ建て前で あ る。異常飲暴食 した場 合私は胃

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5
4

四倍位迄鋭敏に・なるし、腕党は八倍、喚鹿児味魔は三倍する。忍者が、或邸内に忍 入るに際し 、

共自然の壁に耳を立てて精一柳を凝らし、或は怒き筒を嘗てると、・庚い 家 でも 此ハ内 部 の 話 撃 が聞 き

取れる。紋脊の次が孫ちる音、 害 のさ Lと降る 音 、 蝿 の 飛 ぶ 一耳目、針の落ちる音も聞かれる。間

夜地に伏して耳を澄ませば、数丁先先きの物一音も手に取る如 く 問 え る な ど い ふ の も 、此 港の消

息で、之は誰しもの賓験す る鹿で ある。況んや 、それ を背骨抜切 とす る忍術者の総覧に於て沿やだ。

毒物・いかも の喰 ひ 練 習

それから忍術者 には、 意 殺 といふ 危険がつき伴ふ 。 之を股がれる 鴛 に は 内 臓を強健にし、 意

志を悶まして、 毒 物 にも打 勝つ といふ 練労 をし、叉木石、土砂、 思 議 何 んでも食ってやる とい

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5

ふ悪食的な練習も す る。特に血判欣と か密警 とか を 敵 に奪はれる庭れ あり、 之 を 安全 に投 築叉

は銭楽する隙のない 際 には、之 を阪中 に燕下 すると いふ必 要もあり、 何んでも食ふといふの が

忍者 の建て前である。



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見 ると木 、石、

土砂、何んでも

り 、 屋 根 瓦一 枚食ふには 二十五 分 から 三十分 間 を要す る
。 斯うしていざといふ時、設

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んだ。 持 病 は 病 を持っと 書 くが そ ん たも のは 持 たたいがい L。無理でもさう信じてゐる ο
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、 とん た時 に流動 物 た んぞを入れて や って 胃を甘やか
胃 が必 いのは 胃 が サボってゐるの だか ら

ばい

元来 忍 者 は病 気 を最 も軽 蔑 する ω病気と は積 んで字の如く 気 を病 むととで、集ゑんか病まね

抑制減の矯め 、平生か ら とんた荒行 を や って不 死身 の 鐙 を作る 。

十分 か

私 の、硝 子コ ップを食った資例は己 に八百 七十九 簡 に及 んで 居り 、刀︿煉瓦は一簡 を食 ふに四

を嘗 めて でも飢 を凌 ぐ と い ふ 事 も あ るの で、此 れ程 の練習 が必要 な ので ある。

忍び込み 、床 下へ伏して 照 る とし た場 合 、何日間 も身動きの 出来た いmm自になる と、床下 の土

必要 忙際 して ・尖 へぬ事はな い佐官 である 。 忍 術 者 は常 にそ んな 必姿 に迫 ら れる 。忍者 は人 の邸へ

る。腺 病 質 の 児 が 壁 や 熔 の 次 の 塊 り 、木 茨 な ど好ん で食ふ庭

途中の 崇を食った話もあるが 、別 段 美 味 いもので た いにし ても 、食 って食 へぬ 事はな い筈であ

十品
食っ て何ん とも た いし其他精子のコ ップ 、燦
、 屋 棟 瓦 の 類も 食ふとと も 出来る 。富士山宏 山 の


一明 、武 町
私も此 方 面 の 練 習 を 多少 ゃったも ので、硫 酸 、精 酸 、猫 いらや,,
応、蛇 、苧-愚たど

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すと、却って聞にのってサボ るか ら ‘ 堅 い 不 消 化 の 物 を 入 れ て と ら し て や る と 癒 る と いっ た瓜
議訟ので る る。
に.非常に積極主・

苦 難 に 耐 ゆ る の練 習

、 物 理 化壊を
総じ て忍者は 、人間として 耐 へ得 る限り の練 泌 を勾し 、叉 智力 の限 り研 究を し


作 川を 利 用し、 それでもっ て斥 伎 の 役 目 、特 偵 の任 務を勅 め 、 時 には敵陣に 入
際刑し、叉心 川

って火 を放ち叉敵将を 暗殺し、 敵 の秘密書類 を奪ふ とい ふ、最 も 大 切 た 仕 事 をした のだ 。

倫ほ忍術者は、敵に捕へ られ て拷問 にか けら れ、迫害を 受る場ムけ
が 多 いのだ から、 平 常、身

憶を苦しめ る事 に馴れて居たくてはならや、 北バ偽に は随 分 と 思 ひ 切 った練習 もす る。共 練仰 と

し て試 みたのは針を差 す事 で、之 は盈針 大の も のを
、 顔面から 耳 、舌
、 全身へ二百五十本も 差

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した レコード がある 。述も痛 く て苦 しい 事 のや うだが 、思 ひ切 って 了ふと何んでもなく 平気 で

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やれ る .舌へ 針を差 したま 与
、 人と 符をす る伎 は治 作 たいととである
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、 板 の聞の剣術 や盛の 上 の柔術とは大分蓬ふ 。兎に角とんた烈しい練矧自に依って 出
う 一式ふ事 は

俵を 天井から釣って、そ れを弟子 に撞 木の 如 くして自身 の胸 を打たせた とい ふ訴も あるが、 と

を打つ事もある。昔、回向院の 角力取が、 敵手 の猛烈危頭突に耐える 健 力を養 ふ矯めに、米 一

叉 五 位 を 強 健 にする特殊の練磨と し ては、八貫目から十五六 貫 目の 鋼鉄 の角分銅を以 て胸部


タンとか の流 行時 代に は特 に必要 と忠ふ 。
ま ぶた

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アカ

叉横に引 かれ る 時 の支 え力 は
、 自分の 桟重の 七倍に は耐 え得る 。 仰向きに臥た力は、十五貫

抱 いて 、天井 の筏 に喰 ひ 付 い て ぷ ら 下 る 丈 け の 力 を 持 ってゐる。

の 一の草さを釣 り上 げ る事が出来る。 それから歯の力は、 健全の 薗 であらば、婦人は乳呑見を

先づ限 の力と いふ 事 に就 て考 へて 見る と、人間が目を 膜 った 験 の力 は、自分の値 重 の約三分

勺ぶ

墜 に耐 え 付 られる かと いふ事を知 って 置 く 事は 、昨今の様 に紳経衰弱 とか、
何 れ丈けの 外.


倫ほ設で一つ 人間 の健力といふ事 に就 い て一一守一閃したいと忠ふ。 中
山内に健康健の 人で あるたら ば

を現在に麹膝せ し む る 必 要 が 大 い にある 。

川武の閥 、 日本人の誇 りとして、 之
来上っ た忍 術 と いふものは、世界に類のない武術であり、 内

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5
8

の鰻重者にあっては六百貫の重さに耐え、十八貫の人は八百貫の物に耐えるとしたものだ。外

闘人の見世物に、自動車を右に一釜、左に一牽付けて頑張って見せるが、あれは大力のためで

伝く物理忠一上山口同然の事たのである。叉仰向きに臥て、共上に六七人も乗った自動 車 を 載 せ て 見

せるたども不思議でもたいととだ 。だから 、自動車 に 撲 かれて 死 ぬるなどは、あれは精⋮仰の抑制

い矯めで、自ら 然死 して 居 るので ある。 それから人間が立って 居る時、普通、三四千ポンドの

物を腰に下げる丈けのカはあるの だ。共カを 褒揮し得た いのは、 精紳カが紋乏 して居るからで、

民に精一仰を強くし、何事でも出来ぬ事はたいといふ信念を持ってやれば、どんた事でも出来る。
石にも矢が立つのである 。

武塾、 遊北部一百般の練習

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心身の 鍛錬については剣術、四四術た どいふ 普通の武術は営然之に 属するのであっ て、所謂武

頚十八番何んでもやらなくては危らぬ。私は共方面でも極力練習を積んであるので、それ以外




憶を たき分 け るなど 、随分海山
の鳴き盤 、叉 、怪 しい 者 を 見 つけた時のた き聾 .老犬 と子 犬 の

院時をやっ て居 る 時 の 鳴 き 務 から 、最 後 に 一方 が咽 ま れ て小引ひを引きたが ら退散 して行く時

匹の 犬 の
十五音とい っ て三十 五通 り あ り 、 白 、 黒 、ブチ 、赤 等 によ ってその なき 臨も港ふ。一 一

ので、狛は品の一斉で 、鼻 を つ ま ん で 務 を山内せば誰でも 出来る。 しかし 犬は むつかしい。犬は三

的 段 は そ の 動 物 の 習 性 険 性をハツキリ 出 さねば怒らないの である。大健 猫の 鳴撃 はたやすいも

採に なって民た いo 猫 や 犬 の 鳴 き 弊 左 出 す にし ても 、 一通 り の墜しか出し てゐな いが、本 蛍 の

、 本

間 の時
鎚人の方では 、動 物 の 擬 音 を 実 物 に す る の が あ る が 、 多 く は 一 寸 した真似 であ り

を放迭した事もあって 、寄 席 懇 人のやる 位 の事は何 んでも川来る ο

けるし、 口でザアイ オリン、 マンドリンの由民似も州来る。唄は嘗 て大阪で、明治以 来 の流 行歌

通 じ 怒 く て は な ら や 、 踊 り も 稽 古 を し て 藤 間 流 の 名 取 り で あ る し 、新聞紙 一枚あれば尺 八も吹



他 、愛 袋 術 の 六 カ 出 の 事 は 前 に迷ぺ たが 、虚無償、猿紫、手品 、危 んでもや る然に前阿部ぷに

一体流 捕手術か ら 大 間 流 棒 術 訟 ど も や っ た 。

にも武道とし ては、武器の持 合 せがない時の用意として、南 鐙 殺倒流務法 、心 月流手裏剣術、

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ある ω叉 、塀を越えた時 は犬の胴 ぷる ひ の擬一斉もある。

、 犬は人恩に最も多く、何時 、
甲賀流 では、動 物 を利 用する術には 、特 に 犬 を 利 用 す る 。 是 は

何庭 にでも居 るし、叉 敵 の 番 犬 た ど も 肘 る か ら 、 特 に 犬 を 研 究 し て 之 を 利 用 す る の で あ る 。火

念の場合
、 犬の鳴 き擦 を以て 近所の犬を呼ぴ集め、北ハの喧騒にまぎれて 、逸早く・身を股れやう

とす る。追手は外 へ出 て見 て、多くの犬に吠えられ﹁扱 ては曲 者 が 犬 に化けて 身 を隠したか!﹂

などよ馬り合 ム中に、此方は易々と逃げ師へるのである 。 犬 の 擬 音 は 、私も相鴬練習を積んで、
今では犬と話が出来る位の自信を有ってゐる。

兎に角、 忍者は 、入のやる事は何んでもやれ注いものはないといふ立場で、共の一つの 惑と

し ては 徐長類似 の事もやる のである。之は遊認 でなく 長剣 た必要から起った 事 である。それと

いふの は
、 家僚が天正十一年に江戸城に移った時には、 甲 賀 、伊賀 の忍びの者もとも に率ゐて

移位したが、訪問の大名遼もゐの / ¥tかうした伊賀守 、甲 賀者を傭ひ入れたから、だんだん土

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着の忍術 家は分散し て令閣に鎖まって行った。骨同時は忍術家 が 一 園 一裁を 調査する報酬は百依

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といはれ 、各緒大名は佼んに彼等を鯨使して敵械を調斎させ、見取闘を作らせたものである 。
4也、

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ある よう拡散嶋︿ぺき

金 景 の 心 得 も 忍 訴 に は 必 袋 た も の と さ れ て ゐ た 。またかうした見取囲製作には

、目算が異常に

詳細たものもある。とれを殿様に報背する時は、土問邸ち立盤的模型を作 って献上したもので、

私の所に も か う し た 見 取 聞 は 保 山 集 め て あ る 。 中 に は 距 離 を歩 数 で調ぺて

巧みでないといけぬ。地口の披は決して直角には作って尉 た か っ た か ら で あ る 。

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忍者の服装と携帯武器及び道具類

最初に忍術者の袋来 と携帯 武 器 に 就 いて簡 単 に迷ペ てみ よう。

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其 服装も黒袋束で往 く

、 殿様以 上にえ ら い豪傑に 見
一一一銭束で建も 立 派 で
芝居の舞妥で は、百日かつらに鎖かたび ら m
えるが、 従際 はそんた重苦しいもので なく 、極 めて軽捷なものである

モほうぞ

表は溢染、装は鼠染めだ 。之は、表を笠間に靖 、官設は夜間に着るのである。それから蘇初染 め

の 手 拭 を 常 に 携 帯 し て 居 る 。 之 は 、 溢 染 め と 同 じ 色 で 、 頬 被 り に 通 し、又此の 手 拭 で 減 過 す る
と、汚水を飲んでも害を受けたいといふ 建 て前である。

ふ︿,ゃ5

次に 、懐中する ものは、一 種弱特の食糧 で
、 極めて少量で而かも滋養盤富たもの 。之を造る
ほしあわぴ

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には、千飽、大姿、千鯉、精米、夜苓、 寒 晒 、鰻 の白千、 格 肉、生 松の 甘は だ、氷砂糖 、委関

共他のものを交ぜ合ぜるとして あり 、今日の智識を以て しでも、何れも選り によった滋 養物で

ある 。


前門事が斯ういふ風に別意周到な庇は、普通戦場へ出る戦士と趣を異にする。

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ったから椛らない、千鳥の時き脅そっくりた 一首が して褒組列したといふので、あんな場合には、

ので、例の石川五右衛門が、太閣の千鳥の香憶を盗んで逃げる際に、鈴張りの廊下を 素 足で波

之は鋭製の変の質形のもの で
、 敵が此の菱で足を刺されてひるむ問に、逸平く危地を枕する

だも ので、之に 恥火 して敵へ投げ付ける 。 それから敵に迫はれて遁げる時には、愛撤きをする 。

れや似︿なるといふもので、忍びには無くてならぬ口問で ある。爆 弼も、竹筒の中に火薬を仕込ん

に停 は った秘 停 で 、 大 し た 後 見 な の で あ る 。 之 に瓢火して 北ハ臭 ひを喫ぐと宿直の武士北ハ耐え切

懐 中 に は 、 限 り 襲 、爆錦、変の食・など常に用意して屠る。此の眠り薬も古くからの忍術者間

である

立 てか け、共鍔に足 をかける 鴛め で、下げ 緒 を長 くするのは、上から刀を引き上げる時の便宜

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大きくし、下げ緒はや っと長くし、鞘は銃製の丈夫たものにする。之は携を上 る時など、刀を

ったり室内で闘ったりするから、出来るだけ短くし邪魔にたらぬ様K作る。鍔は 、普通よりも

次 に 、 忍 術 者 の 帯 刀 は、普.
通二尺三寸の刀の定法よりは大分短かいもので、之は狭い底を這

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.
右 衛 門 は 此 のお.抜 りの廊下を 踏み損ね て夫政
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綿車肢を穿くのが常法である として居る υ先づ .

したのに、今度は逃げる際、愛扱 き の 川 意 も無か ったといふの で、忍術者と して大の乎終であ

ると非難されてゐる 。 此の菱扱きには、本物の 変の貸でも宜しい ο 叉竹で 作 っ て 糸 で 繋 いでb
り、使用後 、そっくり糸を手 繰 って持ち腕 るたどいふ のもある c

円はれ 、忍 び 込 み の 時 に は 、あみ笠 、 かぎ縄 、石 筆 、紫 、 三尺
定法としては忍術者の六具と吾一

手拭、打竹を用意す る。他に 僚ろ火やのぼり木 、眠り薬たども持ってゐる。限り務、は多く庭木

でつくる ο敵に眠り薬を沼にまぜてのませ、向分はソツと下毒剤をのむのである 。今日の戦争

、 シウカベンヂル 、 ポ ス ゲ ン な ど の 様 た 毒 ガ ス も 皆 植 物 で つくったもの
で伎はれるイベ リツ ト

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した 形のもの に薬が仕込んである 。

である。逃げる時小さな火薬 をた げると 、そ れ で五六 人 くらゐは 倒隠せる。芝居でやる仁木部
正は巻物を く は へてゐるが、資は あ

忍者は常にあ Lいふものを持ってゐて、 いざ敵に這かけられたとたると白い煙 、担一⋮ い惚をあ

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のなかから 吹き出 してにげる。 ああいふものをくはへて敵をにらみつけると、敵も何か呉療が

公とると見て 寄りつけない。ま た大勢の敵にとりまかれた時、どの方向から見ても忍者が正面

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る ο弐は縄梯子、 とれは普通の 縄梯子 であ る 。 次 は 浮 橋 。 縄 梯 子を演にしてたもので、谷や川

下からしごきあげると一本の竹のように真直ぐになり、小竹に一 つ一つ 足をかけて登るのでb

とれを塀、 屋 根 な ど へ か け 、 縄 を よ ぢ 張 る 。長さ五寸くらゐの小竹が十数本縄に通ってゐて、

以 下 諸 々 の 道 具 を 説 明 す る と 、先づ 、忍 び 熊 手 之 は織 の先きに三 叉 の銭 の熊乎がついてゐ℃、

れるのである。

穴へ入れるととが出来るといはれてゐる。猫はあの口髭丈の扱がりの穴があれば、繁に股けら

ゐるか。 一健、穴をくどるのは 親 指 と人差指で闘を描いた伎の大きさがあれば、人間の身縫は

今 、 高 い 塀 を 飛 び 越 え た り 、 錠 前 を あけたり、 小さい穴を 潜 ったりす るにはどんた道具を用

ゃう 。

様にも忠ふが、前述の携帯別口 mと 、 道 具 と は 、 叉 多 少 異 る 髭 も あ るから、簡 単 に左に記してみ

次 ぎ に 忍 術 に 使 用 す る 種 々 の 道 具 類 に つ い て述べて見ょう。此の事は、巴に随所に記述した

多くの双 を 持つ ので ある。 千手観音、十 一面観音の ようたもので巧い 趣向 である。

向いて ゐるように兇せるために 、顔の津山 つい た商 をもって行き、 とれをかぶって、手にまた

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飛梯子

大竹を制令ぜて作る。上下を業で包む。

釣梯子

長さ七尺位 。

長さ武丈五尺、横六寸、腕縄又は藤縄 で作る。
銭釣凶 の如 く で 、 磁 石 等 険 し き 上 に 木 立 わ る 所
に用ふ 。

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高梯子

官民



銭 輸 闘 の 如く縄 を 付り一一筋は輸の中に入る。
之忍器を過す器也。

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窓、



あれだけで一冊になって居る。

火邸付は忍術裏道の根元 と ロはれて、共用は 、



、 城 郭 陣 営 の 堅 固 な る に 釣 し 、 之 に 放 火 焼 失 す る 事 が 利 あり
第一 に

第こには、登夜北ハに味方と合闘を矯すには火光が一呑有利である。

.
.

中に使用する道具、戸を開く道具、次に火器とたる。火器は古来忍術で一番叢く見たもので、

以上の 外 、 忍 術の探械道具と いふの は無数である。大 別す ると、 高い彪へ登る銭の道具 、水

火事の際川ひられる救命袋と同じ役もっとめるのである。

式 に た っ て ゐ る の で 携 帯 に 便 利 で あ る 。 次は長襲、以上の道具を入れて沿く袋で 、同時に現在

ても附けるととが出来たい。吹は忍び頭巾、 とれは普通の忍び関巾で、防禦別のもので、折必

戸締め器、之は氾形に曲った小さゑ銭の道具で、とれを障子や戸の問へはさみ込むとどう し

慨をつるしたり、荷物をつるして、滑車を 屋
川似たり塀たりに打ちつけて引上げる。

子、小さた滑車・に縄を過した もので 、抑制の一 端に綻のよう た鈎がついてゐて、とれに自分の身

かさ

を波る道具である。先端に大き注釘が数本ついてゐて、 とれでさ L へるのである ο次は グモ梯


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第三には、風雨にも消えざる短火は以て味方の難を救ふの利がある ο

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それでも其の時と場合に熔守る方聞の

そとで火器は百除種工夫され、 巧妙を秘めたものである。仰いし今日の電燈、瓦叩剤、火薬たと
の後建の矯めに 、是等の多くは.小用に蹄した形で ある

工夫を熟議翫味する時は、今日の火力を一暦に進歩褒淫 せし む る 事 が 出 来 ゃ う 。 兎 に 角 、 我 等

閤民の組先が、是れだけの工夫褒明をしたとい ふ 結 だ け で も 敬 服 に 値 す る の で あ る 。 共 名 稀 だ
けを並ぺて見ても、用意と工夫の 程度が解る。

義経水短火。上々水症火極秘の方、
五岡県煙火方、雨煙火、風雨煙火 、生滅火の法、水の明松 、

打松明、振り松明、やばら松明ハ之れは.振れば 消 え 、吹けば燃え 、火 先を小 刀にて洛せ ば叉

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燃え る)
袖火方
、 敵討築、義終火 。水鋒方 、水火 仰閥 、 一寸 火縄、濡火縄狼煙方.不滅松明、総

火佐 、夢烈火、猿火、懐中火、手火庄、手の内火、天狗火、水火、共他 数ふる に阪がない。岬

れが、何れも完全危製法を説明して居るので、試みに二三共 の製作法を述べる 。

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水火縄││硝(七十匁﹀、水 (
夫 自にこ盃)英中に火 縄 一曲入れ煎じ、樟七十州地、松脂五十匁、


稼の箆の泊にてねばみに解 き,火細川 の上に引き、扱 て悩械を鎗きて何渇も引きて用ゆ ο
万7
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ある事であらう。

夜明をして居たと一ず一口はれる。唯それが軍用機密に信仰するので、公表したかったといふのも 一辺

が 多 か ら う と 忠 ふ 。 日 本 の 忍 術者 は世界一番の 稜明家で、 何れの図よりも先き に い る / ¥の新

船中で遺作たく開い℃調ぺる伎であるから、忍術の方の開器が、今後にも十分参考と怒るもの

で復雑訟錠前であるが、其他は大抵よい加滅危もので、現に税関の人達は、放客のカパン怠ど 、

叉、戸を開ける器械たどは、津山に闘解が出て居る。錠といふのは、営節の令一庫は特別丈夫

から命日得した秘術であらう。

右は、ほんの一例であるが、能く、鼠や牛の糞を交ぜる法が書いてあるたどは、多年の経験

匁、船十五匁、胡腕八州地、松脂二十匁、イボグ五匁、龍三匁、松 山
税制紛二十五匁.館一公八匁。

風雨矩火li苧屑百〆、総五匁、文百匁を白くなる程に採み一夜水に浸す。賞十匁、樟五十


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印を結ぶは精神の 統 一

倫ほ一づ印を結ぶといふ不思 議 の 術 は 、 之 と そ 忍 術 の 玄 妙 奥 諦 と 見 ら れ て 居 る の で あ る が 首

節、無線電信といふ 大鷲明もある佼 で、人間 も自分の一心凝っては精一仰の働き一つで 、敵乎を

せ つ恰

百へる。印を 結ぶの術は、 つまり自分 の精一柳を統一し、我必・予
自在に操縦する事が出来るとも一

勝ち得るといふ信念を作り上げるので ある。湾事休すといふ切端詰った際にも、-帥気動飢せ・予

剣光裏に寓人を安ん守る 集 塊 を磨き 、心 服 を 明 か に し 、 何 れ か 一 方 に 血 路 を 開 く の 工 夫 を す る

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で b る。死を恐れざ る者稜強 い者 は な い の で 、 敵 の 包 圏 中 に 在 っ て 冷 眼 以 て 隙 を 見 出 し 、 活

路を附くといふ武道の 奥義 が裁に在るのである 。 菅 は 孔 明 、 櫓 門 に 愛 子 を曳い て琴を鴎じ、以

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みで あ っ た に 逮 ひたい のである 。

に榊悌の加惑を仰ぐといふのは、我れ乍ら進んで危地を胃かす忍術家に取っては、唯一の心税

つけて、印と呪文と概念が一致すればそとに法力が 直に兵頴 され ると苧 った 。 かう したととる



に科接的に 構成 されてゐ る忍術も 、あくまで 紳併にたよ ってゐる ので
、 己れを正 しくしてそ乙

した時に、印身成怖が 出来 る と さ れ て ゐ る 。忍 道ではと の身 を印、 口を呪文、意を概念と結び

、 意 の 三 密 を具足する事を数へた 。良
ら良一吉宗 では、 身 、 口



の 方ではとの三つが完全に一致

ある 。 かく して術者は心の安定を得、精⋮紳伊一信仰 に結び付 けて自信 力を強めるのである 。昔か

そして精 榊統 一の方法 とし て、古来の体滑一向 には、
・忍者 が先づ呪文を唱 へ、印を結 ぶ事 にして

此の不動 の一心 成 って始めて、 忍術の妙技 も成 功する。

て能 く老治た る仲遼 を斥けたと いふのも此 の妙諦で、印 を結ぶ は琴 を弾、デると悶じ心であ る o


九 字 護身法

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普から九字護身法といふのがあって、之を兵法九字 の大事 として 居た。

﹁抑々九字の事は、心を護るの大秘 法に して軽忽のととにあ ら や 。 共 の法先 づ 毎 朝 手 洗 口 駄 を

たび
し、北に肉って濁策 を吐き棄て、東方に向って口を聞き、息を 内 に引き、 生 気 を 吸 ふ 事 =一

宍に簡を叩く 事三 十六、下心を 安 静 し て 之 を 修 す 。 或 は 旗 に て 叉 山 中 、 際 野 、 或 は 夜 行 、 叉 悶

室、孤居にも是を修すれば、自身忽ち成カを増し、諸々の怨敵、悪魔、狐狸の底迄.便を制ひ

障碍を銭す事能は守 。一柳妙不測の大秘法と信じ、疑の心を生やる事たく至信以て之を行ふベし。

但しかく総き法たれば、共の人卒常仁慈忠孝の志無くして、非法滋行の族は吏に験たく、却て

冥罰を蒙る。心、)北直潔白に、天道を長れ、人道に背か歩、己が家業、を大切にし、正直に此法

を修すれば、必守利益 等しく、銀賊水火難一切.盗事災厄を免れ 、ん女穏身護の秘法にして衆人の


に 廃く師俸の回目 を体ふるもの怒り。

大摩利支傘天秘授兵法九字の大事は、身心を竪刷にし、蓬力を増し、怨敵を退け、慈胞を郷

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3

ひ、惑袋、邪鬼、妖怪を滅ぼし、惣じて一切の厄難を除き、諸々の願ぜ一を成就回 一
糊たらしむる

の紳術なり 。至心に停授して久しく修する人は霊験 愛 たり﹂


?
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印輸問。金大

左 右 の 手 を う ちへくみて頭指をたて あは す

毘沙門天

十一面観世音

二手うちにくみ頭指を下へ付中指にてか

天照皇大紳

大会側輪印

正八幡犬神


印の鈷濁

之 P 凶併すると左の如くである 。

濁鈷印

九字 印 を切る矯 め の 刀 印 で あ る 。 之は 、例の﹁臨兵闘者問陣列在前﹂ の九字に嘗てるもので、

=一外獅子印、四内獅子印、一江外縛印 、六 内 線 印 、七知日参印 、八日輪印、九隠形印、最後に此の

扱 て 此 の 印 を 結 ぶ に 付 い て段、 九 字 に 膝 じ て九怒の方式がある。 一猫鈷の 印
、 二大金 剛倫印

には、此の功 徳をも鼠ハ ヘな

の としてあ る庭は 、我が武士道精⋮仰の精鐙 である 、

と記されてある 。紳 併 は 導 入 義 人 を 助 け 護るの で、心の正しからデ私利私谷を専らとする者

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.


ノ、

J74

皆脚

外獅子印

左右互に中指にて頭指をからみ大指先名指

如意輪観世音

小指を立 て合す

春日 大 明 神

左京互に中指で先名指とからみ大指頭指小


指 を立て ム

不動明王

二千公の/¥外へくみ合す

加茂

内獅子印

外緒的印

稲 荷 大 明 紳 愛染明王

1
7
5

印字獅外






9
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:
'
7
:
a


印縛内

在問

内線印

智 拳印

日輪印

たり

tA

正観 世 一音

十 指 互 に 内 へく み入る

住 吉大明 紳

左四指をにぎ りて 頭指をたて 右 にし て闘の紙

阿漏陀如来

く左の頭指をと る

丹生大明紳

漏勃菩薩

左右の 大 指 頭 指 先 きをつけ徐の 四指は開き散

日天子


印拳智


~7~

印形隠


隠形印




?1

文珠菩薩

左の手 をうつろに Lぎり右の 手 の 上 に 位 く

摩利支天

次に刀印を結び九字を 哨 へ な が ら 闘 の 如 く 実 く の で あ る

1
7
7

一主主ー

印明護身法其他


以下右謎身 法 印 明 の 闘 併を 示す。

るに任せて梓 に零するものなり﹂と。

/ ¥l津 山に ある。その

一つに 護身印明といふのがあ

一何の符法なれば、謹 んで 行 ひ奉るぺ し。 此法は償初出然に秘する廃たれ ども 二三笠の信士の懇詩す

ならしめ 、諸々の魔性を降伏し、水、火、 盗 、病一切の厄難の恐れたからしむ 。異に之れ未曾

如 法 に 行 や れ ば 、身
、 口、意につくる庭の罪障を消除し、コ 一
部 諸鎗 の加護 を蒙り、身を竪問

り、誠心に修業すぺく。

んと欲せば、身器 を清浮にし、壇上を装飾して供典を備へ、五慌を地に地ちて本働時を鰻奔し奉

疋を 護 身 法 と いふ、十 八 契印 第 一にして、秘密 の印 言 なり。此法を修せ,
﹁得三業、三部被甲 、日

る。

方九字の印以外にも、結印の方式はまだ

沼、

1
7
8




園岨
開.

浮 三業 印明

しむる印明 である。


、J




h

忍、

hJ2

んわし

呪文左の如し 。
おんを

おんたたがどど依んわ

だ答つわだる主モ

。 裟 際b 詞

hw

徐州

しρ t

めといふ。

λ
口A
μ

b

日疋は観世音菩薩紘一寸の諸々の菩薩の加持を得て一切の紫、随一
乞消

崎恒他業都納婆腕也

指を隠して頭指の下節に安んや 。之にも呪文左の如し。

前の印にて掌を開き 、風指の端を二中 指 の上節につけ、二大

是は、十方三世諸仰の護念を得て、北ハ 人即を増し 、稲葱を 長十。

崎薩鵬婆腕腕。験駄薩悌達磨。隆鵬婆脚。轍皮昨

φ

左右 の手を打合せ て業中を空虚にす、之をほ心

、 身 、口、 意に作る蕗の諸 々認識来を減 し て、清浄なる一品 を
是は
7 何せ

悌部三味耶印


蓮華部三昧耶印

1
7
9


司-・~・





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.

"

除す るのである。

.
.



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園町、

1
7
1

政:

聞となる 。

mM

JP

ねんわじろ

・崎隣日慮

左右の五指左開き散らして大指小指を相つけ て、八葉蓮華
形の如くする。呪文左の如し。
おんはんどもど

陰ん

bp

E3f

崎肢郷諜納婆線也。沙女蜘附一計

是 は 金 剛 部 の 諸 傘 の 加 被 を得て 、 一切の病維を除き、竪聞の

g

怖悼むわ

納婆際也
u

υ

沙女脳附詞

はしを引きかけて 、 鈎 の如くす 。 呪文左の如し。

左掌を か へ し ふ せ て 外 へ 向 け 、 右 を 仰ぎて手 の背を つけ、大指小指互ひに

(
四 ) 金剛部三 味耶印

11
:
.
¥

18~

(

) 護身三味耶印
たらしむ。

b

らぎに

はらじはた'や

、身 を し て 堅 固

O

か次臨腕骨


次 に世間 で能 く一一一ロム不動の金縛りと いふ のを問解す る

略際日羅銀慨。鉢羅捻政移也

Bむ

二大指 にて無 名指のもとを沿す。呪文・左の如し

二手内に交えて 、 二中指の端を 合 せ、 二頭指を少し曲げて

腿の障碍を除き一切の厄難を除け
是は諸々の天 ・

(

) 不動明王金縛法

1
8
1

此の法を行ふには、先づ九 字護身法と不動経を讃請する 。 次に叉左の歌を唱へる 。

﹁よるくとも よもや許さ守縛り 紹不動の心 ある に限ら ん
﹂。


t



西 方l 大威徳夜叉明王

東 方l 降 三世夜叉明王

北方l金剛夜 叉明 王

南方i軍多利夜叉明王

中央l大日大翠不動明王

O真 一口!をんびんびしからからしぼりそわか


見られやう 。 人聞は危念存亡の場合には、手足を張るとか手に汗握るとか、我れ知らや手を合

る以上、亦榊の一分子である。我は一刷l 宇宙と合総して、モとに無限の大威力を得る工夫とも

の活を得るの心得である。紳に頼る事はやがて我が力に頼る事である。我は宇宙の一分子であ

、 一身 を 紳 仰 の 加 護 に任せて疑は守、我が心を安定して死中
も説いた通り 、生死岸頭に 立っ て

も凡られぬ形である。之は右の九字の印から耐神化したものである。要するに忍術の結印は前に

鎖かたびら装束で、手は左右京ねて人差指を上に向けて居る所は、世界何れの魔法にも武術に

以上、紡印の大略である。 錦絵の忍術の闘は何れも幻怪を極めたもので、百 日笈に金ピカ の

印輸涜轄

lS~

脚愛 不可思議である。
せるとか、手の作刑は ⋮

雨手を合せて印を結ぶといふのは、此の自然の衝動から考へ出された事で あ って、心と形 と

相即した庭に玄妙の機がある。 ﹁心だに絞の道に叶ひたば、 新 ら や と て も 紳 や 守 ら ん﹂ といふ

も道迎ながら、忍者叉正しき心を以て 一
脚明加護 を新る心の 表 現が結印と な ったも ので ある 。 と

一一言った虎で平生邪慈の心術では、 いざといふ時、一榊悌を祈るとも威力は 生 じないので ある 、況

んや敵を調伏する事をや 。 常に危地 を踏 む忍 者 は、常に正しき心を以て 勇 気 を養 ふのである 。

以上越ぺ来った方法と、道具と、身穫 と三ツ揃ふたら鬼に金棒 で、天下無敵 である 。 かくし

て忍者は、鬼一脚を役するが如き妙術を行ひ得ると稽して差 支 えたいので ある。 共 笈は理 誇 めに

考案した、人力の限りを悲した仕事で る って、何んの不思 議 とい ふ姑も たいので あ るが、之が

1
8
3

官際に行はれた結果から見ると、全く芝居がかりの不可思議 極 ま ったも ので、 此の忍術に 引掛



って、損害を 受けた方の人々から 同はせると、共場 の突然た出来事 と
、 総鰐と 、恐怖
、 狼狽 と


とからして、五寸 の基 が五 尺 にも見え、火 薬の爆裂 は
、 雷震雲霧にも 見 え、仁木競正 は、資際
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I
L

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をし て居ら れ るも のでは たい。

官付 きの 遊 瓶詰剣術 とは それ とそ 窓壌 の差 があ る。不意を打たれた から負け たたど ー
へ涼しい顔

、 間を着 けて 竹刀を鱗へ て
、 審判
が武 術練 習 の 極 設で も あ る ので、今日の 様 に板 張りの道 場 に



口へば本山

問、 忍術の 妙は、 敵 手を夢 幻拐 に陥れる 底 にあ る。而して之
嘘 と一式ヘば嘘、本営 と一

鼠 に乗 って 居 たとも 見え 、才般 は務 に隠 れたとも見える事 であらう 。

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II
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.

184

大死一 番の 受悟


の 統 一を間り 、心を平 静に して、,危 念 の場 合 に活路を見
九字を 切り印 を結 ぶ事 に依 って 精一

仰とて
出すとい ふ事 と同時に、人聞 は叉大死 一番の 発 悟 を姿す るの であ る。 我 日本 閑 の武 道精一


、 共 の線本は 死を恐れ ぬ兜悟 から 愛する のである。死を 恐れて 有 くも生を 得 んと 飲す るに於
ては、 Eんたに しても 最後の 鐙 悟 が出でや、心 の安定を得 た い。

J

窮 して

﹁百戦 の工夫一 杯に 出づ
﹂ と いふ 事 があ って、 入問
、 分 別に 飴 ったら理 績 にこ だはらやに、

杯 の渦を飲めと数 へで あるが、之 と同 じ事に 心 の安定は 、死を決する魔 にのみ生やる

1
8
5

悲嘆 に呉れ 、めそ/
X 泣 いて 居 るだけだは、心 が愈よ鋭れて 名案も 山川た いもの であ る。

一 死を宛惜 し て了ったら心 朗らかになり 、自 分 の身を第三者 の地位 から 観察する事が出来


る。そ とに 始めて放済策も考へられる のであ る d
之が死中に 活 を得る忍術の極意にも常ゐので、

政、

に夜 っ た 財 貨を 取出し、 親盗 人のいふ 事 に

それから日が謀れる と
、 親 子 二人 、 村 里 へ下り、或物持 の家 へ忍び入り、 長持を 開 いて、中

て来 い﹂

﹁宜し い、 之 も我等 初 予 の病命 た ら ん 。貴厳 に能人 の 術 を 今 夜 教 へ遣は すから、設が 跡 につい

と、そと で 一日父親 に 向 っ て 盗 人 の法 を数 へて呉れ と いふ 。 父の盗 人

たいから、疋 業 に就 く た よりもた い。﹂

ぅ。経 人 の子 は能人の 外 に生 活 の 方 がたい 。 とんた山中に人 泉般 れ て住 み
、 村人とも 交際 して

﹁己れ はまだ税 父から議人 の術 を匂 って 居な い。此の 僚、貌 父に 死怒れたら何んで生精 し得や

昔 、 一人の盗人 が有っ て 一子を儲けた 、此 の子成 長し て思 ふゃう 。

は忍術悼ん 中に載せられた秘録である 。


して 始 めて 生を 得るの妙試仰を示したもの とし て、持続翫味 する 侭値 があ ると忠 ふので ある。是

しで あ る が、共の 趣旨 とす る心地は箆み其物でたく・ 人心の 機微 を示 した貼に ある。人間 死を決

英一例と し て示さ れ た 一つ の饗 へ話 とい ふ のが極め て興味 あるものでるる。此話は盗賊 の事に

1
8
6

﹁沿前此長持の中へ入れ﹂

子は、町四一説紅色でるったが、親の命に任せて中へ入ると、親は長持の援を元の如くに し、外
から錠を卸るし、盗み出した物を駒田ゑ取持ち、扱 て高撃に、
﹁盗人よ/¥!﹂

と呼ばはって逃げ去った。家人 大いに縫き皆起き て見たが 、盗 賊の婆は 己に去って 見え歩、

屋内に異欣もたいから、長持の 事も気が付かや 、や がて騒ぎも静り叉寝℃了った。長持の中に
封ぜられた子絞人は扱て困った 。

﹁親父 は何故乙んた 事をしたのだらう。兎に角自分も今夜中に 逃げたければ、夜明け ては迎も
逃げる方もたい。何とか工夫しゑくては﹂

と、いろ/、考へた末、絡釣絶命、勇気 を 奮 ひ起して 一計を笑じ、指の爪で長持をがり/
¥蟹

/X 愛た事 ぢや、も一度起きて調べて見

1
8
7

いた οそれは 鼠が物 をかじ る


田 に擬したのである。家人叉目を受まし、


l物騒であるわい。何かごそ / ¥tがり

﹁今夜は州知て
ゃう﹂
~

7
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1



とば かり、そとへ行って あ れとれと 罵 る際に、子盗人は難た く我家へ殴った じすると貌箆人 .

﹁銀ては 盗人は 井戸 へ 潟 ちた ! ﹂

之 を井戸の中へ落し て逃 げた。 主ハの水晶円が深夜の祭にとだま して 物凄 かっ たので、

息を縦 ぎ、何成迄 も 退 びかけられ ては堪らたいと考へ叉一 計を案じ、 傍の 大きた石を見附けて


間 き狼狽して之を 迫っか けた 。 子盗 人 は逃げて 屋外に出 て、井戸 の端迄来 た時、しばし
と.

﹁ゃれ盗 人よ!﹂

駄犬走り に逃げた 。

とやがて益を開け ると 、子盗 人 は中 か らさ っと 身を 降らして 飛び出 で、家主を突き倒 し て掌

﹁此 の長持 の中に鼠が 入 って居るそう怒 、大事な umも有 る事故、開け て見なくて はたらぬ ﹂

と起き出 て.

,ピ4

tと子盗 人 は諮 る、 親 盗 人 は 満 足 げ に 子 盗 人 を 見 て、
走れ / ¥



手前どうして飾って来た!﹂

1
8
8

﹁手前は 洛人 になれるぞ!﹂

と った 。つまり殺は子を捨てたので、子は必死の発信を定めて途に謀略を悟った のであ る@


彼は身を捻て切って捕へらる Lか 、 モ れ と も 逃 げ 終 せ ゃ う か 二 つ 一 つ の 度 胸 を定めだ から 、途

きものと先
に一命を 菟れたの である 。兎つ逗ひっ心惑ふて居る聞は、 智 略も 出ないが、 命を飢⋮

悟したから、此の場合の事怖が明かに憎 られ て 、 相膝 の 智略 が尚 て身 を 免れたのである。

、 透か
父、昔、唐の玉銀悪といふ者が、 茶の 間を 征伐 のため数千 人を引 卒 し 、 兵 般 に取乗 り

に海上を経て 泰 に赴 き、共 の清橋といふ 践 に着いて ・舟より上 り 、 線 衣類を ば 共催 舟 に入れ 世



、 甲骨、 器械ばかりを舟 から取出し山に登 り、共夜の風 に任せ て舟を 海 上透かに 流 して了つ
た。それから玉鋲は軍勢に向って告ぐる様、



見る通り舟揖、衣類、兵線、悉く流し て了った。我が故 郷の 長 安 城へは高里一
の路が ある。 比

1
3
9

上は進んで戟ひ勝たざるに於ては、再び 本閥 へ跨る事が出来た い のであ る﹂



を聞い て兵士北ハ一時 は怨み 顔であ ったが 、能く 考へると 、 必死 を極め て駿 ふ 一途 あ るのみ



3い
ふ 鮪に が付き 、臆病対も 勇敢に怒り 、死物 狂 ひで 践ひ 、身を捨て 切 り、先 きへ /X と戦

f

ひ進 んだ潟 めに

沼、


に擦 の大闘を屈服 せしめ たといふ事がb る @

190

.

都合 も 付
主総ち込む筈であったが、本試問褒行 が念たりし矯 め北ハ

る。是又興味ある事に属し、徐服あらば之を忍術秘録の中 へ遁

自の問に 得 たる副産 物 であ
以下の諸 編 は、余が多年忍術研究線 M

か歩 、そ の ま ふ以せたる次第でるる。

1
9
1



山、


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j

が考案された
/ ¥lの小武拠仰

のであ る。

市町村に 器祭 あるといふ文明開化の今日に あ っては、各自の 護身術たど絵計ものだと考へる人


恋人も相蛍多かるべき筈である。関自然に軍隊bり
する物の 必 要を切に感守るといふ、則心竪問 ・

今回、帯刀が禁じられ、而かも人 間が幾多の 危険に 暴露 される時代に在つては、小武器に類

にいる

るの小武務が 考案された 。武 術 に 精 妙 で 、 用 意 附到た人程小武器の必要を感じた。それが矯め

かった。 それでも、高一の 場ム nを後恕 し て 、 用 心 の 鴛 め 護身 の鴛 め、創ち防禦 則としていろい

各自、自分の乎に合ふ日 本 刀を 殺 したのであるから、小さい 武 器 、隠 し物たどの必要も余りた

と奮った位で る るつ 封建時代に 侍 の表道具 として、大小笠 公然手挟む事 の許された時代には、

、 長 い武器の有利で ある事 は勿 論 でb る。品目は 槍 は戦場の長器
カ に絵ら ぬ限り 、大きい武 器

小 武 器 の研 究

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19~

が多い 。併し毎日、 新聞紙 上に 現はれ る刃 物 沙 汰 、暴行沙汰には 、後 の 祭 り と な る 事 が 多 いの

である。所詮、人間は我が乎我が足を以て我身を 誤 る 外 た いのである 。﹁まさか ﹂﹁滅多に﹂な

どいふ祭休めたぞ考へる人が、得てしてやら れ る の で あ る 。 尚 武 閣 の 日 本 人 が 、古 来 と ん な 小

、 趣味変袋北ハに待らる也事と忠ふ。
武器を祭出したかを今日再検討して 見 る事 は

L

言ばれたから、他の投げものに 比して 、最も州制裁のよい 、人 自に付かぬ飛道具、たる手姿剣が珍

といふ小 沢器が考策され、北ハの顕著なものは手裏剣である。 一鰭武士に飛ぴ道品、は卑法たど

不窓の敵を防ぐにしても、 或る距縫を附 て L仕 事 を す る の は 最 も 安 全 で あ る ο そとで 飛 道 具

重されたも賞然であらう 。刀の翰へ仕込んで置かれるので最も便利であり 、小柄 、 英 伎 で 乎 茶
剣にもたるので あ る

193

手裏創にはいろ/¥ーの仕方が あった 乙 十字形や、矢車形たどは、英の一端をこ木の指でつま

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んで泌に投げるので命中 絡が多い 。 之は、特殊たもので、刀の翰へ仕込む絡には行かたい。何
忽、

主1
寺の時つむ偲;袋手



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れかと言へば携帯不便た方の道具であるが 、府
J

妙忽業を姿せや 、練習も少くとも宜しい。つま

り後代にたって手よりは頭を働かした道具であ

る。敵と近づいた場合には、常節の接生が竹刀

の鍔で敵手を打つ様に、此の十字や矢車の尖端

で敵 を打つ事も出事るので、そとが 一つの新築

でもある。小刀形の手裏剣の伎刑法は、尖先き

を手前にし‘柄の方を向ふにして逆に半周して

敵の顔へ刺すと いふ建て前で あり、之が撲 の締

妙を裂する滋であり、 エ夫 の使れた廃でもある。

上迷したら三川問の川町雛から命中する。素人が

投けた此で、芭ぐ命中するといふ識にも行かた

いが、練包といふのは恐ろしい。或人が一文銭

1
9
4

を投げたのが柱の釘へはまった。之は偶然たので共後繰返しても嘗らたい。それ を根気能く数
ヶ月練習したら、思ム桜に出来たといふ。

武術生業であった時代には、手裏剣の練習位は心がけのよい人には 蛍然の事であった 。但し

飛ぴ道具であるから、表看板を出して教授するといふ 事はない。各自密かに練習したものらし

ぃ。剣道の一部として修業されたものであらう 。それで手裏剣には、根岸流、新月流、荒木流、

毛利流、義尾流たどいふのが古警に散見する。蛍節の曲惑 として板へ突入を 縛 し、或る距 離か

ら小刀を投げて、 一寸と離れたい身遜に刺して見せるといふのもある。手裏剣術を見 世物にし
た形である。梁として巧妙なものである。

手議剣代用物には、婦人の弊‘かがPいがある。 努には剣形に作 ったものさ︽あ り、加がわ

しも乎裏剣用に作ったものがある。叉男の使 用する針 があった。之は、援援の問へ隠して置い

1
9
o

て、いざといふ時、敵面へ投げ付ける工夫で ある。双援へ二本 づっ忍ばせて 居た といふ 。是等

手裏剣 代用物は、何れも 相嘗 霊味を持たせ て
、 且つ重心の位置を 考慮に入れ て作っ たものであ

M喝

手 創 丸 活 支d

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司 は 眠時といふ

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咽 否・
3-流
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F木・

晶子とωふぶ

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' ザンゾ

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角手は 、闘の如 く指訓械に角

な刃物 を忍 ばせて、 小指へ 角乎式のもっ と巾の庚

同じ 隠 し の部に 入 るべき武器 に、手の中へ鋭利

も知れぬ

のも ある。メリケ ンサ ックの起因も、 東洋停 統か

敵 の打って 来る白刃 を手づ かみにして 悲 ふといふ

手や立を似附設する ものを作り、
叉 同 じ様た材料で 、

闘の手套のやうにたり 、敵の而を打つ ので ある。

って了ふ。之は制剛一流、 一傍流では角手と吾一同ひ、 叉荒木 、清 心 では﹁隠し﹂と一寄 った。本




、 総
物 の 隠 し 広 は 、 閣 の 如 き 一種 の メ リ ケ ン サ ッ ク 式 の 物 が あ る 。 之 は 鎖かたびら式の作法 で

を付けたもので、之を中指には め 、敵の乎を捉へて強く振り 、角の伐材め に敵は摘さ に地へ 宇参

4T
﹂や﹁隠し﹂といふのがある。

角手、隠し物

,次に怒く小さい武穏では、 ﹁角

d

]f
)
s

いものを指一杯にはめて、之を手刀にするなどいふ工夫、 あ っ た

ν子 市 や 手 套 を か け て 此 の 匁

物を隠し、平手で敵を斬るといふ物凄 いととで ある 。或一心仰が間合宥の削前で 、此の手刀で猫

を祈 って 見せた 。モれと知らぬ間合者が手の肉で も 修 業 す れ ば 、 新 れ ると間 かされて驚嘆し 、
、 真面目に説法して 、
共 の練習 法を問ふ た Q侍 は


裏 の小川へ 行 って、早 い流れを、毎日 、平 手 で 逆 に 水 を 切 り 、 モ れ が 水 流 を 飢 さた l
v付⋮に冴

えて 来 ると、 犬でも人間 でも首が斬れる﹂と教へた。国会岩が程経て此侍を叉訪問し、

沿 陰 で、私の 手刀も紋 に立つ迄にたりました﹂

といふ 。待は 怪し んで 、共庭 に居る犬をや って 見よといふ。さっとR にも切らぬ早業で、回

全 でか手 を

の げたと見るとギヤ ンと一盤 、犬の首は 落 ち て鮮血縫った。待は桜山崎て、後栓長る

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べしとばかり、 共路此同・合者を閤打ちに斬って奨てたといふ話 もある 。講談本たどに、偽撲が、

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湿

此の小 指の隠忍を佼則 した事 が見えたやうに思ふ。之たどは物凄い小武器だ。


ひの時は、共俊鉢巻にしたといふ。中々気の利いたやり方である。捕方たどにはな銚へなので

らう。共に似た小武器には、銭を縮緬の細い長い 袋 に入れて懐中し、敵をひっばたく、叉切合

同疋ゑどは新時代の護身具にヒントを奥へる代物であ
ので、後が商倒がゑくてよかったといふ 。

へ、大きく結び玉が付くと相賞た武器にたったらしいが、滅 多に肉を破って血を出す事がたい

とたると其の端を結び玉にして、それで敵を打ったといふ。し訟やか怒鞭位に弾力がある手綱

か、又は敵の面を狙って打ちからむのである 。 或る馬方の喧嘩 上手が 、堅い手綱宇一
作り、いざ

銀飛 は、岡の如く、分銅へ 鎖を 附け、 直端 へ紐が着いて居る、之 は片手で振って投げ付ける

ふ仲々考へた道具で、全館の長さ一尺であるから、懐中へ忍ばせるに好都合でもある。

へ指を通して丸分銅で打つ。離れた敵へは投げ附ける。敵が刀で斬つ℃来たら、鎮で捲くとい

危どいふの がある。微塵といふのは闘の如きも ので、之は むき敵をば、共一端か又は中央の環

E いふ建前のものでゑい 。農が鎖と分銅丈けの小道具は 、数種 工夫された。鏡子
、 銀飛、微 慶

のは随分と大が Lりた、道場一杯 雨手を鋳げる大武器である 。連も懐中したり寓一の護身用な

鎖といふと、直ぐ鎌を聯想するのであるが、鎌は小道具の様でるるが、賃地には鎖鎌といふ

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ある。十手が邪魔にたる場合にはとんなものが
質変であったらう。

銀平といふのは、園の如く、角手と、銭と、
勺岱

分銅と、手甲 を防ぐ鍔を備 へた武訴で 、鎖 物 で

は一番工夫を積んだものであらう。下方の角乎

を左手の指にかけて、三尺の鎖を振る。銭に渇

して あ る鍔は、自由 に上下する仕かけである。

右手の甲が始終此の鍔 で保謎されるから、敵 mA

も恐る与に足ちゃ、隙あれば、分銅で打つ、又

e
-

は鎖を左右の手であしらって、敵刃に捲き付け

る。叉左手で、敵の手を振ると、角手が利く、

敵に取っては容易たらぬ難物である。モれで懐

中へ忍ばせる事が出来る。忍術者の場合には、

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健聴胤(屯最 }

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P 回流鎖介銅




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街絵
えんもん

るる。今日見る様ゑ相嘗精巧たものではたかったらう。小形で一極りのものであるから、懐中

件付されなか った。彼 等 は 甚 だ し く 無 力無 防御況の地 に置かれた 。 そとで祭出したのは此の濁鈷で



調鈷は、本来天笠の兵器としてある。昔は天笠邸ち印度では、庶民階綾は武絡を貯ふる w

濁鈷 、(印 度の武器)

と戸田流の記録がある。

wれば、 絡に に臨みて袋あるべし﹂
依艇に挟み、須央も身を離さ 為

すゆ

﹁細い 鎖丈 けの 袋 に入れ、家に沿りては、座右に泣き常に翫とたし、戸外に出づる時は、袋の

に持って、左・石 渡化自在に敵を打つ 。叉敵の刀をからみ取る 。之は、

次に戸間流の鎖八刀銅といふ のがあ る。撫 で角二尺の環に し て、雨端に角分銅を付ける、雨手


此の鍔を塀や後門たどに引っかけ℃磐ぢ 受 る助 けにも怒ら う

して隠し道具としたものであらう 。 後 代には専ら仰具とし、府県一問宗たどで用ゐる。本名は杵で


ある。推破知の杵といふ事で、法を設き疑を断つとしたものである。又 一切の 俗慾を切断する

~OO


ェ錨

台6


は五鈷といふ。帯地に濁鈷といふ名稽は狗鈷

形の織模様をしたものをいふのである -借家

では、例の沼を般晶表湯といふ絡で、抑制鈷とは

係筋の隠詩である 。叉 溺鈷を十字に組合せた
のは掲患と骨一口ふ。

一見悌具と目されはしたものふ、信唆に取

・軌

つては 、帯刀を許されたい 身に、主要な武絡
しゃ︿e

である。錫杖や金剛杖といふ武器は 伶次に る

り、彼等は錫杖一本あったら、山 に入っ て猛

隊毒蛇を滋治し、堀立ての堂字を建て一山の

関胞 とも怒る様に、勇猛不選結仰の気践と共に

武樹齢をも練習したものである。殊にも由民雷同宗

2
0
1



&毛;:::=.~

ささ玄〉

Q:


!&武 だね 員長を併髪

の設として ある o銅を以 て作り 、共の雨端、各々一尖なるは濁鈷、 三
叉あるは三鈷、五叉なる

具体だね議を器宣之

ひである。それで老伶ゑども銭如意を携へて腐る 。之も立派た武器で、わらび手に一紛が捻い

回へば、掻も殺さぬ柔弱一方と考へるは大間遠
能く見らる L o殺人剣活人剣の誌もあり、仰と苧一一

北ハ他仰像には、毘沙門天、摩利支天訟ど、何かしら武器を振り、右手を高く駁して居るのが

絡である。

寸釣を帯び・?といふ難場も、四殉摩形の十字の濁鈷一つ振って居たら、答務には百倍も増した武

があり、例家の所持口問としても、愛慾切断の詮として振るといふも、態はしいのである 。身に

ふ包

又は投げ付けられたら、致命傷を興へる 事も 出 来 ゃう 。務鈷の紋様は 、相務的で、複雑で雅趣

中稼も 多 く、叉中納りの振り具合も 三鈷冗鈷の州場合にも狙ひが付きよいのであるリ 一つ突かれ

口央である。叉相 常 丈 夫 に出来て、重さもあるから、投げ付けるに手頃である。平たい溺鈷は命

濁鈷の使用法は、之を振って、敵を・突き打つ 。柔 術者に取っても﹁蛍てる﹂鴛めに絶好の道

はゆし、此の濁鈷を振って護身の用に供した 。

の俄は、手足の利く者と目せられた。そとで彼等 は隠し武器として、慈悲忍辱の身に短刀も簡

て作られた如意の一撃は、人の頭脳を破裂せしむるに足る。彼等が肢臥之を・身設から放さなか

。O~

ったといふも、護身の意味が あり 、武士が 雨 刀 を 離 さ な か っ た 秘 な も の で あ ら う ο 衆 生 を 済 度

U

小武穏として 一般 に 能 く

ぬごみ
、根
来や奈良の法所など、点u

ho
な じみの 朱 房 の 十 手 と来 る

する筋には、剛勇知⋮双 合間力を 必要 とし た の で あ る 。 叡 山 の 山 俗
日の武力は恐るべき ものであった。

十手、資手、 鈴割り
目だは嘗節のチ ャンバラ欧設で 、皆 様

知られたものは、短刀と十 手であらう。 十手の密類は無数に多い 、縫っ た b のでは荒木流の十

強打するのである。上方と下方に太刀モ ギ が 附 い て 居 る な ど . 用 意 同 到 で あ る

bL

J

受け る、

乎といふのがある。之は中途迄空洞にして、蛇顕に仕込み、 打 ち 込 む 時 、此蛇興が背を出レて

打つ、共に完備した道 具である。

本来、卜乎は、十指を合さた程、捕 hy
方に取って威カ があるといふ意で之を名格としたと品

一円

普通ノ

Q

2
0
3

はれる 。普通知物川の十手は一口八ご寸とし てある。 之は逆手に握っ て、自 分の腕に、 チ首 か ら

肘迄添へ、 敵の白現を受け切め て、主ハのかぎの手で 白 刃 を 引 き 落 すとしたものである

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廿
!モ


J


T


委 種

の 手

の手首か ら肘巡の寸法を一尺二寸としたものでるる。

別 名 、 質 手 、 叉 鉢 割 、 釆 な ど い ふ の も あ る 。 片 か ぎ のも のも、 同か ぎ の鍔止なっ ℃居るのも

費支


3

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尺ーは法寸、でのもつ持く 如の図 は方ち持の手十
、でのも 1
:'t!はあ l

さ 長 の肘(:tれそ。寸定がす三こ
れくに元手、し外てげ受で身鍛 I
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れくてつ車r
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で刀

の敵 、りじねを先~でんさ(えを身刀でギモ刀 太 11."
L、おてげらか i
二手

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こ塗身

、しにう予ぬれ隊ちか鍾身もで合場のどな打組、 て
敵、しわまり振ら手十てつ持 i
こ手を紐(:t際の 合立
こ用 つ打 を等腕部面部頚の
。るすも l

204


bL

ある。本来は、逆手に握って敵の忍をもぎ取るといふ建て前たがら、 時 に は 、 際 を 見 て 烈 し く

打ち込んで、敵の手を萎えしめる場合もある。捕方用として 最も 多 く 使 用 さ れ た武 器 で 、 敵
生捕る矯め泣のである。

西洋体策の ものが先祖であるとも言はれる、 南 轡舶 来 の十手といふのは 、十字架形で、損り

。 それ丈け掻りが太く、 具合ず よい 。 町奉 行な ど、上
は鞘の様に凶い柄を 手 の内に付けてあ る

役の持った十手は、又一工夫を加へた納身の長いもので、逆手用よりは打込みを主とした務へ

である。鍔かぎを付けた上に 、西洋式の節 手鍔怒りに手の 甲 を 防 ぐ 作 り にたったものさへある。

上闘の形で ある。 朱房 の威力といふのは、 徳 川時代には大したも ので 、鼠小備の 自 には猫の尾

に見えた事で あらう。長 い紐 の一端を我手に還 って、 捕物の 場合 、
十 手を賊の足へ打付けたり 、

拷問の場合に使用したり、十手捕織を預る身 分といふ事は 、町 内の覇権を援る事であったらし
ぃ。帯刀を許されたい町人枇舎に在つては、十手は最上 の武器であった 。

20~

鉢割といふのは 、精鋭で作 り、刀形に扇 平に したもので、反りが ある し、その一撃 で以 て鉢

金を割ると いふ建て前である。小道具と しては、カの 箔り 、打 込みに遺した作り作で あ る。そ

~


絞初のものがそれであ る

一春な手軽た十手である。

1 ば ね で あ る から 航仰を付けたい。滅多に 脳山

立 し い と い ふ の で あ る ο 直 ぐ 墨 むと 五寸 の丸旅とた って、邪魔に もなら たい。仕込もの闘中の

も 起 さ た い 。 主 と し て 敵 の 手 を 打 っ て 萎 え さ せ る の で あ る 。 遠慮合総なしに 、全力で打込んで

行くと、繰出しのばねが二重に出て、敵を打つ

込み 、北ハ中に更らに丘寸の 一段 絢 い 螺 旋 僚 を 仕 込 み 、之 を懐中から出すと同時にばつと打つ ℃

せば北ハの三併の一日八五寸 にたる o 長 さ五寸に 直径七八刀牧の銭力の凶筒の中に五寸の螺旋僚を仕

近年 後 明 さ れ た 十 手 に は 面 白 い も の が あ る o主として紘一山祭 川としてゐる 、昼めば五寸、繰肘

いふほで、んゅの矯 に持っ て行かうといふ位の慮、

冗に紐を附けてある 。 之は 、無 手 よりは よか らうと
次に獲しといふのは、鍛の短い棒で、手 一

てあ 、見 劣りがしない。

れ に 鍔 迄 附 いたのがある 。 腰 に叫品川せる。 十手の 形が卑俗 に見え るが 、鉢劉は武士の披都 品とし

仕込みも

~06


11
:
.



"
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が致命傷にならな い
MU

一千阪の敵へたら、努の仕込で も 十分 だらう

J

μ

通しなどいふ短刀でたくては役に立 つまいが、

らう。戦場 の甲山同試合たら、 幅腐の肉 の厚い 鐙

迄も、兎に角念所の痛手に一度は倒れる一帯で あ

も 、不意を討たれた大の

の場合ぐさり とやられ たら 、たとへ 婦人の力で

ら倒れるだらう 。況 んや 三寸位の小刀で、必死

の身憾は弱いも の、顔 へ裁 縫 針 が一本・刺さ った

何んの役にも立つまいと忠 Aは勘遼ひで、人間

仕込みものは婦人も のが多い 、斧 が仕込み にな って応たり、ー!とんな小さい仕込み では 、


それ から、婦人持の扇子の 仕込みが ある
ほんも @

って繊細な、由民物の扇子と見た虎は遼はない様

に作って 、殺の問 へ差して熔て 阪はしいものが

il'
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.I

n円円

6
mチ形の 短刀

4

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A7

1 1土井久 吉など い ふのがある 。之 は前科三

の上ははハな ら ぬ 光 景 。 殺気 立って、疋 版 の巡査が右往左往、群衆の問を掻き魁はして、何か探

期 山 獄 と な り 、 改 心 し て 王業 に就いて居先が、或る晩の事、微酔機嫌で心部川橋にか‘ふると、橋

約慨が胴管筒の仕込みを抜いた訴は斯うだ。今か ら 二十年も前 の事 、終 身 刑が大赦や減刑で満

川 紙 し 、 今 で は 大 阪 で 免 囚 保 総 事 業 をやってゐる。

十六犯、人殺し十 徐 人 と い ふ 近 来の大賊で、今 も八十一設で頑 強に生きて 居り、刑期を卒へて

人迄 して、十年間 の鹿刑を食 った 大阪の土佐奴、

。 徐 り 便 利 過ぎ ℃抜 く然 もたく、手が先きに行って、却って忠はぬ巡持殺しを二
平沼間に合 ふ

-ddF

懐剣と縫って、何時はに差して居ても、他からそれ と気付かれぬ 蕗 が妙である。

る・
男物には、畑鈎円筒 の仕込みがある。腰に差して柄を抜くと、仕込みにたって居るのだから、

る。芝居で 附扇子一本で、 暴 漢 を抑 へる手も能くあるので 、
況んやそれの仕込みが有効であり、

世の別れと怒る。何れは身分ある人の委 女 の差料として、相嘗小細工を利かしたものを見かけ

、、、た主伊
ある。長さ五寸の細い引か でも、ぐっと 突 いて一挟りしたら、六尺男も、 あっ と魂W る一獲で此

ねて照る様子。士井久吉、 ふと気が付くと、 一人の若遁が今 網 にか Lらうとして、絶鐙約命の

~08

1
7
1


場リモれが日頃見知りの小併で、掬挨を働らく相賞名を知られた腕利き

u そとへ来掛った久士同

を見詰めて、憐みを乞ひ救ひを求むる目附きに鏡えて居る。久士口も可愛 惣にた って 見 殺 し も 出

hと進むや 、今 、 共 の 若 迭 を 姉 へ ゃ う と す る 疋 搬
来、チ、健よ と小刻みの 速歩に橋の上へ よる/¥
巡査の腕へ、危たかしく﹁御免よ!﹂ともたれ掛った 。

どうにか此 場を逃げやうと一歩返ると、巡査は一斉に追っとり込めて司 気の速いのが、 ﹁捕 つ

の巡版や和服越が、久中山内を呉犯人と見て一一冊に走り寄る。久士ロは 事大袈裟になって些か 問った 。

吉、多年活功の早業で、燕の如く換はす 。橋の上 で、巡 夜と組打ちにたった。それと見るや他

P
-

ったのであるが、捕へかけた烏 を逃が した巡査は 怒集滅菌、久士口を鍛山
部で撲ぐらうとする 。 久

く人混みの中へ 逃げ入った。﹁之 はとんだ粗相で消みません !﹂ と久吉は目をとろ んとし て謝非

a
v
p
a

﹁とらつ、何を:::貴様!﹂と、部 有が、問山はぬ邪魔をされて大喝する般に、若迭は飛鳥の 如

た!﹂と叫んで突っか Lって来る。久士口は、 ﹁遠ふ/¥!﹂と絶叫L て共手を逃れたが.﹁逃が

2
Q
9

す怒!﹂と 前後左右 一時に製ふて来る。

捉まっては面 倒と、久吉は焦せる。巡査は凶方から泊る、共制利那﹁何をする!﹂と大喝した久

:



T 円守山、の二

Lって、抜 くと もた し白匁

一閃、滑 って

と必明してある。之は仰附加しを投げつけるのである。北ハ製法は、石次のあく水の中 に饗辛制、

とほがらLの ζ

﹁戸田流述内品ての法﹂といふのが あ る c ﹁遠営て は
、 所謂限潰しなり、水捕りの具ともいふ﹂

投げ物と銭一筋

便利な武器である事は確かだ。

っ た り 、 仕 込 み を 有 っ て 居 る 者 は 、 抜 く と も た く 抜 い て 了 ふ 。 但し畑管筒 の仕込みは、山側めて

止 換 に 就 い て 居 だ の が 、 叉十年喰 ったとい ふ。 ピ ストルを有って居る者が自殺した くな
で折角 一

出合頭の一 瞬 の向来 事 で、久士ロは夢中で あ ったといふ。 一時間経って耐巡奈は死亡した。それ

あっとばかりM 巡査は 蹴昼をつかんで、 よろ ノklと嫌倒しにたる。鮮血が走って問溢が市川紅。


7
一 人 の 巡 査 の 隣 腹 を 貫き 、返す 双 に後から来、た巡奈の脈問 の畿を深く保っ
筏ざまに刺したが 、
た。

士口の乎が‘我知らや 、
J 左 の 腰 に 差 し た 煩 管 筒 の柄へか

!
T
1


同市丸没) し に 入 れ 、之 を 扶 に 入 れ置き 、捕 抑 へ の 時 、相手の商部に投げ注げば、 忽ち快

松防綱 、山川猟注 入れ、 瓶など に貯へ 泣き 、河 肢の皮に て浩れる水胞 (夏季小 児 の弄ぶ河豚袋、


!
H
O

を閉ぢて閃く能は‘?としてあ る υ常 節 夜 応 で ゴ ム 水 胞 を 紙 で 釣 る 、あの点おもちゃと見れば 刷 建

ひたい 。但し之は水を用ゐ るの亡 、毒 瓦 斯 とか 粉未の 方が一 府便利であらう。例の催涙ピス ト

ルた ども、水液 を 射 注 す る も の で あ る 。 紙 包 み の 次 を 投 げ るなど 、 或 る距離を隔て L限つぶし

を央れる法は、 脅 か ら い ろ / ¥ と 考 案 さ れ た 。 卵 の 殻 に 次 を 詰 め て 限 渋 し に し た 話 も あ る。

もっと工夫 を擬し た方法には、国周の中に限潰しゃ毒物を包んで.之を政ω顔 へ 投 げ 付 け る と

い ふのがある。叉は絢末にした毒物を 、
擦 れ 遥 ひ ざ ま 、風上 から紋に向っ てぱ っと投げ、それ

を慣例 で煽いでや るといふ方法もあった。之を霞扇と 同った 。 田
AV節
憲 一九斯を使ふと同 じ工夫であ



僚の橋で、大の 到の緋監が、被衣を引っかけた米衆姿の牛米を認めて 、


﹁着け いの、待ちねい﹂
と来る。
﹁何か用か ﹂



2

と、人を喰 った大風な物一 ひ


2
1
1

2

来るのを、牛若は手にした扇を。 ノツ と投げ付ける、 それが 関
hA

で給総するは比一一と勿鱒たいぞ、去れ!﹂

﹁木偶の坊 、 顔 を 洗 っ て 出産 す が よ か ら う 、午努の 終 の様 に手前の首危どは、麿が黄金の太刀

ご 皮 ・2

薙 刀 を 無 茶 脊 茶 に 振 り 廻 はし たが 、芳 治 の 姿 は見 えや、様の欄粁の上から朗かな撃がして、

いて白い粉 が霞 と 散 って緋慶の顔に中ると、 ハクシヨン 、限 が ピ リ / ¥して向 ふが見えたい。

大難刃を滞の様に拷︿し立て

bしろ主

﹁ほざいたり な小伴奴、貴様の首を修繕して遣はず﹂

つもりか﹂

﹁手前の共 の背負って居るのは何んだ、大きた大工道具のやうだが、夜業に橋の修繕でもする

﹁ホウ 欲 しくば取つで 見 ょ。﹂

1
- 小倫、共刀を置い て行 け﹂

何 にV-

﹁一言ったがどうした﹂

円ふた ﹂
山一
﹁小件、生 意気

﹁何を此の俺れに毒つぶてを 央れたた 、:;:ぁ 、限が開かれぬ、 息が 詰まる 。﹂

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認、

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犬、たわけ。七つ道具を背負って載が出来るか、 我を諮れと凶ωム 。 隠 る 千 家 を 西 海 の 藻 屑

りで
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大若
事い
のぞ

透 か に 海 中 の 敦 伎 を 呼 び 戻 す 。 大将は戦陣に、床んに腰かけて銭扇を 振 る 。 謙 信 の 泌 下 の 謀 将 、

同腕といふのは、さまん¥に利則され たもので 、那須興市の扇の的、熊谷直貨は国慨を穆げて、

慶戦闘力を失って、あやまるとい ふ寸法。

と. 紳 箆 七 つ 道 具 を か な ぐ り 楽 ℃ 大 薙 万 を 後 へ 投 げ て 平 伏 す る と い ふ 。 牛 若 の 、 逮 常 てに 緋

﹁ハ ¥ 扱 て は寧公には源氏の沿曹子よな、:;:﹂

参せ!﹂

tを 解 い て 降
とたさんた め、近頃、鞍馬山 を降った源氏の御曹子、 牛 来 た る ぞ 。 下 郎 、 疾 く 鉱a


﹁何を小癒 た、己れやれ、人を盲目にして息を塞げるとは、:::﹂

ゃうぞ c﹂

そた
つ奴

~Iff

直江山城 守が 、語大名列座の・席で珍 しい 銭を廻して見せたのを扇子で受けた。

213

方「
だ不
、 4



で仰ぎ る


とやった見識 に

事は妓 び

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討取ったとあるが、我闘にも瓢石といふものを使用した例がある。賃金問たどに闘が見えるが、

ふ'つ んばい

立 っ た も の で あ ら う 。 倫 低 投 げ 物 に は 石 投 務 があ る。かの、ダピデが、ゴリアテを石投げ器で

して上品作り の鍛局私仏どには 、普 通 の扇 としか見えないのがある。 一寸肢に差して、相蛍に役

一木あったら、榊原は、二十人や三十人は叩き伏せる腕を有って居たらう。貌骨丈けを精織に

斬ったと読んで居ゐが、共賢一人も斬って居ないといふのが本堂らしい。但し創意の頑間扇が

他吉の作ったものと言はれた。議穫の方では、榊原健士口、か・彰義段の戦争で、勤王方を八十何人

三十年 頃 迄 は、浅草溢で 頑 問 扇 と名けた木扇 を 交 っ て 居 た ο之は 上野 彰義除 で名を取った柳原

物 で あ っ た 。 銭 扇 で白 匁 を 叩 き 務す 位の業がなくては、 一人前でないとしたもので bる。明治

ι
ロはせたと やらゆ普から、武嬰者 、武者 修業者に銭扇は附き
一座をあっと一

﹁いや、銭といふ物は、 乞食の手にも波る、きたな いも ので御ざる。拙者手を鯛る

と、隣席の挨拶におし℃、

﹁貴公 之は御丁寧た事で﹂


"

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使用された質例の記録は徐り見営らない。

鼻捻り、 ひしぎ 、穴寸、手の内)
短棒、 (

、 ﹁鼻捻り﹂ ﹁
六 寸﹂
は菅沼 、大 道具と見 られ、直ぐ 六 尺 棒 と い ふ の が 持 ち 出 さ れ る 。 併し


、 有 合 せ 物 を 利 用 す る 貼 か ら い ふ と 、手取早 く使利でb

短 いもの もb って
﹁手の内﹂たどい ふ


、 敵を傷け守して喉を絞めたり安めたりするに好遡である 。今 日 の 様 に 血 が 一 滴 出 た ら 大騒
ぎに怒 る時勢 には、 短棒を 心得てゐて 霊祭であらう c

一鴨棒は長 いの が普泡で 、山 本勘助の兵法的穴義母右たどには、長さ八パとしてあるが .普通は

六尺を用ゐたもので ある。身長叉は目 より下の寸法を 各自の健格に合せた俸が宜しいとした流

義もある。紳道無念沈たどでは 、杖と って、間尺二寸が定用として ある。雨乎 を鎖げて手の


内に納むるを定寸としたのも ある。 モとで長俸は六尺、牟棒 は三尺といふ定寸 もある。 ス テ ツ

215

キは、杖と・年様の中間物といふ 践であらう。


3

近頃は老人法の間に、 ステッキ術といふ のが練習され て居 る。此
日の都万は今のステッ キであ
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長 大守

尺一

7
長 -

恩義

都合地では成る丈け短い方が宜 しい 。小 武器と

してのステッキは、有功訟もので ある。 嘗って

,の暴行者を
ステッキ一本で、土地の憎まれ 者

四十回も撲って殺した例がある。普通常用の ス

一アツキであったといふのが有利保件で、=一年間

の執行猶繋になったといふ。止日‘ならば、悪漢を

内持捻りは、大抵木製で、長さ一尺四五寸 、径一寸位の大さである 。製園用の丸守木といふ庭で

手 頃 の 小 武具、と しては、﹁ 捻品り﹂、 ﹁ひしぎ﹂、﹁六寸﹂、﹁手の内﹂と段々短かいものにたる。

斬 っ た の で 、 斬 り 得 と い ふ 庭 だ 。 ステッキも武術家の白から見 ると大したものだ 。


鋭 心 者 や 人 建 ひ の 不 意 討 を 防 げ る 事 忽 どに 属する。細くて軽くて折れたい物が宣しい。である。

、 犬 殺し式 の 太 物 も 殺 風 景 た が ら、要件は鰻裁のよい事、折れぬ 一
い人のステッキ は
事、狂犬ゃ、

るから、天下 太平 の時代、紳士に諮物は無用 と 回っても‘どうせステッキを持つ位なら、ステ


いもがら
ツキ術 も 考 築 さ れ て 然 る べ く 、 何 よ り も、苧殻の様な飾物 では 議身 の用にはたらない。用心深


£'mw附け

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、 察
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あらう。之は坐布に資き、叉窓の下、 襖 の 麗 たど、目立たぬ鼠に 備 へると、 何か火念の場合 、

。 人に 見 付けられ でも木の丸棒で短
主入丈けに在雌が解 って 居 るから、 直ぐ役に立 つのであ る

いから、別 段悩 りが 惑 いやうな 事もた い。謎 身 の意味 で結 構 であ る。鼠が山川た仰が入ったと言

つては、能く 物尺で叩いて、それ を割るのであるが 、そんた場合にも此の必捻りは能く間に合

ム。中には‘ 青貝散 し の漆 塗 りにした上等 たものも あ って 、大鎚 沿となしい泡具に見 える。


興物の方では 、鈴 製 で長さ二尺 佼 のものもあっ た校だ。

﹁ひし ぎ﹂は、 一尺二三寸の丸棒で、 之 は、鈴扇 と 十手の合の子の様た使ひ方を した υ六寸は 、

長 さ六寸が定法 、手 の内は乎凶暴中に 入 る位の銭製の棒で、国又は 角 の作 り がある。何れも握タ

持って、 念所 を打つ 突く。六寸の方は 、
逆に持っ て喉を締めたり、手や腕の山仰を締 めつ けたり、

叉は 指の 問に 送し入 れ て掻り、資めつけて敵を 多 らす 事 に用ゐる。此の術は、 都 でも、 鉛鎌・で

2
1
7

小物があれば利用出来る ので、 道場の溜剣柔道練習ばかり でたく、
成ねて、

目 の人は大勝小心 結

も、.ヘ ン軸でも、文銀でも 、周氏 寸 のとんた納かい廃起集が付 いて、 自身猟りで練習し て居た

のであ る。

2

.
i
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1
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7
:

1

短刀の使用法

いふは、迫も勝手が必いとして ある。一北商の敵 へな ら、逆手よりは下から刺し突くの 様 へ業が

営 然 逆 手 に 揮 っ て 敵 の 下 腹 部 を 刺 す と い ふ 事 に な ら う 。逆手で正問から、敵の上半身を犯ふ と

る事も出来 た い 。 但し抜き打ちに憶を潜ませ て、大勢の間 宮くむ り抜けゃうといふ場合には、

の喉を突いて行っても、 反りが下 へ向いて居るから、上へ外れる事はない 。 そしτ、敵が押へ

伝い一都にたる。それで mAはとに向けて、尖先を少し明治して檎へるのが 一番有利で②る。其儀敵

のだといふ。上から叩き ⋮治される隠れがあ るし、叉主ハ 倭上か らおとと抑へられては、用を銭さ

た場合には 、誰 しも 尖 先 き を 突 き 付 け る 。 営 時 、 mAを下に するのが普泊 であるが、走は 考へも

映らたい 。 併し時と場令で、必やしも逆手と限ったものでたい 。 一人々々で、敵を正面に取っ

を逆手 に撮 って、白 引かの問を切り抜ける が、見えを切るには、 どうしても滋 乎でないと凄味が

丈夫に出来て 居るし、平時 の用心もの は、納く軽 いのは自然であらう。飽く芝居で懐剣や短刀

小武器 の玉は嘗然短刀なのであ るが、短 刀の型は無数で、甲的問に属 して使用す るものは一尽 く

2
13

早︿怒る。
やす甲がた

商洋の短剣ハダツガ l﹀ と い ふ の は 、 納 長 ︿ 先 が 尖 っ て 、 銭 形 に出来、十字形の鍔が附いて

居る。懐中用には鍔が邪胞だらうが、腰に手挟むか革で釣るに は便利だ らう ο 素 人 には佼ひょ

いやうに向来て居る。悪漢の出刃を逆手に構へる訟どは、芝居 形 で は 絶 好 で あ る が 、 ど う せ 家

人同志の喧嘩で、相手は 素 手 と来たら、逆手で も 何 ん で も 勝 利 は 出 刃 に あ る 。 海 軍 将 校 の 短 剣 、

交通巡芥の短剣は、西洋ダツガ 1形 で 、 あ れ は 、 素 人 に も 使 ひ よ か ら う ο叉地円通警官用の侃剣

は、細身で軽くて、 昔 で言 っ た ら 女 持 ち 、 片 手 用 と し て 、 絡 手 鍔 も あ り 、 飢 闘 の際には、打つ
てつけのものである、燕返しの早業位には行き さうだ。

小武器小武具として数へ立てらるぺきものは、ま だ/¥l滞 山 に あ ら う 。 含 み 針 、 鉢 会、懐中

d

唯だ以上の記池から見て、更に工 夫 をしたら、日常有り合せの 小道具 で
、 謎

鏡を手拭で包んでの鉢金代用たど、護身用として考笑さ れ た も の が 幾らも あり さうだから、他
日補ふ 事 とする

21~

身の山伐に玄つ物が津山に褒見利用される事と忠ふ 。大 工道具で も 、裁縫用のコテでも、彫刻刀

会長

でも.文銀殺用の絞切りでも利用すべきものは無数にある。石を投げ付 けるといふのが、 子供


っ て 居 て も 、 づ ぷ の 素 人 に の さ れ る といふのは、どうしたものか 。 日本精神だの術武闘だの、

ν コードホルダーも、地 H遇の川師や漁夫の足下へも迫付かたからう 。武徳合の立波た免欣を有

ーツ化されて居るので、 ﹁プ 1 ルの水泳﹂と似たものである 。 激流や怒議に出合ったら、今の

今 日 現 在 、 有 り の 健 の 撃 剣 柔 道 を 完 全 ゑ 武 術 で あ る と 思 つ て は いけたい 。今日は武術がスボ

のを握って、大勢鋭闘の間を押分けたといふ 。

噴 嘩 の 仲 裁 に 入 る に 、素手で飛び込む緩往事はたい 。或時は、鐙繰用の木製唖鈴が有り合せた

議選館の鬼と一言は れた 横 山 作 二郎 氏 、喧路上手で知られた男で、つまりは用意周到でも あっ た

都民百中と来た ら大 し た も の で 、 果 費 や 、鶏卵な ども、頗る商 白 い役目 をす る事 であ らう。往年

の時代 か ら の飛道 具 第 一位 の利採 であ る。山田問 節の 野球狂連中が、手 頃の 石を三四聞の距離で百

紳州男子だの、と言ひたい人間は、根本からの立て直しが必要である事を考へたくてはなるま

察 手 術 が 工 夫 さ れ た 。柔術も徒手{会参で、白刀を携へた敵に嘗る工夫迄したのである。又武技

人間は、武絡を凡て取上げられると、肉弾斡を考へる。手と足で働く。さうして琉球の穏に

ν、

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夕、、、、

を接ぴ得ない婦人には、自と奔やかんざしの類を以て身

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獲る工夫もあった。又殿中とか人中

では大武器をもてないから、自然小武器を懐に忍ばせる事になった。従って小武器は大きい武

務以上に賞用された場合がある 。 支那朝鮮の背龍万などいふ大武器は、とけ公としで、賞用武

器は小さいものが多い 。大小 二本 差した徳 川時代 の侍も、 一生に一度真剣 で祈り合びをした人

問は.幾人もたからうが、小武器 で手柄をしたり 、難を免れたり し た例は無数でbらう。

最後に 一言したいのは、今日一番優良ゑ小武器は、 一握りのピストルでb る。併し、ピスト

ルは普通人の手応迫も入らたい 。関家が之を禁止して居るのである。 一般人の武器として推奨

2
2
1

ずる一事が出来たいっ唯だ敵のピスト ルに謝して、此方はどうしたらよいかといふ需品大研究が磁

る。英は喧嘩指南 C 一つとして次項に詳細 越べる事とする。


余'


.

生兵法は大療の装一

現代喧嘩法指南

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H・

、 ピクともす るもので はたい 。 とちらがよく見た所、如何に弱々しく貧弱であらう
の達人で も

に本気になって之を活用すれば、相手 がたと へ柔道何段、剣道幾段、梯子段何段闘と名乗る穏

さ て以上の前九布きに依つでも 川僚た通り、本篇 は弱者が強 者 に釣す る場合の秘術である。故

け て悩 む必要はない。

は毛頭たい。放に我と忠はん腕 に完えの猛者たちは 、 との一 篇 を 設 まで 緩 んだら、もう後を絞

一:勺に営って、間以い者同志、叉は強弱杓謝する唱嘩の場に、強者の参考にたるべき話で
を利用 、

、 高 止むを 得 守之に路じて取挫ぐの術を 訟 かうと忠ふ c 絞って之
で、以下資られた喧嘩に 釘 し

びし

喧時指宵といふと祢穏な項円で ある が、之は飢弘常者 に出合した時 の心得といふ意味で ある

、.

事す


のりの

..~J

とも、やせ ても枯れ ても生き て動 ︿人間一匹、 決して底抜けに弱かるペき筈はたい。弱いおは

弱いたりに叉特殊の武務を奥へられてゐる。叉貧に との 事授 とそは一 切の武術の生れる原則で
あって、武術の必要と 効果は設 に夜る。

た宮古来、生兵法は大波 のも とである事だけは常に愛らぬ良理 であ って、資地に常り、 あら

ゆる場合の知識と心得と を充分に頭に入れた上で事を行はない限り 、とかくに問 迷ひのもと ふ

たり易・
い。なほ 飴談たがら、由来、武はえを止めるの意で 、受 け手であり 、防禦をキ一とするを
以て本m
mとする。

先づ気を落付ける

ととろで之が一朝喧嘩とたると、受け手で あ るからには勿論吹きかけ られた側 になる。従つ

2
2
3

て身に降りか Lる火の子 は梯は ・?には居られないが、しかも川来れば火の子のか Lらぬ所 に泣




.",晶

けるを以て上乗の策、とする 。即ち三十六計にぐるに如か 十 といふのは、決して戯 談 でたしに戦

n

術 の紙意である 。
d

り機を見て逃 げるに越した術はたい 。雨が降り さう だと見たら、 降らね先に雨具の別意を忘れ

たいのが策の得 た るもの であら う。 喧嘩・も亦之 と等しく、最初に身をかはして、吹きかけられ

ても相手に たら ぬのが第 一で あ る。そのためには、たとへ 事が突盛の問に起っても、先づ逃げ

AN

が、皐身時夜 の裏 道 などで暴 漢 に漣過した場合には、よしゃ前後に人ツ子一

られるだけは最初 に︾逃げ たさいと沿勧めする 。
例へ ば女の方

人見えたくても、相手を恐れる心持ちだけは決して外形に現さ学、平然として之に際援すペき
である。

蛍然たそれる筈の女が、築に相遣して落ちつき掛ってゐるのを見れば、相営飢恭ゑ男でさへ、
却って底知れぬ薄気味.惑さに 裂 はれて、公ぢけづくのが常である。

先づ 溶 ちつくと言ふとの一宇都は、あらゆる武道に共泊した第一の秘訣であり、設から一切の

機に際じ 綿況に臨んでの愛化、所手段が生れて来る。故にとの際にも先づ落ちついτ、環境と相
手とを観祭し、出来れば他の人の居る遜まで相手を誘羽υJuw明

224

従って 伐 にmAを合せるのは、 殿 ひの 最 上のもので は ない 。喧嘩の最初 に営 つては、出来る限

沼、

が最上。策である。

不意の

噛み合せる気持で満身のカを込め、後頭部を以て相手の顔に総烈た一般を
/¥h

様に突き出して見る。つまり俗にいふ肘銭砲一後! 関術の方 で一一=ロへば之

ωち﹁篭光の営身﹂

Eに乎をかけた時は、かけら れた側の肘を、それ とたく充分に引いてたいて 念 に之を力任せに

蒸し叉、相手が不意に片手をかけて来た 場合 、即ちしただれか Lるたり、女と油断して局た

つい℃ゐた乎を絞めるに相違たい。

喰はせるが良い。敵は必・予鼻血を出すか磁を折るか、いづれにせよ相蛍の痛手をうけて、抱き

いて臭ぬ闘をギリ

m
m
mひ締めに抱きすくめられた場合には、落ちつ
然し、さうする徐裕もたい程、突如後から m

-

の一乎、痛烈 に敵の協腹 をつくととになる 。大がいの相手怒ら 、先づ此の一撃で 完全にグア :::

2
2
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となる 。

不幸、現れ出でた恭漢が大兵肥満、たとへば祭間選手に類する怪物で、容易にのがれられた

2

3

づと

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に任せたらしく取りつくろひたがら、突如暴漢の舌の先を噛み切っ℃
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らが、叉忠ふに最後の手段でもあらう。

ゃるのも 而白い。非常の場合、 とれしもなほ汚し犯されるよりは良からうではゑいか。然しま

んで、相手の望むがま

等の妙手を施すに暇なく、接吻を強要せられたり したら、遺憾 ・ながら汚ゑ さ口惜しきを留く忍


A 山所を蹴上げる捻り、 統 然 として之を援り泣すといふ手もある。悲し叉事は腕問に起って、之

或は 不幸、 一変に監 禁せられ 、絶封絶命の危機 に際 舎した 場合ゑど には、相手の男の肝心た

ぢかと顔をすり寄せて来るものであ る。途端 にとちらは減身のカを込めて、頭注り額怒りで


相手のツラに猛烈紘一一療を喰はせたがら、忽ち飛び立ってのがれ去るがい L。

念に猫撫で聾に怠ったりして、ともかく油断 し切って寄り添ふと共に、 一しょにと立み込んで

かうすれば、 いかに怪物でも、さすがに面喰って、或は叉多少鈍いのに怠る ととれ幸ひと、

捻り撃た ど立 てて 見るのも面白 い。

怖から持病のサシコミでも起ったといふ恰好で、場合に依つては簡をかみ鳴 らし、ひく

いと見てとったら、 いき怒り地面に と ピみ込 んで 、うづくまってしま ふ
。 そしてきも突然の恐


226

死地に腐って生きる

と とるで 今ま では 見釣女の 場合、次は男 同志一人と 一人 の暁噂に移る事 とする。とちらも一
J


人相手も一人たら、たとへ 共 の相手が ア ン プ シ lのやうた乃至はパンクロ型の、叉は太刀 山

尚m
mケ綴そっ︿りの 力 士で あらうとも、先づ最初に落ちついて相手の隙を銭ひ、カとカのお抗

では所訟隣算 はたい 相手にせよ、イキナリ敵の自の中に指を突き込むか 、乃至は目玉を突きつ

yす か、島ツ 柱 を打 ち折 ってやる党悟 で、電光石 火 の 捨 て 身 の 一 撃 を 見 舞 ひ さ へ す れ ば 、 大 関

に於いて 先づ勝を得るもの と断言 でき る。

する に此の 場合も先づ 、最初に落ち つき錦っ て、敵の念所につけ 入る のが最上の 策である。


もし相手 がと ちら を甘く見て、 不用意にも眼鏡をかけた健で迫って来たりすれば、傷つけ てや

るま でも たく、 先 づその眼鏡を挑ひ十浴した Yけでもう充分に、逃走の際を得るい誌が・尚来るもの

であ る。また非力のも のが 抑制力恋敵に向った時 、たとへ 一旦'無念にも 脈 し伏せられたとしても 、



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晶、
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S

なほ且 つ相手 の肉を喰ひ、千切る位の 意気 込みで狂犬のやうに潟身の力を込めて佼みつけば、

~27

A


ある。

L暴行を加へ得るものではない。之を賓演する自信がたい人々

吻も畳一同は守に背闘して見せ、何
th

見事に相手をなぎ倒すも妙であらう。とにもかくにも彼が気を抜いた共の肢に一栄ヒ.突如敵除

らうと立ちか Lる其 の瞬間を狙 って、俄然大喝一撃す るもよし、叉獲物をとって足梯ひの一手

無銭抗に相手が繋むま L の金銭を奪ふに任 せ、愈々彼の夜盗氏が事終って心をゆるめ、いざ飾

強盗その他に押し入られた際には、之にも先 づ第 一に心を静めて驚かキ恐れ守、平然とし℃

事をも知らぬ顔にすごすのも亦一法である。

は、心婦の極、念に病を渡した形をよそほぴ、打ち臥したま

れば、多くはさすがに呆れ果℃

ら着衣を引ぎ裂 き、手に 営る総物を破壊し、唄び叫ぴ泣き笑っ て、充分に狂態を演出しさへす

多勢の暴漢紅 土等に仰艇はれ栓禁せられた場合には 、逆上の徐り渡狂 した如くよそほって、自

多数の暴漢に襲はれた場合

十中八九敵は悲鳴を上げて手を弛め、充分に虎口を院して逃げ去る伎の徐紛は得られる もので

228

を寒からしめるのを第一の脇訣と す る。

相手が兇器を有する場合

A物を以 って迫っ て来たと仮定しょ
相手に依つては兇務を有する場合も ある。た とへば先づ m

とれにも第一に 落ちつい ℃驚かぬ 事を絶釣必要とする。そ して身 を退 いて との敵から逃れ

去らうとは 企て ・
?に、相手に川試して人を切らうとする意志があるか、乃奈は半稔る怖γらせの

d

、 先づ以っ て見 極める必要がある。そして相手に斬る気のたい場合には、
道具 にすぎ たいか を
刃物の如何にはか与はら や 、すべて前段、兇絡のない時の訟を利用す る

もし刀︿、良に相手が殺気を有すると見℃とったら、彼が斬りか Lら うとする隙を貌って瞬間

にその手許にとび込み、忽ち間近に迫って 兇器を叩き落し、念所に 一撃を加へ得れぽ申分た い

いづれにしても之等の双を持つ敵に向った場合、 とれから逃 れゃうと企てる事は最も拙劣た


爪 である 。一柳影械の 歌 にも、


﹁打ち治ろす大刀 の下 ζモ地獄放れ 、踏み 込みてとそ浮ぶ溺もあれ﹂

2
2
9

て先方のぬんもとを製ひ 、之を 制すと北ハに念所に 懲を吹はせるも良い。

の距燥をおいて腕み合ってゐるうちに、敵が曳金を引かうする瞬間、突如デングリ一巡しを打。

して、ピストルの的を常に動指させ友がら近づき、 一路モ の手もとに飛 び込むか、乃至は数歩

所 で 相 蛍 の 距 離 さ へ あ れ ば 、 足 を 殊更に千鳥に運び、からだを前後左布 に不規則に犠り動か

位のものである。だが然し弾丸たどには蛍ら泣い方が、確かに有難いには蓬ひたい。

る縫の心配はたい。むしろ意気地の友い入聞が、 ヤラレタ!といふ自己暗示に依つ℃絶命する

にそれが飛び込んだ所で、よく / ¥l蓮が惑く嘗り所の面倒の時のほか、メツグ伝一命にか与は

-行は殻近のピストルのやうに碍丸の型の小さい場合には、たとへば一後や二登、からだの中

定 め て 火 策 を切らうと付け狙はれてゐたとする。

、 とれを 二 つに考へょう。その一つは聞 に相営の距離がるり、ねらび
敵手が務銃を 持 つ場 合

敵手が傘銃を持つ場合

と菅口び体へられてゐる。

230

第二は冷たいピストルの銃口が間 近に突き つけられ、差しきに至つτはそれがから だの一部

に接して 差しつけられてゐる時、 敵は必十我が目に注意を集中し てゐるもので ある。かういふ

欣態に泣かれると、素人は兎角銃口や 曳金の部分、或は敵の目付きに注意を怒はれ易いけれど 、

之等には断じて気をとられては たらたい。勿論 との時も亦.や然として、敵の背後に我が税仙献を

A る が 如 き 気 配 を よ そ ふ 必妥が
置き、さたがら尚脅の後方より、 我が附援者の近づ き治り つ tあ

ある。その上たほ出来得るたらば、 との仮 想の味方に微笑を怠り 、目くばせを交して、敵を挟
恕する勢ひを一示すが良い。

との場合、尚者 は必や之に注意を 奪はれ、その背後 に不 安 を感 じて、思はや'ふりかへって後

ろに目をやるか、乃至はチラと傍見をする筈のものである 。との相手の悶線の務 った隙に乗じ、

ピシリ相手のピストルを 績に叩き落ずか、乃奈は片手をもってピストルを械に押し外づすと共

一方の手を伸して組みつく か、目叉は '
M
併に猛烈た突きの一手を加へるが良い。

εも、

一と先づ 訟に 打ち切って は泣

共の他随時に際しての足場、器物の撰びかた、照明その他光線のとりかた‘日明夜、月夜、ォ



~

中‘山中の 駆引き、戦法等、数へあげると際限がたいけれ

2
3
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特に訟に改めて明

して 置 か う

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み の向きには震地指南の m
ω
くが、部粁は 単 に誌上指市に止まらや 、
wをも惜むもので た い事を、

23~

仁義仲間の種々相
侠客仲間の仁義
やし

我が日の木は仁義の図。侠客に も 博 徒 にも香具師にも、 土方 、馬方、船方、何れ の枇併にも

仲間に釘して仁義を立てる怒らはしがある 。 共 中 に も 侠 客 は 設 も 畿 を 軍 ん じ 、簡をぬ問 ぷ純一仰が
旺盛である。

蕗が、此の仁義 といふ 事が一縛して、初封面の挨拶口上を迷ぺる事の意味にも取られる り 此

の口上といふのは、普通の人の口上と は異り、 一定の型があって、危か/¥やかましいものと
して ある。先づ侠客の仁義 口上の 作 法から述ペる 。

2
3
3

今一人の侠客の子分が、放をかけて江戸の侠客の家を訪ねる場合乞見ると、彼は先づ自分の

2

局にした振分け荷を北ハ家の戸楼への外へ卸るす 。決し て荷を持った催玄閥へ入つて はいけたい。


﹁し がたい者、放中でござんすが 、 沿願ひ仕ります ﹂

一.手前でござんす﹂


沿 蹴ひ仕ります。 蛍川貸一冗さ んの伺さん沿宅はとち らさ んでどんすか ﹂

扱て、 土 仰に入つ て の仁義 、

めで、之は 大 事た 事 である 。普通左足から入る者は、修業に歩く者 と認め られる。

と言 って放人は先づ玄関を左足から入る 。此際、人殺し たど兇扶持ち の宥 は右足から入る定

﹁御免蒙 ります ﹂

と挨拶する。

﹁沿入 りなす って下 され﹂

と始めて撃を かける。 共慮 へ英家の若 い者が 出 て来て、放人の綾子を 見 てから、

﹁た願 ひ仕 ります ﹂

それ から 初織 の級 友解 いて入口の 外 へ立ったま与、 雨乎 は真直ぐ にして膝頭 へ付け、

﹁た入 り下 さ い﹂

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﹁御免下さい﹂

m織の紐を爾乎に 持っ て挨拶する
と言って、そ れから 、外 へ置いた 荷 物 を 持 って入 る。此際 M


といふは誇の あ る事 で、何虞の何者とも知れぬ抜人故、 共 れ が 敵 の 廻 し 者 で あ ら う も 知 れ 宇
おひ︿ ち

全 然 敵 意 の無 い 詫 捺 に 、 手 の置き憎胞を

AM
織紐と

一所 に膝 一
政へ泣く

そんな疑ひを受けたい潟 で あ る 。 若 し 懐 手 で も し て 居 る と 乙 首 で も 振 っ て 、 近 よ り ざ ま 刺 し か
Lるといふ危険が ある から、

のである。長い 間の習慣 上.そんゑ作 法が附来上ったものであらう。

τ、荷物を 取って、数獲へ近づき、


﹁親分さん、 治姐いさんは、沿宅でございま せうか﹂
﹁夫婦共に不在で御 ざん す﹂

此の問答も一つ の定まった作法で、 親 分夫婦に敬意を表して臼ふのであるが、之に謝して、夫

LK


引 合せを頗びます ﹂

婦共不在と答へるのは、強って 面舎 する要も怒い一事故、居っても属らんといふのが普通である υ

自宅でございますなれば、
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236

放人の方では、夏らに、敬 意 を表して 、
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﹁外、上さ ん


絵、

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j

﹁沿捻 へ下さいますのが 本 意 で 御 ざ い ま す 。﹂
言葉に従び控 へ居 り ま す 。 正 座 は 矢 穏 で ご ざ い ま す ﹂
﹁沿 一
﹁早 速 沿 控 へ で 、 有 難 う ご ざ い ま す 。 初 の 治 目 遇 り で ご ざ い ま す


﹁上さんへ 、早 速 で 御 ざ い ま す 。 御 覧 の 通 り な 粗 末 た も の 勝手元の沿手拭きにもと存じまし

然う言っ て 、 包 ん だ み や げ の 乎 拭 を 義 出 して、

忠 治 親 分 の 家 の 若 者 某 と ば っする者に ご ざ い ま す 。 御覧の通り未熟考の族中でございます 。﹂

。 従って下劣は、上州は関定

﹁どう 仕りまして、手前北ハ、しがない者で御ざんす、 治控へ下さい ﹂

中でござい・まずから沿控へ下さい﹂

﹁早速沿願び仕ります﹂と旋人の方では、立って繭手を膝頭にb てて ﹁手前 はしがない者 、放

手前以外の者にあいさつは要らぬといふ意味。

﹁折感しく不在で御ざんす﹂

である

といふ 。 之は、取弐ぎに山内て居る者の上に立つ兄分の者が居るたら 、英人へ宜しく と Lふ意味


2
3
6



﹁早速の御好意頂戴仕ります ﹂

と受けて白分の左へ置く。それから茶が出る ο 気を 利かして、
﹁沿柴になさいませ ﹂

といふ 。茶 は、三口に 呑み 、 三 分残 し て土問へあける 。

織 紛 を 指 へ 挟 ん で 居 る 。 之 は 着 る 貫 総 の た い 人 間 で あ る と い ふ 謙 遜 と 、乎
m
放人は共際にも m

。 しがない 者の畿 中 と 自 分 を卑下する意味である 。 そしてから、
を自由に使へたい虎を見せ る
﹁結構たお茶頂戴致しました

'

と向うへ二 三寸返して、
﹁早速御馳走になりまして沿臨申上げま す﹂

237

といふ。すると、今度は受ける方 で帖面を出して、


﹁御姓名 を一つ沿記しを願ひます﹂

と促す 。

~

一回 と出す 事もある。受 け る 方 で は 三 度 迄 迷 臆して 、

凡て、普通二十銭包んで路用そ助けるといふ事 にする。 親分の 名 に依 り叉五十
此時、帖面を H

﹁"とうぞ御利じ読みを願ひます﹂

と手に帖面を持って 書く。 上州何某 親分方の莱と書いた のを伏せて渡して 、

﹁粗筆でございますが﹂

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J
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L
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.・

そとへ道順の業内を してやる υ

﹁新橋に長谷 川 とい A親八刀さ ん が居ります ﹂

﹁新橋へ 参 りま す﹂

ε
﹁ ちらの方へお出になります﹂

然う言って 、銭 を懐 へ 入 れ る c

、 懐 中 致 しま す﹂
﹁御上桜の御好意 で

:

か ゃうの 御心配を頂きましては﹂
﹁結構なものを、

:
﹁御遼肢には及びません υ とち ら 宅 夫 婦共 不在 で御ざ います 。御 僻退た︿治 納 め下 さい ませ ﹂

2a8

ha

自にか Lる時も御ざいませうから﹂

﹁沿限致し ま す﹂ と立って 手 を 下 げ 、﹁早速会目 通 り、 御 手 厚 き 仰 配 慮 沿 み や げ 迄 頂 獄 致しまし
て有難うございます 。 再燃
之れで仁義も終り、路用 を 貰 って立別れて行く のである。

罪人を隠匿する場合

以上は玄関先きでの仁義であるが、若し晩遅く行ったものとか、叉は喧嘩とか人殺しとかし

て、共家に隠配 って 貨 は う と い ふ 場 合 に は 、 叉 仁 義 挨 拶 も 自 然 呉 る 。 若 者 の 方 で は そ れ と 綴 し
て好意を述べる 。
﹁暗い事で御ざん すから、叢・継を取 った らょうござんせう﹂
といふのは、夜に去ったから泊って行けといふ 意味である。

~29

それで家 へ上って泊っ た時には 沿膳が出て、飯はてんと盛り二 杯と定ま って居る。例の﹃居
.
.
候三杯自にはそっと出す ﹄ たどは、此の二杯の規則を破るので あるから、内設 でそっと出すの

である。て んび盛り二杯で、沿謄に附いたものはきれいに皆た食ふのである。残しては粗米に

Lで 足 袋 も 穿 い て 居 る 、 三 ツ

とはぜの中二ツ丈けはとはぜ をか け

il他の親分との聞の喧嘩紅どがあった

一宿一飯の義務として、主ハ家に出入り

一命を失ふ危険が あ っ て も 加 勢 に 出 た く て は た ら ぬ 。 泊 っ て 居 る 聞 は 、客分注がらも共の

泊った者は、

水 を か け ら れ る 。 又 は 不 用 意 を 叱 ら れ て 、 木 剣 で 撲 ら れ る と 言 った厳しいものである。

する む 上では直ぐ之に際ヒて﹁ヱヘン﹂ と 受 け る 。 若 し 受 け る 事 を 忘 れ る 程 に眠って居ると、

て居る 。 直 ぐ に立上 り 逃 げ る 用 意 で あ る 。 異 嬰 が あ る と 、 下 か ら ﹁ ヱ ヘ ン ﹂ と 接 梯 ひ の 合 間 乞

二 階 へ 寝 かす。 着 物 は 着 た ま

兇飲持ちの場合だと、例の右足から入るので、最初から解って居るから、之は罪人隠匿で、

たるからで あ る。


ば極原一柳宮、八幡大一柳宮匁どもあった 。

印ち.一 仰を祭る 。 近年 に た っ て か ら は 、天照皇大一柳宮、春日大明紳、明治紳宮とした

。 以前に

。 そして紳前で手打をするので、普通に三枇様、
の場所は、四方席にして上下なしの坐を設け る

それから、 此 の 喧 時 が 仲 裁 が 入 っ て 仲 直 り の 場 合 と た る と 、 叉 巌 め し い 儀 式 を 行 ふ 。 仲 直 り

間下と同じ一事である 。

2
4
0

、 室内を清め、正也た心で仲
紳 は 千 日 し め を 張 る と 錐 も 、 邪 怪 の 家 に 来 ら や と 言ったもの で

直りをするといふ事にした。三賓の上へ、生きた制を腹合せに、向ぴ鯛にして紳前に供へ、御

紳酒徳利を添へる。三々九度の手拍ちで図く牧める c 最 後 に ﹁ ちよちよん﹂と拍つから、 つま
り十回になる。

呑異師の一元祖は紳農様

L書 く 、 共 の 守 本愈は⋮脚農様である。紳畿は支那の﹁炎帝一柳則被氏﹂

次に仁義仲間としても 最も民 く知られ、今 日に綬いた者は﹁やし﹂である。﹁や し﹂の布引を﹁寄
兵師﹂﹁矢士﹂﹁野士﹂など

として十八史略に問て 来るのぜ 、人身牛首として あるが 、之 は牛に似た顔で、雨角を生して居

たと言ふ。紳農は人民に農業耕作の方法を 数へ 、叉 百草を挙めて始めて踏襲を致明し、更に日

中市を銭レ、交易して退かしむとあり、 之は市場を開き物々交換の法を数へたのである。﹁や

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し﹂は薬師の 降稀であるとも一一=口託、叉霊の褒明した槌、妻、久野どが十一二種も あ って、

E

それ が脊兵と稀せられ 、一例曲援は香具師の一冗組であ ると 見られて居る。此の脊具仰が今日の鯵応


ピグゴ一フス波の哲忠一者と して一 代の煩儒、 ﹁未だ天を知らやんば協がぞ

今 日 迄 、夫等の 重 大問題は殆んど解決されて居たい。それといふのは、ヒツポク一フテスより二

を冷じたもので、今日に残された問悩が津山に此意向中に含まれ て居る。 そして 二千絵年を経 た

の官官の者に議川柳を呈して北ハの持を謝して居る 。之 は主として、陰陽自然の大法から人健の生理

士の治瀞な議官越に依って可たり詳細に我閣に紹介 され、前陸軍々啓総監 、石 黒忠恵翁などは此

入り、臨法を税収明したのである。彼は西洋の⋮紳農様である。共感設は北海道大簡明数授 、今絡 博

能 く 人 を 知 ら ん や ﹂ と 喝 破 し て 、 先 づ 天 地 自 然 の大法 を講究し 、そ れか ら持じて人憾 の研究に

作川に生れた希倣人で、

西洋では、 ヒツポグラテスが駿道の元祖であると同じ一事である。ヒツポクラテスは 、内洋組元

本領で 、従来我閣の臨留者仲間が、薬師様を祭るのは、欝薬の一冗組 たる紳 農様を祭 るのである。

﹁やし﹂が前記の如く﹁薬師 ﹂﹁野士 ﹂た ど と も 書 か れ る 理 由 は 如 何 と い ふ に 、 薬 師 は 榊 撲 の

それで一般露庇商人、印ち大遊間人の事を香具師と呼び 、之を﹁やし﹂ と 読 ま せ る 。 共 の

税分子分の盗事は 此の紳農の型的で行ふのである。

、紳酒を供へ、
商人と迄袈遣したので、彼等は自分の家業を一抑農業と呼び、⋮紳農様を紳援に飾 hy


2
4
2

三百年後 に現はれた賭道の大家が薬物治療 を 主とし 、 生理病源の根本研究を次ぎにした銭に、

今日の西洋擦は 共の流 れを 滋 み 薬 物 皐 が 褒 達 し て 、 生 理 壊 が 褒 達 し た か っ た 震であるときロはれ

る。今や 日本文明の復興時代となり 、頻 り に 皇 漢 密 接 が 提 唱 せ ら る と 熟 還 に 在 hy
、和漢洋を綜

合した震の同国道が、我々日本人に依って大成せらる L時期が到来したもので あ ら う 。邸 ち草 根

木皮の紳曲演腎術が大成せら る Lのである 。紳曲演の皆道を誇った序でに、西洋の一神山民党るヒツポ

クラテスの名著ある事を紹介 し て以て、世人が之を一通一蹴してそとに稽古徴今、大いに絞明す
る鹿あらん事を希望する,次第で ある 。

香具師の名務の起源

扱て最初我闘に 起 った﹁やし﹂は大道商人として、 或 は戸別に 鱗れ寝具りたどもした。 共 の 褒



は 製薬 と香具で あ った。越中富山の築資りたどは英の停統に属し たものである。叉我 閣の中

.
2
4
:3

世暗黒時代と 一




は る L鎌倉時代、足利時代には、知識の 本相場は各 地の寺院で あ って、此の寺院

絵、

が多く奨を貰 った のである。硲借と吾一同 って 高野 山の倫自身が庚く 天下 に行商した 。 それが主と

d也、



E

である。

SA

を惹き、 それに依って本商衰の薬品を賢るといふ寸法にしたもので、之は文字通りの矢士なの

-﹄

た る 弓 矢 を 看 板 に 持 ち 出 し て 、松 井 源 水 の 瀦 楽 廻 しの如く、永 井兵助の 居合抜の如く行 客の 目

人と なった。 印 ち 香 具師 な ので あ る。北ハの野武士を﹁野士﹂と読んだ ο 叉彼等は武士の表道具

定 業 も た く 、 所 論 野 武 士 と 糾 して山賊風の 宥 と 怒 り 、五しい方へ進ん だ者は、行商又は露底前

である といふ。印ち我闘には、戦闘の聞に、北ハ主家が滅んで浪々の身とたったものが、何等の


﹂ は ﹁野 武 士 ﹂ の 特 靴 、 失 士 は 弓 矢 を 立 て 道 具 に し て 薬 や香具を賛り 歩 いたから起った名郁

を矢張り﹁やし﹂ と讃ま せる事とた った 。命﹁野士 ﹂と﹁ 矢士﹂の説明が残るので あるが 、﹁野

とたり、そ れ が 、 重 賓 が ら れ る 虎 か ら 、段 んに薬 より は雑ロ
mが多 くたり、香具師とたり、それ

凡ハ
を貰 ったからそれが家具師であり、主として薬種と似よりの香の道具 を持歩いたから 脊具師

モして﹁やし﹂は築師の詰ま った名穏で ある ときロム事になる 。 叉



寸 は同時に細 々しい諸道

が天 下 に 実 際 め ら れ た の で あ る 。

して薬積や杏などで あ った 。 叉東大寺、西大寺などでも家停の妙薬といふものがあって、それ

万3

!N4

香具師仲間の仁義口上

香具師の仁義 111仁義 とは彼等仲間では、 挨 拶 口上 の意味 に伎 はれて居るが、 前にも述べた

通り 、本 来 は 堅 い 交 際 の問 に 仁 義 の 精 紳 を 主 と し て 、 関 絡 を 強 聞 に す る 意 味 か ら 来 た ものt b

る。併し 、仁義 を述べる といふ 風に 使ふので 、初封商の口上をいふのである。 とん な口 k侠拶

は、侠客仲間でも 、香 具 師 仲 間 でも .土方 、 馬方 何 れ にあっても 、人 情と義恐が同じであるか

ら、北ハの文句も略ぼ同じもので あ る 。 唯 だ 筒 粗 の 差 と 、 丁 寧 と 荒 っ ぽ い と の別 があり 、時 と 場

合で多少づ L異ふ ので ある。侠客に 比して香 具 師 の 方 は 大 分 釈 雑 た 物 一同びをする、叉は.浮は

つい た僻常言葉も交るので ある。

一寸 雪nび返すが、 一般には香具師の事をテキ 屋 といふ 。 之 は何から来たか 。 北パの初め、

し﹂の事を﹁や的﹂ともじった。忠助を忠公とか忠的とかいふ、あの遁用mm.呼である。あの﹁や
4

215

一寸

的﹂がと 言 って印刷る中に、今度は、逆に物の名を呼ぶ 包 慣 から 一やてき﹂が﹁的ゃいにたって


了っ た。之が今 日片 仮必で書 く ﹁テキヤ﹂の起原で ‘あの脊兵師的といふ庭を﹁テキヤ﹂ずと

t

として制裁を加へられる。其鴛に
いものになり、之を自在に言び得るやうで なければ、いれ hr

究 め る 銭 に 仁 義 口 上 に 依 っ て 之 を 試 み る必要も起った 。 それで彼等の問の仁義は大鑓やかまし

行は、谷具師の抑制分に十手捕 を輿へたといふ事である。新ういふ開係から香具師は、 一種の


探 偵 を 粂 ね た 時 代 も あ る 。 そ と で 悶 じ 香 具怖の姿をして居ても本物か、叉は傷物であるかを見

それで、外岡から楽屋たどの密総入する者を防ぐ銭め、叉、不還の者を取押へる震に、町奉

は仲間に取っ てはたらぬ背景たどであ る。

事。香具師の 親 分は、子分から願詮文を取り、行街出所不定の者
見舞をなし、病人を介抱する 一

治ひ返す。容共川仲間は商賓の 場所では、互に相援け、連れ立って賜る 事。仲間が病気の際は

事 とか、武家 に針して慮外左 京予をしてはいけゑい。他所から来て抑賢りをする者は早速関一冗 へ

守が制定したもので、五ケ 僚 に規定 され、公 儀 の法度俊文は竪く守り、物の焚買も竪質に致す

は然うでたい。ちゃんとした捻 があ った c それは、 徳 川幕府の享保二十年に、町奉行大岡越前


再はる L脊具師たるものは、全然、官憲の制裁 外に置かれたかに見ゆ るが、質
此の一アキヤと 一

酒落れ て呼ぶ事になったといふ。之は 頗 る賞を得て居るやうに忽はれる。

!
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4
6

彼等の間の 初 釣 商 の 挨 拶 は 可 な り 般 格 な も の に た り 、 自 分 法 よ り 上 手 の 侠 客 仲 間 の 仁 義 を 見 暫
って、相 川間同威張った口上を取替はしたものである。

仁義口上 伏晴れの舞塞

何底ぞで 未知の脊兵師同士γ出合はしたとする 。 互に 、相手が仲間らしいと見ると、mmの平
い方から先づ口 を切る ο

﹁之はゐ-初に御ざんすが、間違ひ やしたら御免たせ い。沿友淫さんと見受けやしたγ、 :


と、相手の商をじっと 見る ︾

﹁さやうにござ んす。お銭へ下さい﹂

と相手は、自 分が脊兵附仲間で ある事を 承認して、自分の方から先づ和 郎って、挨一拶 を述べ

2
4
7

るから、控へて央れといふのである 。 する と此方 も謙遜し て、

﹁先づ た控 へ下さい﹂

と向うへ花を 持たせ る

G


m織粧を解
ので、之は侠客と異って率経・は穿かや、大抵下駄穿きだからである 。 それから此の m

相骨肉な親分と見て一 一
庖丁寧に す る場 合 には、先づ下駄を股いで鼻緒の上から下駄へ乗るといふ

丁寧に頭を下げる 。 此際 、羽織の紐を解き‘爾手は膝頭に付けて左右穂能く鱗へる。相手が

りの上、今月後一品般御腕懇に願ひやす﹂

に参りをしても、 土地の抑制分さん、叉沿友建さんに御面倒を 、
おかけ申しやす。何卒商問問沿見知

間さんに御ざんすが、 いがみ の健太と申しやす。稼業は未熟のかけ出し者にござんす。いづ方

下 に 坂 下 町 は 二 丁 目 二 番 地 、 稼 業 親 分 は 藤 政 二 水 中 対 方 と 申 し やす。 手前姓名を揚げま.
すは失

申し ても庚 うご ざ んす ‘下谷 は上野 東叡山、 一九重絡がござんす。共
は 収京に ござ んす 。 東京と ・

﹁早速た按へ 下すっ て有 難 う ご ざ んす 。 揚 げ ま す 言葉 前後 致しましたら御免下 さい。乎前生閣

拶に移る 。

と又譲る 。二 三回押返しつ L相 手 が 上位 を取って控へ る事と たる 。 す ると、此方は本文の挨


い やた 控へ 下 さい﹂

く の は 、 商 人 の 作 法 の 一 っ と 見 ら れ た も の で あ る。商家では、古から小僧雇人には羽織を着せ

2
4
8


たい習慣で、成長して一人前 の蒋頭格 にたった時始 め て羽織を奥 へられるので ある。それ で此

の脊兵川の仁義の際に、自分は未だ例織を着る殺な身でたい、ほんの駈け川しであると鰍遜し、
羽織を防ぐつもりで、純を外して挨拶するのであるといふ。

も一つには、前の 侠 容 の 仁 義 の場 合 と 同 じ く 、相 手 に 約 して 敵意のな いとい ふ表川をした形

である。懐手といふの は得 て物凄いものである から、雨手は 良直ぐ に版 関 へ付け る。心地が之を

反鉛にM
m騨していざといふ場合、初織が、邪蹴だから、直ぐばつと股いで敵に突殺する川意だ

といふ 総 も ある。之れも一 理あり 、同様に取 っても 義支たい 。但し﹁た控へ下さい ま し﹂と い

omうして 二

ふのは、相手を控へさせて自 分 から先きに 名乗る、印ち先方を立 てた作法で ある

=一皮譲り合った上、相手が自分より下位 のもの といふ見 営が付 くと、﹁それ では沿言葉に甘えま

して、逆位かは存じませぬが控へさせて頂き ます﹂と挨拶するの である。若し 川酬を削遮ったと

219

なると、後で具合が惑い事に・たる。


扱て二刀がおの 泌 り仁義を 述べ移る と、今お控へて 居た相 手方は 、同 じゃうた作 訟 で以 て返
躍をする 。


侠客仲間の重々しい仁義に比べて、此の方はやっと砕けて気軽く爽かたものである。


を持って居り、仁義ロト一が共の最も得意とする慮、晴れの舞牽を勤めると言ったものでbる

を明り月を奔するの快仰と本冷たくてはたらぬので、しゃぺる問は誰れにも負けないといふ自信

八丁で持った 附授。大道で人を釣るには、身振り格好から、自の配り方から、ロを附いたら風

やぺるのである。勿論、香具師稼業でもしようといふ者に務舌の法者危らぬはなし、ロ八丁手

此の作法が立浜に川来たいと、相手から馬鹿にされる。卒生から飽く稽古してよどみたくし

と受ける。

﹁手前とそ宜しく沿慨ひ申しやす﹂


と結 ぶ

﹁宜しく沿 願 ひ申しやす﹂

言った工合、同じゃうた受け 膝 へをして最後に、
と一

うござんす ・
:

:

﹁申し公くれやして失隙さんで御ざんす、手前生閣と申ずは、南海むは紹伊図、長演の海は庚

250

、名 乗 り を揚 げて 見参 と来 る廃 が 、白 木 人の此 の上

、 熊谷次郎直賞た るぞ :::﹂と名黙 ったあた
普の 源 平合戦 ・たどで、﹁我とそは 武 綴 閣 の 位入
、同じ心 意気 であらう 。 何れの 枇舎 でも
hv

、 之 が昔 の雲助駕 飽 屋 、馬 方 、 土方 、何れ の
一町舎 にも及んで 属た。それぞ
たい 卵管れとする 蕗 で

れに仁義らしい仲間の 挨拶もるり 、 叉尻を捻くって ご ろ つく時の言 ひ草 もあっ た。彼等が、放

人を囚へて 強請 る場 合
、 叉武家に盾突いて喧嘩を賢る場合の言ひ草 とそは、 痛快侃⋮類たもので

漫馬 、吻弄を制め 、自分は日 本 一のえらい人間 であるやうた 、 誇張 した口上 が芝居や鱗談の見

世場 、聞 かせ 場 とた って 居 る。要するに此の仁義たるものは、武士の 名乗 り妨げ の民似 から起

ったも のらしく 、それを 低級にして、﹁ござん す﹂と か ﹁愛す るも のは﹂とか 、﹁やす﹂と言葉
でやる彪が 面白いのである 。

仲 間 の不 文 律

hy
、智識も笠宮 で

2
51

上越 の香具師仁義 は、 一人が 一人に向った時の事 で
、 仲 間 大寄合

った 口









名刺交換舎な どいふ 駆使た第も やる

上を 述 ペる 。営節は 、人間 も文字を知




吾一
回ひ交はす 。 それに依って商鑓や牲格がはっきりと現はれ
一人々々仁義 を

何れかと 一言 へば ××の集合 で、はた け ば ご み の 出 る 者 が多い 。 それで洗ひ立てる富市は然物、仲

将兵附仲間は、勿論表而は不正たらぬ稼業を白登大道で営むものでるるが、併 し北ハの多数は 、

自己紛介をやる形である。

走れ以下は、前の 一人々々の場 ム?と同じである。斯 うして一人々々、営節で言へば 7分間の

法に御ざ んす。上げます 言葉に 前後間連びのありました節は、平に沿許しを蒙りやす。:::﹂

﹁斯様、高峰併受けましての仁義 は 失 躍 さ んに御ざんすが、御免蒙りやす。手前到って口不調

とんた時の仁義は 、 先 づ 主 催者側 から口を切る。

分である。

仲間の 版佼は地 H過 と 滋 に 左 廻 し で あ る 。 之 は 隣 り の 男 の 懐 ろへ、しかと物を入れると一育った集

て相手に記憶されるのである。大勢国座の場合、順位に廻して仁義を述 べるのである が、彼等

大勢居並んだ前で、

換は礁に顔を見も せ守、扶へ入 れて了ふので、どれが誰れやら後では解らた い。そとで 彼等 は

が、彼等香具師仲間には無事文盲が 多 いから、名刺などいふものは持たない。それに、名刺交

2
5
%

一先づ共人へ義理を立て L預けるといふ堅い慣例である。

間同士の喧嘩たど、大怪我をしようと、殺されようと、明るみへ持出さ守、仲間内で始末を付
ける。共代り喧嘩へ仲裁が入ると、

それからモ一ツ仲間の規則として特に般 家たのは 、人一安に手を出す事と 、場安即ちが・
い業上や持

場所の牧入を談腿化す事に釣する制裁で、之を犯した宥は破門、所挑ひ、騒いのは指誌めと苧一回
って指の先きを切って詑をするので ある 。

とんた仁義u上の面白い相場面も、 普通の人には一寸見られたい ので、自たは映設に作ってト 1

hy
、大滋賀り、叉は立資りなど与、資り方がいろ / ¥ 1
あった 。今日でも 京都に上立

キ l危り、巧者た滑 m
m諸子の冴え た 口調 でやったら 、 一寸呼びも のにたら うと氾はれる。存共

師も、底喪

賞、下立樹氏たどいふ町名がある。立費り ‘
をしたとは何んの事か、飢践の問、京の女人貧困の極、

立費りをレた。上半身に 民ずるは、紅、白粉、街、努、油たどである、之が上立資。下立制以り

は下駄、 雲駄 、台帰属、足袋、脚絡、都品位腰紐と一一員 ったもので あるが、夜庖の方では、防 い軒下

253

で接吻は ×X×、それか ら :;:×××もあったil江戸だって柳原川岸の材木泣場の問で、毎


夜、女共が騰 のもつ 焼斉-を野 ったといふから、買ひ手に事を飲かたい限D、上下何んでも資る

~

一つへ位付いて、十銭の蜜豆から五十銭の洋食を大念ぎに酒気も注しに詰め込んで、さっさと

彪 は 、 大 港 問 胞 の延長と見られぬ事はたい。 そし℃七階の食堂といふ、ぎっしり鰭詰めの椅子

んたものだら う。泥 下駄の俊、真直ぐに入っ て行って、歩き・ながら七階迄の飾りロ聞を物色する

J

の混居間人が、今日では アパート迄漕ぎ付け て、金構の主佼を占むる迄に成長したと見たらE

侠 客 気 性 から 起 った 新代の批 士が、政黛を作り政府に反抗して政 黛内閣迄潜ぎ付 けた。脊具師

話 幕時 代 に は 、 政 府 に 拘 突 い て い ざ と 伝 っ た ら 武 士 に 反 抗 し た 者 に 侠 客 仲 間 が あ っ た 。 此 の

て居たのでb る。之は 心ヘ衆に釘する催眠術のやう危ものであったらう。

る。三関誌に尚る在慈といふ男は此方の大家で、支那では共頃から疾くに とんた 奇術 が浸透 し

とん たのは皆な大治訴訟 人で、それが 又薬だ とか、強社鮒だとか、不老不死の民合ゑどで人を釣

種子 を縫 いて印鑑 に花を咲かしたり 、縄を天上へ投げて‘夫れへ馨ぢて天へ登るゑどいふのだ。

MM

香具向。視はれたのは、奈良靭の頃と はる 。此の 時代 に支那、朝 鮮bたりから奇術師が渡


のちら
来した。それ は呪師と号一同はれ、 ロ に呪文を鳴 へると、愛幻奇怪の術が生守る。刀を容んだ り、

のが普からの援で あ った事か。

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.
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4

立退くあたりは、三管前の砲兵エ限前の五庭飯の進化位に見たら、今日の大方の淑女緒子の問
hm
J

逮ひの怠い

bL一一附に総合したものに外たらたいのであらう。

繁みの一ったる大 アパートも、 つまりは紳 鎚坂たり、庚小路た夕、新宿たりの大

道脊具師応

一向を振るって、路行く
本一気のよい、青天井の下で、二月の寒風仰骨冷やかゑる夜庖に、長民戸

紳士の足を停めしむる、香共師一辺の威風は、 Eさに堂々たるものでもあらう。

呑具師も品川初は野武士、薬師から出後したものとき nはる L丈けに、初釘面の名乗りをする習

慣を持綬したのであらう。そして初期には、義理堅く、所制仁誌を重んやる風があった事と以

Lらぬしれものと見

ふ。それが、時勢の規制緩と共に、種々たる不良不還の徒が共の領分に雑って、兎 もすれば、不

正な方面へ趨り 、香具 師と言へば、いかもの、いんちき、 棒にも答にもか

らる与に至ったのである。今円仁義枇舎で、 一般良民の問に劉り入って共の区別を判然と付け

、特に昭和五年頃、警腕隠が一般銭信を許して失業
かねるものは、多く此の脊兵師仲間であ hy

τ以来は、停統の香具師と良民露底商との煎別も付かぬやうにたb、露底物

255

救拙仰の一端とたし

に良不良が混在して玉石混交の形である。油断がたら ・
ないのである。
型、

(ニ)

私向身が一度⋮仰 にされた 終 験から、然う M
山ふのである。

と、民 WAの炎天に、淑安から出て来た人の校に、ほ っとして汗を拭く事でるらう。

﹁もう懲り/Xだ二度と紳校には・なりたくたい﹂

様にたりたいと望む。だが、 一方一脚様抜ひにされた人聞は、

と地との間にある存在だ。紳と禽訟との問を往来する生 物たのである。併し、人川は誰しも紳


様 には怒れゑい、天には 井れない。と 一
寄って地の底へも 滑れない。つまり人間は天
人間は ⋮

(-)

生⋮脚様脱走記

お6

抑ん 私
H が山市・一柳様にされた由来といふの は、 明 治 問 十 年 代 の 千 里 眼 透 脱 の 流 行の 潮 に乗り上げ

させられた緒川加であった 。私 が常時流 行 の透脱と いふ不 川︿議た現敏を考 へて、自ら之を練習 し

て、再三浦一確た北ハ の質勝、を世人に知られた一事が、迭に私乞して生一柳様たらしめたのである。

明治四十三年以来、御船千総子の 透 耐 震 験を初め とし、 長尾郁子 、兵 制 誠 一、本抗鋭次郎 、

堕附孝作、川崎逃たどいふ透 腕能力者が綬 々と 現はれたの で、やがて 稲末 、今村ゑどといふ協

士迄が熱心に 異に賀験研究に従事して、 一時は勝一真を騒がしたものであった。然るに未だ充分

怠る成 績の認がらぬ中に、千鰯子の自殺、失で郁子の病死とたり 、や がて激烈なる反釣論も出

があ る。日記は人聞に誰し

て、透脱能力者といふのは一一部の山師であると注 し、共後に 出て来る透耐者は、直ちに隊一
治を
加へられて、透腕術たどといふ 話も無くたって了った。

m であらうと考へたのである。脅から高伶の、智織のと背はれた
一ツの精⋮柳作

だが、私は滋腕とか千里山とかいふ 事を聞 いて、忽ち 必 ひ営 った

τ居る、

も持つ

267

者がさまん¥の 議官 をしたり、透 税をや ったりした詩は 津 山るるし、例の一柳懸り たどと 言 ふて、

紳窓が人聞に湖沼り 移 って‘ 紳秘た自問自答 をやり、千里限、透鋭、議 一一=門伝どをしたといふ話も

Q

事に も心を惹かれ、何時とは怒しに、その方法を脅ひ魔え、 一種の妥初に騒られτ、自身、山

子供の頃から紛ういふ紳秘のあとがれを抱いて馬た常に、私一は又-御祈時とか、燃隙とかいふ

奥 へと心を馳せたのである。

人総の生活欣態を問ひ、北ハ の山上生 治の紳秘 らしいものを 考 へて、朝な夕なに、附近の峯々の

共頃、 五日市遜から秩父の山入りをする行者、山伏たどの姿を見ては、母に向つ

んて暮 らす身とたり、山の紳秘にあと がれを持 づ事とたった そしτ、
り、日夕秩父の建築を U
τ、然ういふ

戸ツ子として潟議・は公闘の附近に生れたのであるが、主ハ後或る事制で七八歳の頃五日市に移

一冗来私には、 乙ん な精⋮柳作用に関して 幼時か ら一 ツ の機縁があ った。といふ 事は‘私は純江

︿
三)

術といふ嘆にいたく心を窓かれ、直ちに之が研究に 若手 した。

、 いる/Xと工夫をしてゐた折りの事とτ、此の透説
一とか 自己催眠と かいふのに心を 潜め て

ある。モれに例の催眠術といふのがるる。そんた事で、私は共頃此の 催眠術に凝っ℃、精一柳統

沼‘

258

伏にもたb 、行者にもたつた祭で、他の子からは 停気狂 ひに扱はれた 事もある。それが鵠ヒて 、

遂に私は一一一峯の行宥生前の中に入って行った。そしている/、彼等の行動を見、之を総修した

のである。私は 彼等 行者の山中生活の 欣態を 、日 夕仔納に見るに至 って、 共の絵りに人間離れ
のした脊践的た行動にすっかり会どかさ れて了った。

彼等行者連は我々里人の様に、三度三度米の飯を食ふといふ事をしたい。山中に生守る自然の

物を採って食ふ。飯でなけ れば食へ怒いたどいふのは新参者で 、此の 一耽舎では下の下なるもの

とされてゐる。然して是等新参の米の飯を食ふ連中とても 、叉却々やかましい捻があって、勝

手に火を焚く事は山梨ない。皆訟行者の 本部へ行っ て火 絡を貰 って来る。つまり行者仲間では 、

bL
起し、騒い 鍛冶国内茨に此火を移して火を作

火といふものを紳盗視するので、 火を作るには天眼鏡で以 て日輸の光 線を焦紡に集め、共れを
木瓜移す。雨天の日には竹と桐の木を 摩 擦 して火

るのである。火を本部に支ひに行く者は、此の茨火を手掌に受けてぷう/¥吹きたがら一丁二

と洗ふ、それから袋の口を縛って地へ埋
/¥3

259

丁と運んで来る。そして飯を炊くにしても、普通鏑釜を用ゐ歩、専ら自 然を利用する 。彼等 は

米を麻布の袋に入れ、渓流へ下りて袋の 俊に ぎぷ


日はる


/ ¥Bの木・の 賓 とか、特有 の 食 物 を婦 る。 朝 鮮 金 剛山の仙人と 一

L者は、松の甘皮など,

を寸る。 そ れ で以て、 加賀 の白山とか 初 後 の初黒山とかに話 をする。﹁何日には他から行者が

辿信のやうゑ事
℃坐 って.
居る かと 忠 ふと、 彼等 はっと立上り、指を{企に向けて動かして、居間統 一

想し
彼等は又 生 きたがらにして 遠隔の地と通信をする、天眼通を有って居るかに見えた omm

するので あ る。

の問を、片方の乎に 法燥 の貝を 抱 へ、片手と一本商の足駄穿きの雨足を突ツ張つ℃木登りさへ

行者は一本簡の足駄を穿いて往来するが、あれは山の上り下りに都合がよい。三峯の杉の密林

渓る 科皮迄試みたのであらう 。酒たども、猿の治ったものを見付けて来て飲むのであった。又

所関 窓を吸ひ 霞 を容んで生き る仙 人 修業た のであらう 。私 が見、た 三峯・の行者も、そんた修業を


円はれ、 彼等は 今 に、水と 宗一気丈 けで生きる工夫をするのだと知ったとか。
を常食と して 居 ると 一

いる

功そ 積 んだ 行者に友 ると、 殆 んど 米 の飯 は食 はたいや うだ。松の 汁皮とか、山 中 に得られる

のである。

め、上から 火を焚 ︿。斯 うし て火に営り訟がら話を し て居る聞に、米は蒸れて軟か い飯 にたる

沼、

%
60

来る﹂といふ通信が来たのだといふ。それが遁確に営るのである。乙んた事は不忠誠であって、

少年時に之を目撃した私にしては、今に疑問とたって居る。彼等は山路を行く時には、随鼠に

草を結んだり、木の校を結んだりする。それで後に来る者は、此の取や枝を見て、先行者が幾

人 有 っ た と い ふ 事 を 知 る 。 叉 は 何 日 頃 に ど う い ふ 事 を す る と い ふ 沼 知 を す る の で あ る 。折り折

り叉彼等は、 金剛杖を却 って 雨人相懲つ練習をする。今の杖術、俸術のそれである。武術を練

脅するのであって、かくして猛獣毒蛇を退治する腕を磨くのである c精妙た術を待た者は、十
数聞も離れて居る、獄献を縫す事が問来るのである 。

と練習を積んで民の境に達するの外はたいので、下根
/¥h

ζんた事を私は見ゃう見民似に、多少練矧回したのである。之は手を取って数へる純類のもの

でたく、自分で工夫を凝らし、 いろ

は数へがたいとしてある。先淫のする事を見習って行を積むので、 一'
n方法を敬へる事はした
ひたすら

いので ある。静座隈想し て只管に工夫を凝すのである 。 私は折り / ¥ B
五円市の町から三義へ行

2d
l

つては、行者の仲間入りをしたので家庭からは不良見放ひにされた。併し・本営に様々の事を見

~i

売えたのである。遼沙の方法などは軍受注もので、行者の中には一日開五十里から六七十里を

Q

、忽ち之が千里限とし℃

透見するといふので、比種の事は三千年の普から六一神通の内に数へられたもので、古来幾多の

紙片の文字、或は物慨を透比する

ll印ち不透明た隔隊障碍物を透して共中に在る物を明かに

が絞初の中は却々巧く行かない。営時の透制といふのは、密封した木箱、限封せる鍛瓶の中の

て途に事郎作を騒がしたのであるから、私も之に際一Vされて、頻りと透問術を研究して見た。鹿

斯ういっ た地の出米て居先蕗へ、時は明治四十三年、前述の千鶴子、郁子の透叫が許制され

(囚)

持て脱され、大いに評利されると、自分たがら一柳泊カがあるやうに考へさせられた。

脚統一して限惣 した一級の透 視作用のやうたものであったやう に忠ひ

T校の試験問泌を、何といふ事怒しに忠ひ蛍て L物議を脱した。それが後で考へると、精
或時m

何時も一例秘伝事 、不思 議な事にばかり心を囚はれて、校内でも嬰り者 であった。それが途に、

新ういふ不思議た行者生活を一度見受えた私は、製校に入って後も閥単科には一向身が入ら守、

行く者さへあった。百貨白の物を背負って二十里も行くと云ふ強力鼠のもb った

2ô~

賞験識は東西何れの閣にも仰はり、各闘の心銀製 界では競ふて之を研究して居るので あ る c

、 北ハ の透腕 物を凝 視し て 観念を凝し、徐々に精一仰の統
験に取りか Lり
.
扱て私は、右の様に 内

一を闘って見たが、そとへ自分の想像 で以て 種 々 の事 物を 浩り 出し、共の 認 定 に心を 悩まして、

して中止する。
/¥h

脈問くして 叉賓験 に着 手しては又中止、 途 には根気

.ただ迷ふばかりである。之ではいかぬと 朱を取直 せば、今度は選定した一物のみがちらついて
際れたい。途に気がいら

も衆 きて止して了ム。叉次の日も同じ 事を繰 り、返す 。 かくして十 数 日を 過したが、 斯 かる失敗
ぽ・
3

とやって居る中に、
/¥h

の問に、何時とはたし、若と透脱が川来るやうた 焦が し出した 。 そとで私は愈々 勇気 を振ひ起
し、自ら種々の質験を試みた。即ち、失践者 、紛 失物 、病気た ど、いる

失敗もすれば成功もする。斯うして辛苦の 結巣 、私は自分の透制能力に、或貼迄自 信 bL
持 つや
うになったのである。

263

(五)

大正三年の春の頃、 一目、友人の終介で私を訪問した男があった。彼は、失践者の行方を 透

私は透叫から努めて、今見た光景を訴すと、北ハ男は目を陸 って、

の低 い口の大きい、白秘
-MW

を 小 脇 に 抱 へ て 舟 る の が 私 の 自 に 入った 。
そ れが今停車場前の或る 旋館へ入って行くのである。

m柄ゑ女である。同時に女の手には、古い信玄袋が持つであり、紫色の風呂敷包
いと川はれる j

M 一⋮の腹合せの殺 をメめた、何践とたく商山以上りらし
を つ け た 女 で 、 浅 黄 色 の 枠 紡 の 諸 物に茶と 一

滋に一人の女の姿が認められた。髪の毛の多い屑毛の濃い 、そして

ふ頃又もやゴウ /¥tと凄まじい青響と北ハに、何んだか停車場と鈍ぼしい場所が見 え、やがて其

々に紛糾の統一を闘っ て行くと、初め耳・の 没に問 えて居た騒訪日が段 々と聞えなく怒った。と思

紳迫力ある訴の如き昂穏を舞えた 。最初私 は静座棋目 して、 じっと概念を凝らし、それから徐

視に取掛った。但し 一円一やるとなると、決心が出 て自信も加はり、精一仰が共献に緊桜 して 自ら

問して貰ひたいといふのである。私は幾度も断はって見たが、是非にと乞はれて、止むたく透


北ハの女の姿 や服荻は悉く泊中して居ます、その泊りです。して兆の停車場といふのは何鼠で
御ざいませう﹂

~64

差問ふ 。私はも一度問念を凝らして無我の境に入 って居ると、ぼんやb、何虎からともなく

﹁千葉﹂の 二字が凶の中に浮んで来たのである。是れで此の透 説は完 了したのである。共男は

事 ぴ勇 んで、早速千葉 へ行って捜索すると、私の透制の通り停車場前の放館に英女が滞在して
居たとい ふので 、飾っ て来て私に感謝を述べて居た 。

私が此の透川刊に費した時間は僅か五分間で あ ったが、夫が潟に私の身憾の疲努した認は非常

たもので あ った。併し此の一回の終験に依 って、精一仰の統一を園って、民の無我一念、民のん会
除一に到ゆ恋す れば、何事でも透制し得るといふ確信を得たのである。


(六)

共後 、震験を 東ね経 験を積 む中に、私は大 し て骨を折らんでも 、或る鮪迄透脱が出来るやう

にたった。 同時に、 私が透 脱 を す る と い ふ 噂 が 停 は っ た ら し く 、 い ろ ノ ¥ た 人 が 訪 ね て 来 て

は、私に 透腕 を頼む 。病気の判断 、紛失物の行方、扱ては運勢とか相場とか、或は縁組みなど

2
6
A

を言 って 来る者もあり 、中には、私をまるで資卜者か何んぞのやうに忠ふて訪ねて来る人も少

く た い。私は前然、夢中にたって透税術に凝って居たものだから 、何も貫一
験の材料だ位に考へ

忽街

ふのである 。践 へ、私が前述の 一
T奨・の失隠人を透-脱した話を凶き停へて、私に生 の正偶を見

盛 の事ばかり忠ひ鼠ふやうに伝ったとい
却 て 悩 ま さ れ て 気 が援 になる。母 判

に しても、終日庄一

方の却の作一露だとか、南方の女の怨みだとか一一百って、種々雑多の生盤が現はれ、之が矯に娘が

一附胞を見℃もらったら、それは北の
n
から早池不問様だの、行計だのと岳部ね姐って、共の生箆の r

る。或る有名た日勿者に観℃もらったら、驚くぺし娘には免震が滋いて居るとの事である。それ

M れ歩、家の中も而白く行か守、此頃では何んとなく愛鰐病に総ったゃうで困って居
兎角他康 紛

、 m
府が来てからは
た u昨年の募、或人の世訴で 婚を取 った。虎が夫 記身憾 の強健であった娘が

。 比の婦人に一人の娘があっ
は、五十歳伎のけ川のよい婦人でるった。 共の諮る虎は斯うでb る

。 一日、友人の紹介で私を訪問したの
兵中大正一九年の秋 、私は非常 に 面 白 い 透 闘 賞験を し た

研究に取掛らしめたのである。

、 献身的に之が研究を やり、的眠術的方面 からの
する一ツの締まった概念を得せしむると同時 に

功したのも少くたかった。併し、斯うした 幾度とない 慢除の結果は、途に私を して透捌術に闘

て、・夫絡の巾込を片ツ端から引受け℃焚験をやって見た。共結果は 無論失敗も 多かったし又成


246

届けてもらひたいといふのである 。

之は比一一と突飛た事で、却℃私の方が驚いた。 一日一は断って 見たが強ひての頼みなので 、私は 生

感はあるかたいかといふ事は別問題として、兎に角、 北(娘が何 の潟に誕際病に躍ったかとい ふ

、 徐々に精一柳 の統 一を闘 っ
事を透制するととにした。最初型の如く静座眼目 して概念を 凝ら し


が 消 え て悦 惚 とし た欣態が しばし 絞 いたと 必ふと、突然私の隣纂に、一一一十
て行くと、漸次 雑誌

前後の、背の 高 い角刈の、 意気が った男の 姿 が 浮 んで 来 た。次で北(の男が下町風 の小 締路拡絡

私は此透耐を終へて 替の欣態に復へる迄には、僅か五分と 三秒間を 要した ので あ Z G早部其

が見えた。

子戸の絞っ た家へ、這入って行く鹿が見えたのである リ そ の皮の表札には﹁木 間﹂とい ふ二字.

••

の婦人に今腕た庭を話すと、婦人は、﹁ま ア!﹂ と言 ってし ばし呆れ顔に私の顔を腕て居先が 、
やがτ卸
慌を阪はしながら 詩 る 、

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m

2
0
7

••

.ではあの本間 とい ふ男の生露で したか。 それですっか り解りました。共 の本間と
﹁恐い/1

いふのは 、制
仙の娘に於初結婚を申込んだ男 です。モれが、少し都合があ って 断 ったので、大鑓



l

υ


e

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一暦紳様らしく

る惑が大総ひ。床屋へ行くと、髪を刈 る に頭をつかまへて抑へるから、モれがいやさに滅多に

思ばれた。といふのは、私は生本市頑闘で強情で 、劣ける事が嫌ひで、従って人に頭を抑へられ

り熱が昂まって居たからである 。夫 れに私は北ハ頃異様な長髪姿であったので、

といふのは共頃、隠同の一柳様といふのがあって、初振りよく大した噂たのでつまり、一脚様はや

践 で、私の透腕が愈々評判にたって、 一部の人から、生紳撲の降生でもある様に噂された。

れる


特殊な精紳作用の研究に忠を滑めて居た私に取って、 とんな事は 蛍然の錫結 である様 に思は

以上、紅の⋮仰泌カの一班とも見るべき経歴を一寸物語ったのであるが、巴に幼時から 、或る

(七)


透腕力が 足りたかっ たのか、それとも表札の文字が消えて居たのかはっきりした い

鯨人は、それと解って、永い間の謎が解け た様に喜んで腕った。私が本間 を本間と見たのは

に恨んで居るとの話を聞きました。・:・:然うでしたか、あの男の生鐙でしたか!﹂

26
8

床屋へ行かない。加へて生来の不精者とあって、 髪 が 仲 び 放 題 、長く局にか Lって居る

uそれ

も一部は、少時から憧が れた 山伏、行者 の 姿 Kあやかる称気も手停った事であらう。 兎に角白
面長髪、紳様にはな説への風髄であったに相法たい 。


私を暖かく抱き上げた智謀者が現はれた。共男は私を抱
J の私の稚気と街気に附け込んで、

き込んで、板 橋の紳様にしたのである。私もいたづら掠りの二十三四歳の青年時代であったか

ら、それア面白からう位の彪で、うかうかして居 る中に 、共の男が主とたり、 数名の仲間を作

り、或る停道式の場所を板橋の町に開き、私をモとへ勧請したのである 。私は共気もなく、毎

日さまざまの人が入り替り立ち替り訪問するのを好い加減に あしら って、 大抵の事に生返事を

して居たのが山宗って、今は否感たし、そと の紳座へ着いて 、端然と俗 人を見下るして、皆んな

υ

26~

から奔ま れたけ れ ばな らぬ 不思議た身分となって了ったのである。何んだか夢の様た話で、何

(
八)

時どうし℃一柳に奉仕する身にたったといふのか 自分にも しかとせぬ

万3

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.


街t

め、軍資金を作らうといふ 野 心 を 抱 く 小 泉 百 介 に拾はれて智識様と立 てられ、生側線と して芝

﹁之は械州御影のお伴土院の僧 侶だった利平が、破戒の罪 で俗界に墜落したのを 、倒幕念 酬
M の銭

扱て⋮脚様といふものは、大庭 えらい 物であり、叉大愛 第居訟 も のでもある。

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も解り 、判 断 も付くと いふ事であった 。 それに 豆大た事だ ある と、私が積みもせぬ中区、総務

は、来る 人々 が向分で自分の 事を 皆んたしゃべって央れるから、此方は居ながらにして何んで

一脚湿の下の凶肢に端然と坐って、神殿を伺 ひに来る人 々と接する段にたって、始めて解った事

た い か ら 一 か ら 十 迄 仰 ん で も 見 透 す と い ふ 誇 には行かない 。甚だ宛東ない次第であるが、愈々、

菩 薩 の 附 乞 ひが偶然に蛍ったのとは異って、私のは自畿の能力の結果であるが、人聞は高飽で

私の透脱能力が評判にたって世凶では之を紳通力と呼び、それが信者を呼ぶのである。遊戯

様 と し て の 私 の 役 目 は 、至 っ て 能 のたい仕 事 でb る。

れる 御 利 輿 で、之を捻ぐ智慈 者 が 後 る に 控 へ て 、 そ れ を自分 の生業 にするのである 。 されば紳

,といふのが、吉川英治作の﹁遊戯若様﹂ の本欄であるが、多 く の場合 、紳様 といふのは捻が

は愛 宕 の 山 で雨乞ひの新一時をする。 そ れ が営 って、 百株共の信 仰を得て本営の生仰様にされる﹂

••••

2
1
0

の人冷がその旺溢する俗智に依って、ちゃんと答集を作って呉れる。

最初は私も愉快であった ο覇気尚々人を朕服して、血気盛んた二十阿波の白面の智生が、

隠して紳綴と崇められ、︺紳殿浩りの相川品な建物の呉服に、白衣内袴に長 髪 をさばいて十二品の

問に⋮制捜を設け、しめを張り、共下に 誌 で治った凶臨の上に端泌して、自ら私は一柳たるが如く
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一般俗人、市井の 繰りたい者ばかりが迷信


生十 数名あり、玄関番 が控へて、妄りに人を泊さ ・
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に跨るのであった。総務 あり執事あ り


大した威風である。一寸考へると金く大し いたもの である 。総務 の方では、どんな究停をするの
か知れぬが、一例肢を求むる者が日増しに多くなる

的にやって来ると思ったに、笠に図らん、堂々たる大官、大臣時めく従業家、政 誕 の飢袖など

迄がやって来て榊核不口私へ公伺ひを立てる。共の求むる腐は、政界の 具 勤 、官業 外 の鑓 動 、株

の高低などの判断である。本名は並べる事はしないが、 あ んた人迄と 総 かる L地位に居る人物

に、山少なから守あったのである。私も全く意外の感に打た れた。

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l
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私にそんた一事の旭川間た判断 が出来る筈のものでたいのであるが、モとは 京受注 もので、

席以卜者と逮ひ、一例校の前へ来る発等の亡者は、先づ自家、自然 の内情 を詳細 に申上げて後、勝
2


理E

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と愚・刻を並ぺ他人には滅多に円外せぬ事迄
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打別けてしゃべる、之乞慰いて居る私には、大凡その判断は必十付くのである。丸きり蛍人に

い時の ⋮柳 川 け を 乞 ひ に 来 る の で あ る か ら 、 く ど

別をかけて榊肢を何ひに来る者が、心にもたい出鱈目をいふ事はたい。何れも切端訪って苦し

を吸ふ事が出氷 ると同じ一暴である。一例援の前では強を昏一同ふ事はゑらぬとしてあるから、態

資手と貿乎とが祉を割って各自の思わくを詩って行くとしたら、中に立つ者は十分に美味い汁

事で
を加減乗除すると、品一定引残りの判断は必然に出ても来るのである。何んとも縫注、滑稽たー

かの岐路の判断を乞ふといふ事になるから、私にしては附政築の内怖が乎に取る如く解る。之

然うして隠る麗 へ、今度は反釣の政策 人 が 来 て叉自黛の内情真相を逐一一仰に奉台して、おか丘

返答をする事が出来る。或は数日中、ゆ っくり紳慮を伺って沿返事をするゑど込いふ乎もある。

自答の形である。私は之を獄って鶏いて居ると、何とでも好い加減に、わ"がを出さない程度の

μ の大事ゑ庭だけ方か左かと何ひを立てるのであるから、殆んど自問
も機微な或る一結、岐れ

それが、共場で即答したければならぬといふでもたい、彼等は自家の内情を詳述して、共の設

援を何ふ事にするのでるるから、間違引ゅのたい政黛の由民棺を居ながらにして知る事が出来る。

27~

R つ英人の弱貼をつかむ取も

解らたい事を聞きに来るのでたく、解り切った事の岐れ目に迷ふて居るのであるから、私陀し
ては克もらしい、どっち付か宇の受け答をする 事は治作もない。

bる。怨日の饗銭が多い
出来る。中世頃の 総馬法王 の沿 終得らしい露似は何時でも出来るので 時には州五百尉も上ったとかいふ。

(九)

﹁榊様に沿伺びをするには、隠し立てをしてはいか ぬ﹂といふ銭蒐た捻を掲げ吃位くのである

から、来る者は符なさらけ出して内怖を自白する 。 そ し て ﹁ 是 は ど う し た も の で せ う ﹂ と 紳 段

を求める 。私の方に準備村議のない事に 、何とも判然した答をし得たい 場合には、何れ二三日

中に叉米いと言ふてやる 。或は線務の方から好い頃ム nに取たして郎す、どんな雑題でも、一仰桜

の御深慮は即 答を避けるたどといふ逃げ 手は ある、一柳様の箔を明治す絞た事はしたい 。公須山の

総務迷をおかすやう
/¥1

278

雨乞ひの智識様と異って 、此方は本物の透刷能力者たのだから、折り

た名判断を下す事があって 、愈ん 生
N ⋮紳談の評判が高くたる。

一践の夢遊病者らしい気分にさへたるのである。

A

﹁己れは榊校だ 、本仲間にえらい生紳様だ 、世間の者が貴賎老若皆訟判断を乞ひに亦ゆるのだ。己

にも必へて、

ると大官の 軍役の といふのも馬鹿の様に見える。そして、自分は本営にえらい一柳様にたった様

く合るのではたい、来る者が花札をさらけ出して見せて、自づと嘗てさせるのである。期うゑ

が如くれ見え、聴く者之を⋮柳慧たりとして之を賀行したいと箭が蛍る様に忠ふ。板橋の榊様が能

めたと川じととに、一柳絞の智認は他から集めるのであるから、それが透制であり、神秘である

大限侠座して天下 の形勢を知り 、世ω
介の知識を集め、前客の談を受費して後客を掩清た らし

彼らは驚嘆して、流冶は一柳様の例。同一托であると目を臆る。

此方は敵味方相方の桜秘的報を援って居るのだから、機微た消息を逆襲的に聞かせてやると、

者、建が、板橋の一仰絞の五附胞を見届けゃうとて押しかけて来る頃には、此方は大分功を積 んで

大陸判 って 腐るのだから、彼方から 一一一円はぬ内に此方から一一日ってやると絞らは驚嘆する。新聞記

政界や管業界の一流者の第三番討が来る頃にゑつては、前二者の語った底に依つτ、内情が

れは天下を取った﹂

~74

といふ気になって、 全く愉快 た事 に考へられた 。 少し馴れて来ると、此 の神様間演 は大混紙


の も のでなく.紳喰的に
集たもので、元来一例意といふものは、きっかりと 具鐙 的に 示さる L佐

漠然と隠.街の談に出るのが古今東西の例た のだ から、どうでも 抜け潜りが 山梨 る。

一般の俗人が榊絞に沿伺ひを 立てる場合を見ると、老 来に依って 異る 。老人の来る者は少い。

其の用件といふのも、 男女間の 附係などは稀 れで、 多 くは子孫の 事とか 相続問題に開削して居る 。

憂欝不安の顔をして来る者は 、我が子女の行衛とか、家屋地所の問題で図って居る場合たどで

ある。反釣に北ハの若 人の嬉しそ うな顔をして来るのは、我が子女の結婚 に就て何れに決 めゃう

かを迷ふて居る 場合 たどにある 。叉一治 い者の 場合 を見ると、不安の顔をして来る者は、前途 C

不安 、相総問題 、勝一校の試験成績に関する事、叉就職問題、慾愛関係などで、家庭の事情から

h 市る者は﹁失せ物﹂の判断 で、時には 易者の紹介 に岡
相蛍姥雑た事柄もある。何か 慌 て h京
崎する

~6

様たのも来る。私が 一
例型下 の国座に坐 って 獄 って其の入、遺 の顔 を見て居ると、大 陸 の見 営が付

﹁君は何々で来たやうに必ふが:・・:﹂

a

﹁震は世間から剛情者と 回
は る Lが、震は大 渡柔順 た気質たのだ﹂


といふと共人は喜んで有難く私を趨奔する心に
、自分の思ふて居る庭を正直に ふ。そ




れ だ か ら 私 の 判 断 が営る。私が嘗てるのではたい、向ふから蛍てさせてくれるのである。針手

走ら亡者に向って、

つまり 亡 者 は 招 か 守 し て 附 い て 来 る の で あ る 。 易 者 の 場 Anよりもやっと仕事が築たのだらう。

を感じ心迷ふ者は、榊の托宣を求めるのが人情の常で、 正直、黒直た新程一柳様の鎚兇たのだ。

と い ふ 、 世 間 一 般 の 概 念 ら し い も の が る るので、誠に私に取っては都合がよい。何等か不安

﹁紳も米系の事は遡確には解らたいものだ﹂

除を抜かれて融制嘆し、他の七八が外れてもそれを問題にもしな い

と言ふ と、来・者は一柳様の明祭 が犬した ものだ と感服して居る 。 十中の二三営れば、彼等は度

﹁ォi北ハの事は、顔に現はれて居る﹂

︿と、 来者 は之に共鳴して問 はや'詩り をす る

と問ふと、 来者は忽 ち口を切って詳細に説明する 。有りそうた問題の犬きい範図に締れて行

276

、 此方 の持 ち札も問遼ひた く決まると言ったものだ。人を凡て 一
迎有竹
の持ち 札を見て了っ たら

、 封者 の祭 に 入 る 様 友 事 を 一
言ひくるめる
、 そと から 出立して は後の 辻畿 を合せ て

一 一部を捕 へ
底が此方 の コツである。 不正 直者 と見 ても、
﹁震は正直だ から﹂
と曾 へば相 手 は喜ぶ。 そして、

﹁其の 正直 た心 棋の矯め に何時 も縁 の下 の力持 ちを して 損をする形だ﹂

d

と曾 へば 絞れは 非常に等 んで、 流石は 一
例様だけあって人の心の臭・民迄見透し て居らる Lと感

心する。極め て泊俗 た る精一脚分析 を行 へば、一柳様位ひは勤ま るの である

臼勿者に 絞 ペて 百 も えらく 見 える一柳様に たり、判断の仕事は大混築たのであるから、 一度榊


様に・な ったら止められた い愉快 紅ものである。遂にはmm目を外して尻尾を叫したりするのが多

ぃ。若 し私がも っと 意気地た しで るり臆病者であり、叉 もっと然撃で 、続々小泉校如何度の敬育

Z
i
7

し か受けて 居たい人間であり 、絞 って自 己反省の能力もたかったのたら、もっと / 1えらい紳

稼にも忽 れた事であらうと忠ム。が併し、 一例様 といふ生業 は私には泊したかった 。

︿十)

Mm
鹿 k々しかったの

である 。 私のする事が徐りに無意味で 、そ

外出の時とても同じ事で、豪勢に寄生が五六人附いて来る。溌芋をかじった寄生営時の由民似

便所の中でも普を立て、放毘する事が出来友いのである。

でるるが故に、俗人の絞に民を放って好い気持と笑って居るやうな不謹慎な事をしてはいかぬ。

出して言へたい。 一言一行鐙く束縛される 。使川へ行く時も 一丸六人の 寄生 が附い℃来る。ザ抑絞

玄闘に待たせてからでたければ、自室へ請じ入れる都合が付かない。思った事も滅多 には口に

事が悌られるのである。貌が訪ねて来ても直ぐ飛んで出て面合する欝にも行かたい。三十分も

育ふ
第一に私は紳様であるから、成る丈け口を利かないやうにしたければたらぬ 。冗談一ツ 一

ノtーしたのである。

れに窮屈であり、退屈であったからである 。鐙の中に封ぜられたゃうた生活は、無窓・味で飽き

じた 。私の一柳様生前が 飴りにも

私は、刷機に崇められて、最初は愉快で あ ったがやがて、 つくん、と人生に針する悲哀を感

~í3

たどは出来たい。ほしい物が あってもそれを手軽く、沿いそれと買ふ事も川来たい。訟で友定

R段腕が附いて居る形でb る。高貨の人は野人趣味をm
m
に逢ふても ‘迂潤に話も川涼冷たい 。


揮して、縄のれんへ入って見るたどいふ 繁みは得られんと同じ絞に、秩父の山中で行喝ののみ子

入り迄した野人た る私が、到底とんた生前には培えられたいのである。何か吉例とか、官者の

縮問とかで、奈緒た御馳走の席に臨む場合にも、妥聞に して是からが 座が賑かほたり、特を除

ha

目にかけては:;:﹂

いで大いに寛いで愉快を 識さうといふ 段にた ってくると、必守生一柳絞たる私一人丈けは取除け
者にされる。
﹁俗人の 飢雑た さまを、一例撲の

といふ様た事で、私は貸の山に入りゑがら乎を安うして師らたければならぬ、注中から滴りで、

好き勝手た潟へでも行かれるでもたし、誠に以て不都合千寓な生活である。勿論、私は自分か

ら計制して一例絞商自民を始めたのでは泣く、或る 策士の沿一柳血(とたったのであるから、共人の銭

釘9

に除計の束縛された 却もあらうが、併し、地方の製校の先生はそば屋 へ入って、いわがわ一ツ

を詰文する 事も後めたい と同じ 様に 、此の一柳様は方々の人から民く顔を見知られ て居るから、

一寸痩せぎすた、 姿の何彪かしまった 彪 のあ る、低脳 に近い者が、紳様 と

(十一)

立てられるに泊して居る。制ロ者は一例校にたっては居られたい。

のであるが、まあ、

と いふ欲があるやうに、泊向身 にある といふ 事 と、南方にあるといふ事とを 引くる めて言った



柳仰 は 凶 に 居 る と は 愚 か な り 何 底 に も た し 、 南 に ぞ あ り ﹂

窮鰭たものであった。

快築に、何与野心 のたい 泉銭材木の 人間た ら知ら歩、二十間 援 の私には、迫も我慢の怒らた い

第一不作法た鹿でも見られたら一週で 神様の償値が 失はれる民れが ある 。六十を越して俗世の

かS

一歩 を譲る形 である。多勢居 る寄生議は、私 の威力を銭に着 て

傍若無人の振舞をするやうになり、咋今の暴力圏にも似た傾向を生じた。板橋の生紳様は、枇

る、引間では我得一銭を悌り、

った。政界人の川にも、又警察方面へも私共の手が仲びて行って、段々無理押しが利く事にた

走より先き一川様の仰威光が強 くたるに連 れ て
、 寄生も多 くたり、枇命的にも大たる 勢力を張

~{)

一沙問法へば不

命的に俗怜の槻勢を握る事とたったのである。それ丈け、兎もすれば寄生共の行動には恕しが

砲を行ひ、
だい 怒採 さへ作ふので、私は内心兆一だ背 しい。 制緩のお一ずが不良暴 m

m
m
mばかりで

荒行動に陥らぬとも限らぬ。之れでは私の一 分が立たたい。一柳械もコ一年勤めて、

m気を他さしめた。私
も紘一へがたい底へ、とんた饗訟の自に徐る不良ぷりは、私を して一 一貫にM

muh

生北ハも一
山け
は Y・米から孫ちた波になるので、どうあっても私を引 m
wめるに相法たい、ね

は川山ひ切って、生一例様の凶陸から縦れやうと考へた。それ と打開けでは総務の方では承知し左
いし、

は人知れ中川帆橋の⋮紳担を去って、 一時身を隠そうといふ事を考へて局た。

共折り勃m
uしたのは、彼の縦波大助の虎の門に於ける不敬事件であった。天下の脊年は大い

0

・途に彼等科川年

に悦慨して、時の内務大阪K 氏の 貸住を問はなければならぬと言ひ川したOR接 いれ任のある も

のとは言へ訟からうが、要 路の責任粁としてK 氏が衆目の的とたったのである

2
8
1

は恭力に へ
、 K内務大陸の邸宅に 悶入 し
、 北ハの不都合を誇り、果ては戸障子、襖他兵の嫌ひ


往く手賞り 弐第之を破壊し、特約さへ捻ぎ込んで、 K 氏に 向殺せ よと騒ぎ以てたのである 。是

等青年の中に私の方の饗牛一も二一、加はって 居る とかいふ噂が作一じた。斯うたっては事が牧ま

へて世人か ら生一例捺だの と許 制 さ れ た の で あ る が 、何ん だか 廷として熱に浮かされた患者の如

私は北川以のいたづら気分から自分の透 制能力を試 して 見 る 好 機 合 とも忠ひ、 板橋 に邸を鱗

て、大いに世人 を 議 は し た 事 であら う。怪しげた迷信を流行 させ るたどは つまらたい 。

したなどは 、新代 日本に在って賞然のととである。品目であったら あ んたのが、邪澗淫澗になっ

機 の 下 か ら 引 出 し て 奔 ま せ ‘ 商 人 や 株 屋 方 面 の 迷 信 を 煽って 、 一時評 判にな ったのが忽ち消滅

も 大 授業家で も 大 政 治 家 で も 犬山田回一家でも、 とんと 馬鹿 げて見えるのである。先年、猫の死般を

、 何々数何々 図たど いふものを信仰する人の 気 が知れゑい oek
の牛一仰い様だの と
nって居 る
官で

一=

榊 割 下 の 生 活 か ら 枕 し て 後 鶏具箱 を終た今日、之を問販 して見ると、世に何蕗北ハ
虚の生紳桜だ

になるのである が、何れは他日 私 の自 叙 俸 の 一 部 として発表する機合もあらうと思ふ 。兎に角、

大阪では 私 は長 髪 を切り、俗人とたり閥粋舎 の鴬に 表カ した。日記が叉波澗を生み、而白い話

行の好機と 考へて 、共時、 板 橋 を 院 し て 大 阪 に 赴 き、生紳様の様た気持を取扮てたのである。

が、養生の 恭穆に依 って 煩は される 一奈は心外の沙汰 である。私は 熟慮 は己にしてある 。今ぞ断

らない。 警察 が恭力取締りの手入れをする 事ともた らう。さたきだに 飽 き/、,した一柳様の地位

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言って、 一
柳意が我身に乗り怒り、自問自答に依っ
き心境であった様に忠ふ。世間に は紳懸り と一

mめるた どいふ信仰者も少なからや存花するもので、私の透観も利一仰統一の必要
て、紳貨を M

上、一柳壇の下に白衣姿で端座し、ロ間行方正、資に一柳に器・仏比する人の心で居る方が、後計に能力

を愛知したかに見える。 私自身は伎一柳様とも何んとも思って居ない。喰だ⋮仰に事 へる心で属、た

に泌す﹄怒い。世に紳仰 の加謎といふ一暑があるが、弱い人間の力で出来ない事も、一脚仰を念じ 、

一脚 の鍍妙た作用であ
/ LIのトリックを別ゐ、人の耳目を欺き、而して之を 純

震の加護に税よる事に依って鮪撃を遣しゃうとするのは人情の自然であらう ψ但し此の弱鮪に
付け入って、 いろ

り、紳仰の加議に依るものであると抑制する者がある。一柳様にされた機快訴の序に、以下少しく、
此種トリックの二一二をさらけ出して、世人の迷 夢を発・手品 したいと思ふ。

(十ニ)

普から、心的限術といふも のがあり、之は一一位不可思 議た 心m
m作用に依り、榊秘的危事を行ふ

4

もの、そとに 榊仰の加識がるると主張するのである。彼の﹁探湯術 ﹂とか、 燐火箸を
扱い℃も


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9
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1
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と沸く湯怒れども立寄れば、池の清水と早くゑるぺし﹂

/¥h
と沸ぎって腐る湯の中へ手を義込むのである。其

五度伏で沸騰する。そんなら少し熱加減た風呂湯位のもので、手を入れても身憶を入れても何

て気邸が低いから湯の沸騰が平く、平地で百度乃至百二十度の火力を要するものが、健か七十

富士山とか御獄山とかいふ高い山上で行ふ。之がトリックの一つである。高山は答集稀簿にし

ると、生理的物判的制論で併恕されるのである。彼の行持たどが、此の探湯術を修するには、

態度がいかにも紳銭の秘力を併り来って人間業でたい絞に見えるのであるが‘併し共の装を見

といふ呪文を唱へ、扱て徐るに、ぐら

﹁さら

文を出へ、そして指川で安中に岡本・の縦級を 重 き、次に共上に五本の内側仙慨を鐙いてから、

第一の探湯術を行ふ者は、先づ腹水で乎を洗ひ清め﹃臨兵閥単刊符陳列左前﹄といふ九字の既

るものである 。

固定住サの術は何んの不思議も 喝
ない事で、全燃科忠一的に詮明し得られるし、何人も質地之を行び得

術﹂。﹁火波術﹂、﹁ mA渡術﹂﹁合間不壌身術﹂、 ﹁鳴火術﹂たど滞山にある。私の質験に依ると、

火傷したい﹁銭火の術﹂、全身に太い針を刺し貫いても、痛みも感じたい血も同たい﹁無痛刺針

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l

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4

んともたいのである。それから、先づ手を清めると紛して盤ゐ水ピ波けるのが一つの仕かけで、

黙を吸牧ずる力の強いもの
それが遮断物の問を策して、湯の熱さが直接皮勝に縮れたい 。艇は山

であるから、熱乞皮膚川で遮へぎる効がある。盛の代りにアルコールを翁けたら一局有効であ

る。行者は探湯には、鍋よりは後を別ゐる。鍋は潔く際いから一而に熱く危るが多だと底が深

いから‘巾央は早く沸くけれども縁の方は沸き方が遅い。モとを狙って此の微温い部分へ乎を

差し込むのである。之を見世物にする香共師連だと、湯の・巾・へ 軍曹を入れる。すると忽ち沸総

して、 いかにも熱いやうに見える。要するに此の如き探湯 は、心録術も紳仰の加訟もいらたい、
誰にでも川来る仕かけに怒って居るのである。

﹁剣の mA
波り﹂は一名路忍術ともいふ。光鉾陣織として 秋水 した Lる如き白刀を立てた上を、

紫足で渡り又は 梯子の如く組んだ剣

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を生ぜし む る



ω
一見危険至 極 の術である。此侃仰は昔は 良
、 秘総六方の一つとして、最 重大

秘密の法術と ゑし
品一

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観され、門外不出の 秘術 として、唯だ口授 口俸 に依って 僅 か に臭俄 を授けた。之を行ふに蛍つ

ては、様々な例文を喝へ、印を 結び
、 一心 不鋭 にたって 紳併 の加護 に税ると信じて行った も の


mA
の上を 渡 って居たが、主ハの後純度も之を行ふ悶に、印も呪文もいらぬ、誰

/ ¥l考へて 見る と、人間の足と限らキ何んでも真直ぐに刀

u mA
波りの術も紛う解って見ると、生理、物理の問領で、一新筒師、紡印、開文危どは用

mA
の術

一といふのがあって、 回定は昔、柳生流や官民彩流たどで、極意秘俸の一
'

mA
に萎の泊など 綾る。但しそ んな無駄た手段には及ばぬ。震は聯れ

双を握って引き、叉は頬へ一文字に白忍を引いても決して祈れ怒いといふ訟である。奥行脚た

っとして非常に系大制したものと肴はる。印ち氷のやうた真剣を以て腕を打って引き、或は白

も一 ツ﹁民剣 白

とリ現に私は此の刃渡を一場の沿慰みとして幾度も賓験して居るのである。

のたいもの、唯だ初心析が、自分の条を静め、自信力を偽る潟めの一方俊民一過ぎ乞い﹂

らである

物の上に む いたなら、滅多に紛れるものでたい。それ が斬 れるのは、暴党刃物の上 bL
滑らすか

川ない 。そとでいる
しも足 が斬れ て阿

れにで も川来 る事の様に川山はれ、帥mだ 気を落着け 、注 意して静かに剣の翠を渡って見ると、少

を悶へて、それぜ

﹁向介は最初の利倍、民商U になって身を縛め、それん ¥h
祈隠たどして剣渡りの印を結び、呪・寸︿

である 。民す秘密 の法を 修す る一行者 の打明話 に臼く、

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どが此の術 を 行 ふ 時 に は 、

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たい物理法則に依るもので、⋮仰仰も不思 議もいらぬ 事 であ る。之は忍を引く時、カの 平均を失

はないやうに注意する丈けで山川来る 。 平 均 を 失 ふと 斬れる。 でるるから反のある刀ゃ、鍔 のあ

る刀は引く 時 に、カの平均を犬ひ 易い か らやりにくい。術宥は大概内鞠か化込杖 のや うた一はり

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一般人は高一斬れやしたいかと考へて跨川崎し、それが矯に手元が狂ぴ、過失

の少たい、鍔たしの刀を 使川するのである。聞記も私が度々質験 して舟 る事だ 、何時でも 試めし
て見られ る
。 唯

を生中る事が ない と限ら ぬ。兎 に角、道理上決して 斬れるものでな い事丈け は保授する

次に﹁ 火伴術﹂ といふのは、 相門的仕かけが大きいの で
、 制偶者を総か すのでるる。此術は能く

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と燃えて居る問 、

例外似 山 の行者叉は山伏などが行ム方法 で、先づ 桧割木又は木茨を 長 さ二問、巾一九尺位に提き並
しめなわ

ぺ、共の四隅に竹を樹て、日民連綿を張り御幣を立て、四隅から火を放っ て炎

行者は﹁火液詞}や﹁火鍛腕詞﹂を上げて新騰を行ふ 。 扱 て 木 炭 が 悉 く 火 に た っ た 頃 、 助 手 は

棒を以て徐燐を背問過に叩きつけ一ゃらにする。殊に人の渡るべき民巾の路筋丈けは、まるで火の

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怠L・

渡 る人には 共の墜を耐足の鯨で能く踏 みしめさせ、充分漁して 泣 い

~7

気の見えない m
何回く叩きつけ る。それから方々に駿を撒く o特 に人の渡るベさ 怖筋 の入口には


内山の照 を積ん で置いて、
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ペる機合もあらうし、私の生紳絞の賓験談は走 れ で一旦終りとする。

bL

とんな絞な所制心娘術、一仰秘現象たるものは、他にも深山あるが‘廷は又一拐して幹細に述

火似をする程に熱くは皮膚に感じたいのである。

相似決は期総に火力の山仰い蕗へ、共上へ深山の箆を撒くから一段と火力を減じ、紫足で波つ

τも

火を m
uの上に洛して直ぐ拾ひ上げると、焼痕がないのみか、却って火が消えて昂るものである。

何故ならば、一冗然、判官薪や松茨は、他の淡に比して火力が弱︿又消え易い。今試みに松の淡

腐るのであるが、併し事代は決して不必議でも紳秘でもたい、物洲現象の一震験に過ぎぬ。

附心箆 一
術家は、法力とか一脚力とか秘して、 非常に紳秘不川 誌 の秘法の如く吹潟して
此術 b L mm

綬いて波らすのである。同記が火波 術なのである。

カンマンボロン﹂とい ふ明文を五伯七 惜 し た がら、素足で小足に早く波り、後信者や診拝者

行者 は先づ火に幻して九字を切り、綬いて﹁森﹂といふ 字を き、次に﹁斌﹂の字を火に向


花に打ち込み、そして大 海 の印を結び﹁オンアピラウンケシ
って此聞いて、最後の一貼だけを日比 一


てから 波 らすので あ る

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おS

忍術俸書目録に就て

ll文献といふものは絡針秘密にされ、滅多に世に一示されたかった。
古来忍術に闘する保持

忍術共物も門戸を桜って能人でも随意に製ぶといふ一都も川派歩、第一忍何者が何自助に肘るかさ

へ知れぬ 松にしたのである。従って、北ハの川町笠岡たども一子相似
ll向からお子へと体へられ、

他人の鋭ひ知る w
引を許されゑかった。そして、大事訟貼は記録にも紋せられ歩、唯だ仰絡の問

.
に口で体へ詰問されたのである。之は忍術北九物の性質上賞然の事でるらう。前にも述べた泌p

何務の総菜は忍術者であるといふ事が明かにたったら、品川問は之を旅意人物にするから、忍術

清も忍術を施ヂによしたしで、存在の債似が無くたる。己に忍米自らの存在をも料密にした訟

箆栂

である から、共の体書の械秘されたも砂同然である。


それでも忍術粁は作自心佼えの鴛め、術に関する記録物を作ったもので、殊に徳川時代天下

i

軍決侍川集中窃絞巻

甲賀忍之川町米来記
忍術秘 伸縮忍H総

三巻

一mW︿文化二年・

一世︿質勝十 一年

mW︿享保二十年

mW(天保十年・︾


V

一mw ハ寛政九年)

二冊

十世(延銭九年﹀

天地人三冊

一一
部を左に鋭す。

甲賀組山特番

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伊焚者大向給

伊賀者巾緒

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高 高
伊賀之対御山緒之強虫同

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泰 子 の 同 諸 々 の 駿 術 も 歩 し 、 各 般 の 調 率 も 綿 密 に た ったから、 此の風潮に衆ぜ
られて、忍術


の文献も各自の 鋒 潟 で相蛍の 量 に建 す る 迄 書 き残 されたのでb る。今、著宥の乎一%に在る中の

~90




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-

(究文十二年

一mW ︿寛永一冗年 )


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甲賀二十一 家先祖 嘗

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伊貧者火術秘書

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t 官E 愈

伊賀者 火術秘体 昔

忍術具之間合

忍術英之傘

郷家流出納箆秘傍

m賀流勉術 .
制審

高川集海軍妥秘記

忍術 M
m意秘密経

V

一巻(俊長九年︾ 、

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1

之鑑

一盗
流秘
密i 戦
帯 手



E 官E 港

忍続
訓閥集 中一火透論

八門沼周之谷

一子相伴常流忍大極秘

記術

開港(・双 一総 三 年 V

上中下三谷(延賓九年︾

忍道梯構論判漠忍利詮詑川抄

一程ハ延費同年︾

主総出(延賛同年

土中下三位匂(寛文一冗年︾

二十一審(廷賛同年︾

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忍問答 皇漢山来事
禽川

・甲賀流忍之訟

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一巻︽天王十三年︾

甲賀流忍術秘書感議縛

傘傘

箪随臆浪記忍之巻
軍鐙訓関祭
忍術英議秘警


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忍 夜

忍槌秘的 m

亨享
保保

E 忍

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大島憲

東京市紳田川阻紳保町ニノニ九

滋井清
東京・麹町・一口坂

千代田書院

電話九段︿岱)二九五五番
振 替 東 京 八 四O 八三番



A
O
l
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印枇失宏・京来〉

昭和十一年八月十四H 印 刷

~

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﹁忍術秘録﹂奥付

n

︻定債一回玄+銭︼

西

東京市麹町医九段四ノ五

昭和十一年八月十八吋溌行

甲賀流
第十四世

西

虚主
タ忌


t~五
目口

問中ハ版普及版

会文 線 ルピ付九 ポ組

十銭

二百五十頁 新 組

定俣λ

、 何 と か して 現欣 を 打破 せんと 凶 えて ゐるの で
いまや総 ての 方 商 に行 き 詰 り を 感 じ
ある。商 人も、 令 一
町長も 、質 業 家 も 、 軍人も 、患 者 も共他 す べ て が。 而して ζ の解決
方 法 とそは一に﹁死の 健 悟 ﹂ 如 何 に か Lつてゐる。


、 著者 はあらゆ る方 面よ り と の 生 け る 事 震 を集成 して 、死 の覚 悟 のい か に重大怒る
意義ある かを 高 剥 せんと す る の で あ る。

によって 新 し き天 と地 が 開 か れ 、失 意 は 得 意 に愛 り 、 偉 大 た る 仕 事 が完 成 され る事笈

今一者以引が日はんと 欲す る のは、 死の 問題 についての形而上 接的 解説で は た い。死 と
は 何ぞ や の 珂 論 的解脱抑は 、し ば し 患 者 、宗 教 家 にま かして 泣 かう。先立 死の発情如何

道 を説 いてゐ る ので ある。

しかしてと の死 の問 題 に 就 て 、 古 今 東 西 の 哲 思 考 、宗 教家 が各 々 心 血 を 注 い で 、 モ の

人 生れて一 度は 必中 死た Lければ怒らぬ。死は高 人の 縫 け 難 き般 然 たる 端 慢 であ る。

チ シ プ 1の最後

絶海の武陵桃源
線鈍物語

海の怪
海人夜話
貿易風航海を総ふ
帥を凡し人々

ω出
海上生前の思

2

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般と人
YLK我閥海運
情 周 介ゲ

驚の開跡巡

大小作と縁のめる人々

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四六版美袋本

九ポ組ルピ付

三百五十頁

定債-間五十銭

日本海員回介を脊負って立つ説明対は、またそ
の雌知怒る や bL
もつτ、
機名を績はれてゐる 。
ヘンネ 1 ム米庄太刀 雄 の名は、骨って高等商
般胤一

るや﹁仰のローマンス 一を著して
洛 協 の紙 似 を 角からしめたのである。 海洋に
関 する文 棋 を沿っては、怒らく著者は税関に
長ける 最 高峰・であらう。
今やまた一メル・エスプリを議ふ一たる.随
名の下に 、海に附する交感、 詩 歌、物 詩、戯
曲 、 漂 流 淡 、荷談、紀行 、研究 .論 文 を集め
て世に断る。海洋日本を絞へる我々は‘また
此 の 一 審 ﹁ ぺ 洗町一宮縫ふ﹂の名・文を得て、
海洋的利の同県縫 に鰯る Lを ねかり。
乞ふ上述の内政
官円次を 管 見して、必読され
ん事を。

︿日本海 員 組 An副命首長)
9


米窪太刀雄著

海洋
内容目次
演る 漂 流者の手間
海に闘する詩歌

海の践を訴るタ
謎ゆ失綜

海洋に関する、迷信と女性
戯山﹁ダンキ﹂

或る船長り泣嘗

海洋文鳳平の紫拙
側加工船


τ二一『
~ "

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