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世界広布新時代第3回SGI

ラテンアメリカ教学研修会

BSGI・リオ文化会館|全国文化会館・地域会館

2016年3月25日∼26日
講師:森中理晃SGI教学部長

2016年3月 時 間 プログラム
09:00~09:30 開講式(30分)
09:45 ~ 11:45 講 義 ①:教学入門:世界宗教の仏法を学ぶ(120分)
11:45 ~ 12:15 記 念 撮 影(30分)
12:15 昼食・休息
25日 講義②:新尼御前御返事(大白蓮華:2012年8月)
(金) 15:00 ~ 17:00
※ 御本尊の本義(120分)
17:00 ~17:45 休息(45分)
17:45 ~ 18:45 質問会-教材① (60分)
18:45 ~ 19:00 勤行
09:00 ~ 09:15 勤行
講 義 ③:阿仏房尼御前御返事:畷堅固御書(大白蓮華:2013年2月)
09:15 ~ 11:15
※ 人間のための宗教(120分 )
11:15 ~ 12:00 休息(45分)
26日 12:00 ~ 13:00 質問会-教材② (60分)
(土) 13:00 昼食・休息
講 義 ④:弥三郎殿御返事(大白蓮華:2012年10月)
15:00 ~ 17:00
※ 世界広布のこの時に生まれ合わせた意義を確認(120分)
17:00 ~ 17:30 休息(30分)
17:30 ~ 18:30 研修会終了式
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講義①

①「教学入門:世界宗教の仏法を学ぶ」
[参考資料]

【資料1】随筆 民衆凱歌の大行 メモ
進」第27回「御書根本の勝利道を」
、聖教新聞2015年9月16日付
「今、SGI(創価学会インタナショナ
ル)では、世界の各地で教学研修会が開催
されている。
ある一人のリーダーは、研修に臨んで、
自らの父の体験を語った。
――十分な教育機会を得られず、字を書
くのが苦手だった父が、教学試験を機に発
心し、猛勉強を開始した。実践の教学を重
ね、遂に「教授」になった。字も達筆と讃
えられるまでになった。
地位や肩書など問わず、万人に「学びの
場」を開き、正義と平和の「教授」を育て上げ
るのが、SGIの教学運動である、と――。
今夏も、アジア、南北アメリカなど各地
で研修会が行われた。イタリア・ミラノ郊外
での欧州教学研修会には、三十一カ国五百人
が勇んで参加。その六割が青年部である。
さらに今月、世界六十カ国・地域から、
SGI青年研修会のために、代表の若人た
ちが熱き求道の魂で集ってくれた。
今回は、世界の〝華陽姉妹〟が、「行学
の二道」に励んでつかんだ実証を語り合う
体験談大会も、明るく意義深く行われた。
私は、世界広布のバトンを託すべき、宝
の青年たちにお会いし、励まさずにはいら
れなかった。
本門の新時代を開き、人類の未来に
「勇気」と「人材」と「団結」の光を送る
のは、生命尊厳の大哲学を掲げる、若き創
価の世界市民である。」

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メモ
【資料2】
『教学入門』263㌻
「創価学会は、釈尊に始まり、インドの
竜樹・天親(世親)らの菩薩とたたえられ
た論師、中国の天台大師・妙楽大師、日本
の伝教大師、日蓮大聖人へと発展的に継承
された仏教を信奉する団体です。釈尊以来
の仏教の生命尊厳・万人尊敬という人間主
義の正統な系譜に連なっています。
創価学会は、大乗経典のなかでも法華経
に依拠し、日蓮大聖人が身をもって示され
た法華経の根本精神に則った信仰実践と活
動を現代に展開しています。」

【資料3】『 教学入門』268㌻~
269㌻
「大聖人は、「立正安国」――社会を支
える根本原理として、人間尊厳の哲学を打
ち立て、人々が安穏に暮らせる社会を建設
すること――を、生涯の実践の根幹とされ
ました。
それは、人間生命や人間社会を浸食する
破壊的なエゴイズムを克服していくための
釈尊以来の努力に連なるものであり、信頼
と価値創造と調和に彩られた自他共の幸福
の実現を願う仏法の根本精神に基づく、新
たな人間主義の実践にほかなりません。
その機軸は、理性と人間性に満ちた「対
話」だったのです。」

【資料4】アンドレ・マルロー『反回
想録』竹本忠雄訳、新潮社)=『法華
経の智慧』
(旧六巻本・第四巻47㌻
/普及版・中巻257㌻)
「そもそも仏陀の天才は、あくまでも仏
陀が人間であるという事実にもとづいてい
た」

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【資料5】(同前)=『法華経の智 メモ
慧』(旧六巻本・第四巻48㌻/普及
版・中巻257㌻)
「仏陀の神格化が行なわれたとたん、仏
陀その人はこの神々と同列にくわえられ、
姿を没してしまった」

【資料6】竜の口の法難と発迹顕
本・『教学入門』13㌻
「大聖人は竜の口の法難を勝ち越えた
時に、宿業や苦悩を抱えた凡夫という迹
(仮の姿)を開いて、凡夫の身に、生命にそ
なわる本源的な、慈悲と智慧にあふれる仏
(久遠元初の自受用報身如来)という本来の
境地(本地)を顕されたのです」

【資料7】
『教学入門』20㌻
「日蓮大聖人は、若き日に、仏法の肝
要を知る智者となって、すべての人を苦
悩から根本的に救うという誓願を立てら
れます。この誓願の成就が御生涯をかけ
て目指された根本目的であると拝されま
す。大聖人は、万人成仏の根本法である
南無妙法蓮華経を説き、本門の本尊と本
門の戒壇と本門の題目という三大秘法を
明かし、未来永遠にわたる広宣流布の基
盤を確立されました。
この熱原の法難において、三大秘法の
南無妙法蓮華経を受持して、不惜身命の実
践で広宣流布する民衆が出現したことによ
り、世界の人々を救うための日蓮大聖人の
民衆仏法が現実のものとなりました。
このことにより、生涯をかけた根本目
的、「出世の本懐」を達成されたのです。」

【資料8】
『教学入門』53㌻
「この大聖人の御精神を受け継いで、御
書に仰せの通りに妙法を弘通し、広宣流布

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を進めてきた和合僧(仏法実践者の集い) メモ
が創価学会です。
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらん
か」(1360㌻)と仰せのように、大聖
人の御心のままに妙法を広めてきた創価学
会こそ、広宣流布の使命を担う地涌の菩薩
の団体にほかなりません。
大聖人滅後七百年、創価学会が出現する
まで、誰も妙法を広めることはできません
でした。創価学会が釈尊と大聖人の未来記
(予言)を実現したのです。そこに創価学
会が広宣流布の使命を担って出現した、仏
意仏勅の教団である根拠があります。
そして、「閻浮提に広宣流布」と経文に
示されたように、事実の上で、日本はもとよ
り、世界中に妙法を広めてきたのです。」

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講義②

「新尼御前御返事」
御本尊の本義

〈御文1〉 メモ
《あまのり一ふくろ送り給び畢んぬ、又大
尼御前よりあまのり畏こまり入って候
(中略)
古郷の事はるかに思いわすれて候いつ
るに・今此のあまのりを見候いてよしなき
心をもひいでて・うくつらし、かたうみい
ちかはこみなとの磯の・ほとりにて昔見し
あまのりなり、色形あぢわひもかはらず、
など我が父母かはらせ給いけんと・かたち
がへなる・うらめしさ・なみだをさへがた
し》(御書904㌻1行目~14行目・新尼
御前御返事)

〈御文2〉
《此れは・さて・とどめ候いぬ、但大
尼御前の御本尊の御事おほせつかはされ
て・おもひわづらひて候、其の故は此の
御本尊は天竺より漢土へ渡り候いし・あ
またの三蔵・漢土より月氏へ入り候いし
人人の中にもしるしをかせ給はず》(御
書904㌻15行目~905㌻2行目・新尼
御前御返事)

〈御文3〉
《今此の御本尊は教主釈尊・五百塵点劫
より心中にをさめさせ給いて世に出現せさ
せ給いても四十余年・其の後又法華経の中
にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて
寿量品に説き顕し神力品・属累に事極りて
候いしが
(中略)
我五百塵点劫より大地の底にかくしを

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きたる真の弟子あり・此れにゆづるべしと メモ
て、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給い
て、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の
五字をゆづらせ給いて
(中略)
而るに日蓮・上行菩薩には・あらねど
も・ほぼ兼てこれをしれるは彼の菩薩の御
計らいかと存じて此の二十余年が間此れを
申す》(御書905㌻12行目~906㌻6
行目・新尼御前御返事)

〈御文4〉
《日蓮は一閻浮提の内・日本国・安房の
国・東条の郡に始めて此の正法を弘通し始
めたり、随って地頭敵となる彼の者すでに
半分ほろびて今半分あり、領家は・いつわ
りをろかにて或時は・信じ或時はやぶる不
定なりしが日蓮御勘気を蒙りし時すでに法
華経をすて給いき、日蓮先よりけさんのつ
いでごとに難信難解と申せしはこれなり》
(御書906㌻16行目~18行目・新尼御前
御返事)

〈御文5〉
《御事にをいては御一味なるやうなれど
も御信心は色あらわれて候、さどの国と申
し此の国と申し度度の御志ありてたゆむ・
けしきは・みへさせ給はねば御本尊は・わ
たしまいらせて候なり、それも終には・い
かんがと・をそれ思う事薄冰をふみ太刀に
向うがごとし》(御書907㌻5行目~7行
目・新尼御前御返事)

[参考資料]

【資料1】大 白 蓮 華 2012年 8月
号37㌻ 
日蓮大聖人は、乱世に生きる私たちが、
一人ももれなく、自身に内在する、仏と等
しい生命を開き、絶対の幸福境涯を確立す

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るための方途として、御本尊をあらわし、 メモ
末法の全民衆に与えてくださいました。
正しい信心があれば、誰が唱えても広大
な功力を涌現させ、必ず幸福になることは
間違いない。このことは、仏法の法理に照
らして明確であります。この御本尊の偉大
なる力を戸田先生はよく“もったいないこ
とだが”と前置きされながら、分かりやす
い表現として「幸福製造機」に譬えられて
いました。
私たちは仏法の最高哲学を実践
先生は明快に指導されています。
「この御本尊は、仏法の最高理論を“機
械化”したものと理解してよろしい。たと
えば、電気の理論によって、電灯ができた
と同じと考えてよろしい。仏教の最高哲学
を“機械化”した御本尊は、何に役立つか
といえば、人類を幸福にする手段なのであ
る。
されば日蓮大聖人の最高哲学の実践行
動は、この御本尊を信じて、南無妙法蓮華
経を唱えるにあって、この実践行動によっ
て、人類は幸福になりうるのである」
この御本尊は「信心の御本尊」です。受
持した我らの信力・行力によって仏力・法
力があらわれ、一人一人が自らの可能性と
使命に目覚め、人生の勝利を築いていくの
です。そこに真の世界の平和実現の基盤も
あります。ゆえに戸田先生は、この御本尊
を流布することを、民衆の幸福拡大の指標
とされたのです。 

【資料2】大 白 蓮 華 2012年 8月
号48~49㌻
現代にあって、大聖人直結の「師弟共
戦」の信心は、創価学会の中にしかありま
せん。牧口先生、戸田先生が教えてくださ
ったのです。私も、ひたぶるに実践してき
ました。
(中略)
私たち創価の師弟の絆は、この苦悩の充

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満した娑婆世界で、広宣流布の大ロマンに メモ
生き抜く誓願にあります。
悩めるあの友に、苦しむこの友にと、勇気
と慈悲の対話で「信心の御本尊」を流布して
きたのが、創価の民衆スクラムです。
日本中、世界中のあの地この地で、妙法
の御本尊を信受して、わが地涌の同志は、
宿命の嵐を乗り越え、自他共の幸福と勝利
の旗を高らかに掲げて前進しています。
創価学会には、地涌の自覚と誇りがあり
ます。民衆勝利の凱歌を、末法の全ての人
に享受させたい。この地涌の使命に立ち上
がったのが、わが誉れの学会員です。まさ
に真の仏弟子であり、尊い仏の使いです。
「時にあい、時にめぐりあって、その時
にかなうということは、生まれてきたかい
のあるものであります」と、恩師は教えて
くださいました。
今、「大法弘通慈折広宣流布」の旗が世
界に林立する時代が到来しました。この潮
流は、もはや誰人も止めることはできませ
ん。
壮大なる人間勝利の大行進を、いよいよ
足取り軽く、威風堂々と広げ、わが「地涌
の尊き使命」を果たし抜いていこうではあ
りませんか。
私と共に!
同志と共々に!

【 資 料 3 】開 目 抄 講 義 第 1 8 回 、
単行本下巻180㌻、大白2005年
10月号19㌻
悪世末法の凡夫が慈悲に生きる。これは
簡単なものではありません。しかし、その
ことが実現しなければ、仏法の本来の目的
は永久に成就しません。そうでなければ、
末法の救済といっても、時折、慈悲に優れ
た仏が出現し、疲弊し病んだ衆生に手を差
し伸べる形でしか実現しません。
しかし、そうした救済の方途では、やが
てまた、その仏の恩恵を忘れた次の時代の
衆生が病み始めます。そこに、再び仏が出

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現して救済の手を差し伸べる。あるいは、 メモ
衆生は、どこか別の国土に住む仏の存在を
渇仰し、遠い別世界の浄土に生まれること
だけを願う。そのようなことを繰り返して
いるのでは、末法の国土を変革することは
できません。
その根本的な誤りは、仏一人だけが慈悲
の救済主であるとする考え方にある。それ
では、釈尊が末法の広宣流布を地涌の菩薩
に付嘱した真意を理解することはできませ
ん。すなわち、絶対の救済者と、救われる
信徒たち――この固定した関係を作り上げ
てしまえば、仏法の目的である慈しみ合う
世界を広げていくことはできません。
無慈悲の末法万年を真の意味で救いきる
ためには、仏の三徳を継承した法華経の行者
が出現し、その法華経の行者を軸として無数
の慈悲の体現者である法華経の行者、慈悲の
実践者が誕生していくしかないのです。

【資料4】『 御 書 の 世 界 』 第 二 巻 1
50㌻
全民衆を救済するためには、どうして
も、人間自身の胸中にある本尊を涌現させ
ていく以外にない。
全人類が平等に胸中の本尊を涌現する
ことができ、万人にその可能性が与えら
れる。
「観心の本尊」は、偉大なる本尊革命で
あり、人間の可能性を最大に尊重し、現実
に変革を可能にする「人間のための宗教」
の精髄です。

【資料5】大 白 蓮 華 2012年 8月
号44㌻
仏から見て、苦難を避けることのできな
い闘諍の時代の衆生を、どう救うのか。地上
から悲惨と不幸をなくす方途とは何か。それ
は、乱世に生きる民衆の一人一人を強く賢く
するしかない。いかなる苦難をも打ち返す仏
界の生命力を触発するしかありません。

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そこで、生命根源の力を直ちにあらわす メモ
ために、御本尊が必要となるのです。本抄
では、一人一人が御本尊を信受する実践の
中に、「現世安穏・後生善処」の大功徳が
あることを約束されています。濁悪のこの
世に生きる民衆のための御本尊であること
を明確に仰せなのです。
そして、大聖人は悪世末法を救う大仏法
を弘通したがゆえに「三類の強敵」と戦い、
その大難を耐え忍び、勝ち越えて、御本尊を
あらわされました。いかなる大難をも撥ね返
し、法華経を弘通する姿――それこそが、大
聖人が末法流布の使命を自覚された上行菩薩
であられることの証明となるのです。

【資料6】『 御 書 の 世 界 』 第 二 巻 2
38㌻
日蓮大聖人滅後七百年間、誰人も成し遂
げえなかった未聞の御本尊流布が拡大して
いった原点が、ここにある。
この御本尊で民衆を救っていこうとする
誓願があればこそ、日蓮大聖人の御精神が
世界に広がったのです。
「観心本尊抄」の結論に仰せのように、
御本尊は御本仏の慈悲の当体です。
広宣流布の実践なくして御本尊を拝し
ても、真実の仏の大慈悲は通ってこない。
「日蓮と同意」「日蓮が一門」という、
大聖人と同じ広宣流布の決意に立った時、
大河のごとく、日蓮大聖人の大慈悲がとう
とうと流れ伝わるのです。
御本尊の功力は無限大です。くめどもく
めども尽きることがない。皆がこれまで受
けてきた功徳でもまだ比較することのでき
ない、無量無辺の広大な功徳がある。
その最大の功徳が、人類の宿命の転換です。
その功徳を引き出すのが、創価学会の信
心です。
そして、世界百九十二(※直しました)
カ国・地域に広がった地涌の菩薩の連帯
が、御本尊の功力を馥郁と薫らせて、地球
の無明を払うべき時を迎えたのです。

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講義③

「阿仏房尼御前御返事:畷堅固御書」
人間のための宗教

〈御文1〉 メモ
《御文に云く謗法の浅深軽重に於ては罪
報如何なりや云云、夫れ法華経の意は一切
衆生皆成仏道の御経なり、然りといへども
信ずる者は成仏をとぐ謗ずる者は無間大城
に堕つ、
(中略)
法華経を持ち信ずれども誠に色心相応
の信者・能持此経の行者はまれなり、此等
の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の
罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法は
よはき故なり、大水を以て小火をけすが如
し》(御書1307㌻1行目~5行目)

〈御文2〉
《涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る
者を見て置いて呵責し駆遣し挙処せずんば
当に知るべし、是の人は仏法中の怨なり、
若し能く駆遣し呵責し挙処せば是れ我が弟
子真の声聞なり」云云、此の経文にせめら
れ奉りて日蓮は種種の大難に値うといへど
も・仏法中怨のいましめを免れんために申
すなり》(御書1307㌻5行目~8行目)

〈御文3〉
《弥信心をはげみ給うべし、仏法の道理
を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべ
し、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・
天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をま
かすべし、如説修行の人とは是れなり、法
華経に云く「恐畏の世に於て能く須臾も説
く」云云、悪世末法の時・三毒強盛の悪人
等・集りて候時・正法を暫時も信じ持ちた

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らん者をば天人供養あるべしと云う経文な メモ
り》(御書1308㌻4行目~7行目)

〈御文4〉
《此の度大願を立て後生を願はせ給
へ・少しも謗法不信のとが候はば無間大城
疑いなかるべし、譬ば海上を船にのるに船
おろそかにあらざれども・あか入りぬれば
必ず船中の人人一時に死するなり、なは
て堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛へ
たる水のたまらざるが如し、謗法不信のあ
かをとり・信心のなはてを・かたむべきな
り、浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得
さすべし、重きあやまちならば信心をはげ
ま し て 消 滅 さすべし》(御書1308㌻ 8行
目~11行目)

〈御文5〉
《尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽
重の義をとはせ給う事・まことに・ありが
たき女人にておはすなり、竜女にあにをと
るべきや、「我大乗の教を闡いて苦の衆生
を度脱せん」とは是なり、「其の義趣を問
うは是れ則ち難しと為す」と云って法華経
の義理を問う人は・かたしと説かれて候、
相構えて相構えて力あらん程は謗法をばせ
めさせ給うべし、日蓮が義を助け給う事・
不思議に覚え候ぞ不思議に覚え候ぞ》(御
書1308㌻11行目~15行目)

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[参考資料] メモ

【資料1】大 白 蓮 華 2013年 2月
号31㌻
日蓮仏法の本質は、人間への「尊敬」と
「信頼」であり、生命の無限の可能性と尊
厳性への「信」といえます。この強盛なる
信仰があるからこそ、「自分が変われば世
界が変わる」という人間革命の希望の大道
を、朗らかに進むことができるのです。
すべての人が尊極の「仏」の当体であ
り、自他共の幸福を勝ち開く「力」と「智
慧」を具えている――この生命の豊かなる
可能性に目を閉ざし、疑い、否定するとこ
ろに、現代社会を暗く覆う、人々の人間不
信や無力感の根源があるのではないでしょ
うか。
日蓮仏法で「謗法」の教えを責めるの
も、それが、人間の可能性を信じ切れない
「不信」という根源悪との戦いになるから
です。今回は、「阿仏房尼御前御返事」
(別名「畷堅固御書」を拝して、人間の尊極
性を信じ抜く実践を学んでいきます。

【資料2】大 白 蓮 華 2013年 2月
号33㌻
これに対して大聖人は、まず大前提とし
て、法華経の元意は、「一切衆生が皆、成
仏できる道」を説かれたところにあると教
えられています。
いかなる人も必ず成仏できるとは、すべ
ての人が仏性という尊極の生命を具え、無
限の可能性を有しているということです。
さらにかみ砕いていえば、今現在、どんな
に苦悩の底にあろうが、その苦境を破っ
て、必ず幸福になる力が、自分自身の生命
にあるということです。
この前提を忘れて謗法について論じても、そ
れは単なる観念論になりかねません。
法華経にこそ、万人の成仏が説き明かさ
れている。迷いや疑いの暗雲を払い、この

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根本の真実を素直に信じることです。そう メモ
すれば「成仏をとぐ」ことは間違いない。
反対に、この一点を疑い、誹謗するなら
ば、「無間大城に堕つ」と仰せなのです。
要するに、自他共の人間の尊厳性を信じ
切れるか否か。すべては、この本質から出
発しているのです。

【資料3】大 白 蓮 華 2013年 2月
号34㌻
大聖人は断言されます。そうした戦う行
者に は 、 わ ず か ば か り の 謗 法 が あ っ た と
しても、深く重い罪を受けることは断じ
てない、と。「信心はつよく謗法はよは
き故」です。
御本尊を信じ抜く根本の一念が、弓の
名人がピタリと的を射抜くように、寸毫
のぶれもなく定まっているならば、何も
恐れることはないのです。
謗法者の充満する悪世末法にあって、
悪縁に紛動されることもない。動揺す
ることもありません。「大水」をもって
「小火」を消すように、たちどころに深
重の罪を打ち消すことができる。
この原理は、私たちも変わりません。
一度、妙法の信心を始めた以上、過去
の謗法がどうあれ、いつまでもその業に
引きずられることはない。いかなる宿業
の鉄鎖をも断ち切る最強の利剣が妙法の
信心だからです。
「自分は駄目だ」と、不幸に呻吟しな
がら自分の人生に絶望してきた多くの庶
民がいました。その苦悩の民衆の中に飛
び込み、「もう宿命に泣くことはないの
だ!」と励まし、共に立ち上がってきた
のが創価学会です。
どれほど多くの庶民が、希望と確信
を持ち、笑顔を取り戻したことか。そ
れは、まさに自身の無限の可能性を信
じられない「無明」の闇を破り、己心
の仏界への強靱なる「信」を蘇らせる
ものです。

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厳密にいえば、誰でも信心を始める メモ
前は、知らず知らずのうちに、法華経
への誹謗や不信の業を積んでいるのか
もしれません。しかし、妙法を持った
人は、その時から、そうした呪縛を打
ち破り、大空を自在に飛翔するように
自由なのです。

【資料4】大 白 蓮 華 2013年 2月
号37㌻
大聖人は、形式的、外形的に、「これが
謗法である」「あの行為が謗法である」な
どと決めつけ、一方的に断罪するようなこ
とを、なされていません。そうではなく、
その人の心根において、法華経の「生命尊
厳」「人間尊敬」の精神に違背しているの
か、正しく信じているのかどうか――この
内実が問われなければならないのです。
奥底の一念は、一見、明らかな姿形とし
ては見えてきません。しかし、微妙な一念
が、生涯にわたる信心を大きく左右するも
のです。であればこそ、どこまでも純一無
垢な信心の根本の一念が大切なのです。そ
れさえ定まっていれば、成仏は疑いないの
です。

【資料5】大 白 蓮 華 2013年 2月
号40㌻
そのためにこそ、「金言に身をまかす」
ことです。この御文にも、牧口先生は線を
引かれていました。大切なことは、どこま
でも経文の通り、御書の通りに信じて生き
抜くことです。戸田先生も、御書を拝する
たびに、「その通りだ。その通りだ。本当
にありがたい」と語られていた。
心から御金言に身をまかせるその人が
「如説修行の人」です。ほかならぬ大聖人
御自身が、その模範を示してくださいまし
た。その上で大聖人は、師匠と同じく、千
日尼もまた「如説修行の人」として生き抜
きなさいと教えられているのです。
師弟不二です。師弟共戦です。

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【資料6】大白蓮華2013年2月号 メモ
42㌻
「謗法不信のあかをとり・信心のなはて
を・かたむべきなり」
進まざるを退転といいます。
ゆえに停滞や惰性を破って、「月月・日
日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば
魔たよりをうべし」(1190㌻)との御文の
通り、今日より明日へと、前進し続けてい
くことです。
仏法とは、生命の無限の可能性を閉ざ
す、根本の迷いである「無明」との間断な
き戦いです。この内なる戦いを忘れた時、
「 冥 き よ り 冥 き に 入 る 」 ( 560㌻ ) が 如
く、苦悩の闇に堕してしまう。
私たちが謗法不信を誡める本質は、まさ
に、ここにあるのです。

【資料7】大白蓮華2013年2月号
44㌻
「御義口伝」の有名な一節に――
「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち
大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の
中の大歓喜なり」(788㌻)とあります。
謗法不信の闇を払い、自身の生命の真実
を知った瞬間、胸中には赫々たる希望の太
陽が昇るのです。それこそ「歓喜の中の大
歓喜」でありましょう。
人間の内なる生命こそが最大の宝です。
にもかかわらず、人々は自分の外にばかり
宝を探している。なぜか? 人間を信じる力が
弱くなっているからです。自分自身を信じら
れないからです。その結果が、現代の混迷な
のではないでしょうか。
汝自身の生命を信じよ! そこに最大の力
が具わっているのです。

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講義④

「弥三郎殿御返事」
世界広布のこの時に生まれ合わせた意義を確認

〈御文1〉 メモ
《是は無智の俗にて候へども承わり候い
しに貴く思ひ進らせ候いしは・法華の第二
の巻に今此三界とかや申す文にて候なり、
此の文の意は今此の日本国は釈迦仏の御領
なり、
(中略)
此の三徳を備へ給う事は十方の仏の中に
唯釈迦仏計りなり、されば今の日本国の一
切衆生は設い釈迦仏に・ねんごろに仕ふる
事・当時の阿弥陀仏の如くすとも又他仏を
並べて同じ様にもてなし進らせば大なる失
なり》(御書1449㌻初め~6行目)

〈御文2〉
《かかる事をば日本国には但日蓮一人
計り知って始は云うべきか云うまじきかと
うらおもひけれども・さりとては何にすべ
き、一切衆生の父母たる上・仏の仰せを背
くべきか、我が身こそ何様にも・ならめと
思いて云い出せしかば二十余年・所をおは
れ弟子等を殺され・我が身も疵を蒙り二度
まで流され結句は頸切られんとす、是れ偏
に日本国の一切衆生の大苦にあはんを兼て
知りて歎き候なり》(御書1450㌻8行
目~12行目)

〈御文3〉
《されば心あらん人人は我等が為にと思
食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当
らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこ
そ無からめ還って怨をなしなんど・せらる
る事は心得ず候、又在家の人人の能くも聞

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きほどかずして或は所を追ひ或は弟子等を メモ
怨まるる心えぬさよ、
(中略)
されば度度の大事にもおくする心なく弥
よ強盛に御坐すと承り候と加様のすぢに申
し給うべし》(御書1450㌻12行目~1
451㌻4行目)

〈御文4〉
《構へて構へて所領を惜み妻子を顧
りみ又人を憑みて・あやぶむ事無かれ但
偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせ
よ若干の人の死ぬるに今まで生きて有り
つるは此の事にあはん為なりけり、此れ
こそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を
渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかな
り、人身は受け難く法華経は信じ難しと
は是なり、釈迦・多宝・十方の仏・来集
して我が身に入りかはり我を助け給へと
観念せさせ給うべし、地頭のもとに召さ
るる事あらば先は此の趣を能く能く申さ
るべく候》(御書1451㌻10行目~14
行目)

[参考資料]

【資料1】大 白 蓮 華 2012年 10
月号35㌻
当時、関西をはじめ創価学会は急速に
発展していました。世間から「貧乏人と
病人の集まり」と嘲笑されようと、私た
ちは、その悪口さえ誇りに変えました。
「一番苦しんでいる人々の中に飛び込
み、生き抜く希望と勇気を贈ってこそ、
本当の力ある宗教だ!」と胸を張って、
地涌の尊き使命に燃え、一対一の生命触
発の対話に打って出ました。
苦悩の宿命に泣かされてばかりいた民
衆が新たな社会建設の主役として、勇ん
で声を上げ、行動を起こす。生きる希望

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に 燃 え て 立 ち 上 が る ――そ れ は 人 類 史 に メモ
輝く数々の人権闘争が目指してきたこと
です。ところが創価学会という新たな民
衆勢力の台頭は、日本の既成勢力に反発
と恐れを抱かせたのでしょう。横暴な権
力が圧迫を加えてきたのです。しかし、
それに対して「師子王の心」で立ち向か
い、勝ち越えてこそ日蓮仏法です。
“民衆よ、頭を上げよ! 団結せよ!
 立正安国の叫びを上げよ! 勇んで対
話 の 海 に 飛 び 込 め ! ” ――師 が 正 義 を 叫
び、一体不二で弟子も叫ぶのです。
日蓮大聖人は、この「師弟共戦の言
論闘争」こそ、広宣流布を拓く原動力
となることを、私たちに教えてくださ
いました。「日蓮が如く叫べ」「我が
如く戦え」と師匠が教えられた通りに
行動する中にのみ、永遠不変の勝利の
大道がある。
今回は、師の如く正義を叫び抜けと門
下に教えられた「弥三郎殿御返事」を拝
します。

【資料2】大 白 蓮 華 2012年 10
月号36㌻
このように多くの弟子たちが置かれ
た状況を見ると、弥三郎が直面している
事態も、決して個人的な事件にとどまる
ものではなかった。一つ一つが広宣流布
の前進の中で競い起こった三障四魔であ
り、三類の強敵からの法難であったこと
は間違いありません。
いよいよ、弟子が立ち上がり、師と共
に戦う時代を迎えた、ともいえます。
本抄は、その中で在家の一門下に渾身
の激励を送られ、師匠である大聖人が戦
ってきたように、弟子として勇敢に戦い
なさいと教えられている一書です。
「師弟共戦」という大聖人の師弟観の
根幹が拝される御書です。

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【資料3】大 白 蓮 華 2012年 10 メモ
月号39㌻
さて、本抄で、大聖人が念仏を破折され
ていく切り口は、「仏は、なんのためにこ
の世に出現したのか」という根本目的を問
い直されたものとも拝されます。そして、
その目的とは、この世で苦しむ一切の民衆
を救い切っていくことにほかなりません。
苦悩の絶えない娑婆世界で戦う困難さを
分かったうえで、あえて最も不幸に打ちひ
しがれた人々を救おうと誓願を立てて出現
したのが、釈尊です。そして法華経は、苦
しみに満ちた現実世界を、そこに住む人々
の心の変革から出発して、仏の国土として
ふさわしい理想世界に変革しようという経
典です。すなわち、浄仏国土であり、娑婆
即寂光の実現です。
釈尊は、たとえ皆が見捨てても自分だけ
は永遠に娑婆世界を離れない、ここにいる
人々と共に生き抜き、必ず幸せにしてみせ
る――との大慈大悲で、久遠以来、営々と
民衆救済の大闘争を行ってきたのです。

【資料4】大 白 蓮 華 2012年 10
月号42㌻ 
なぜ、それほどまでの苦難をあえて引き受
けながら戦われたのでしょうか。それは「ただ
ひとえに日本国のあらゆる衆生が大苦にあうこ
とを知ってあまりにも忍びない、放っておけな
いという嘆きからであった」と仰せです。
「嘆き」とは、苦悩を共にする嘆き、そし
て悩める人に寄り添う共感・同苦でありましょ
う。「抜苦与楽」の「苦を抜く」意義であり、
甚深の大慈悲のお心が拝されます。
現在の苦しみだけでなく、衆生が未来に
受ける苦悩にまで思いを致して、その苦悩
を根本から断じて取り除きたいという、や
むにやまれぬお心といえます。そのために
大難を受けることを厭わない。恐れない。
そして逃げない。これが仏法の慈悲の大闘
争です。

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【資料5】大 白 蓮 華 2012年 10 メモ
月号44㌻ 
正しい人生を歩み、よりよく生きるため
には、人として正しい生き方を示す規範、
正義が必要です。幸福へと向かっていける
という希望が必要です。そのために困難に
も立ち向かっていく勇気が不可欠です。
これらを身をもって示し教えてくれるの
が、仏法の師匠の存在です。
師をもつことほど、大きな幸福はありませ
ん。師と共に戦えることほど気高い誉れはあ
りません。その師への感謝こそが、正しい人
生を歩み続ける源泉なのです。
師恩に報じて、師と共に戦う。法華経
は、「師匠(仏)によって救われる弟子」
から、「師匠と同じ誓願に立って人々を救
う弟子」への一大転換を説いていることを
確認しておきたい。言い換えれば、共戦の
弟子が出現してこそ、法華経の民衆救済の
思想が完成するのです。
本抄で大聖人は、弟子が広宣流布の主体
者として「一人立つ」ことを願われたのでは
ないでしょうか。また、弟子が「一人立つ」
信心を継承しない限り、それぞれの直面して
いる法難に立ち向かうことはできません。
「弟子たちよ、我が如く戦え!」「一人
立って、勝利せよ!」――そう叫ばれてい
るように思えてなりません。
私も、戸田先生の広宣流布への願いを断
じて実現する思いで立ち上がりました。
「若し恩を知り心有る人人は二当らん
杖には一は替わるべき事ぞかし」との御指
南を、私自身、若き日よりわが身に当てて
拝してきました。戸田先生のご自宅で、ご
一緒に拝読したことも忘れ得ぬ歴史です。
戸田先生をお護りするためなら、私が師匠
に代わって、一切の大難の矢面に立つ覚悟
を貫いてきました。あの「大阪事件」の時
も、戸田先生には指一本たりとも触れさせ
ぬ決心で、戦い抜きました。
さて、この段の最後では、師匠・日蓮大

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聖人のことを、こう言い切っていきなさい、 メモ
と弥三郎に教えられています。「わが師は、
たびたびの大難に遭われても、いささかも臆
する心なく、いよいよ意気軒高に、一段と勢
いを増して戦い続けていらっしゃる」と。
いかなる時代になろうが、私たちは、師匠
の烈々たる師子吼を、わが生命に燃え上がらせ
ながら、恐れなく正義を叫んでいくのです。

【資料6】大 白 蓮 華 2012年 10
月号48㌻ 
もう一点、ここで大聖人が弥三郎に教えら
れている、戦いに当たっての強盛な「祈り」
と「決意」を確認しておきたい。
すなわち、「釈迦・多宝・十方の仏・来集
して我が身に入りかはり我を助け給へと観念
せさせ給うべし」との仰せです。
強き祈りで諸仏が我が身に「入りかは
り」「我を助け」てくれるのです。すなわ
ち、生命に具わる仏界が開き現れ、生命力
が湧き上がり、尽きることなく智慧が発揮
されるのです。いわば、わが生命に満々た
る「仏界のエネルギー」を漲らせて、断じ
て勝負に勝っていきなさいとの仰せです。
諸仏が我が身に入り替わったならば、
その所従(家来)の諸菩薩、諸天善神が従
い、一生懸命に働くことは当然です。
一人の在家の門下に、大聖人は、このように
強盛に祈り、戦いなさいと教えられた。
このお心に直結して戦ってきたのが、私
たち創価学会の信心です。だからこそ、仏
の軍勢として勝ってきたのです。

【資料7】大 白 蓮 華 2012年 10
月号47㌻ 
「今まで生きて有りつるは此の事にあは
ん為なりけり」――
思えば、末法今時において、妙法に巡り
あい、創価学会員として、創価の師弟とし
て、世界広宣流布の道を共に歩めること自体
が、最高の栄誉です。黄金に輝く人生です。

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戸田先生は言われました。 メモ
「乱れた世の中で生活が苦しいとき、何
故私たちは生まれてきたかを考えなければ
ならない。みな大聖人様の命を受けて広宣
流布する役目を持って生まれて来たという
ことが宿習なのである。それが解るか解ら
ないかが問題なのだ」
長い人生の中にあって、「ここが勝負所
である」「今が重大な勝負時である」という
戦いに直面した場合も、この御文に通ずる体
験でありましょう。私も、わが師と共に、わ
が同志と共に、幾度となく「此の事にあはん
為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあ
ります。同志の皆様もそうでしょう。

【資料8】大 白 蓮 華 2012年 10
月号49㌻ 
権利や正義や真実のための戦いは、たとえそれ
が一個人の行動のように見えても、全ての人にと
って他人事でも無関係でもありません。
ゆえに、たった一人で戦いを起こしたよ
うであっても、必ず同胞がいる。共戦の同
志がいる。自分の勝利も、ただ自分一人の
ものではなく、同じように悩み苦しんでい
るすべての人の勝利となる。
「仏法は勝負」です。
いついかなる時であれ、そして、日本の
いずこであれ、地球上のいずこであれ、地
涌の菩薩が立ち上がり、勇敢に法華弘通の
言論戦を起こしたところが、偉大な広宣流
布の主戦場です。
一人立ったその時、その場所が、仏法の
正義を証明しゆく「宇治・勢多」の使命の
宝処となるのです。
ゆえに、わが親愛なる同志よ、わが後継の青
年たちよ、断固として、今日を勝ち抜け!
今いる場所で勝ちまくれ!
不思議なる宿縁をもって今この時に生まれ
合わせ、地涌の使命のままに、広宣流布のため
に奮闘してくれているわが弟子と共に、私は生
涯、戦い抜いていく決心です 。

CLAB 2016

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